筆は剣よりも強し~追放された元令嬢、磨いた能力で華麗に書き走る~
自分を信じればいつか報われる。
そう、信じていた。
「一度しか言わんぞ。よく聞け。二度と姿を見せるな。我が家の総意だ。再度言わせるな」
冷たい声が、豪華絢爛な応接室に木霊する。
ミルテリヌは、父である侯爵から突きつけられた言葉を、まるで他人事のように聞いていた。
美しいブロンドの髪は肩を過ぎ、宝石のような青い瞳は、今はただ冷ややかに周囲を見据えている。
「お前のような出来損ないが、この由緒あるヴァンデル侯爵家にいる価値はない。婚約者のボグジス様も、お前との婚約破棄を望んでおられる」
父の言葉に、ミルテリヌの隣に立つ、金色の髪を持つ美青年ボグジス。
薄く笑みを浮かべて肯定した。
「ああ、そうだ。ミルテリヌ、君には悪いが、僕にはもっと相応しい伴侶がいる」
(相応しい、ね。愛しているとか囁いてたくせに、手のひら返しもいいとこ)
ミルテリヌは心の中で盛大に悪態をついた。
前世は日本で書道教室を開いていた、生粋の現代人。
流麗な筆致で数々の賞を受賞してきた腕前を持つ。
まさかこんな異世界でと、なる。
しかも、こんな形で人生の転換期を迎えるとは、夢にも思わなかった。
この世界に転生して十五年。
侯爵令嬢として何不自由なく育てられた……わけではない。
実の母は早くに亡くなり、後妻とその娘である義妹のリゼリデットは、露骨にミルテリヌを疎んじた。
前妻の子供を露骨に。
父もまた、リゼリデットばかりを可愛がり、ミルテリヌのことは見て見ぬふり。
それでも、いつかは家族として認められたいと、ミルテリヌは耐えてきたのだ。
ボグジスとの婚約だって、決して愛し合って結ばれたものではない。
家柄と家柄の都合。
それでも、婚約者として。
せめてもの、拠り所にと願っていたミルテリヌを、彼はあっさりと切り捨てた。
「ふん、結構」
ミルテリヌは、嘲るように口角を上げた。
「元々、あなたみたいな薄情な男に興味なんてなかったわ。せいぜい、私を追い出したことを後悔するのね」
捨て台詞を吐き捨て、ミルテリヌは応接室を後にした。
侍女たちが憐れむような視線を向けてくるが。
そんなもの、今の彼女にはどうでもよかった。
侯爵家を追い出されたミルテリヌが向かったのは、王都の片隅にある古びた宿。
所持金はわずか。
頼れる人もいない。
その瞳には、決して消えることのない強い光が宿っている。
(ここで腐るつもりはない。見てなさい、ヴァンデル侯爵家。あなたたちが私を追い出したことを、生涯後悔させる。何をしても)
宿でしばらくの間、身を潜めるように暮らしていたミルテリヌ。
ただ、じっとしているような性分ではない。
前世で培った書道の腕。
この世界では、全く役に立たないと思っていたが、意外なところで注目を集めることになる。
ある日、宿の主人が困った顔で話しかけてきた。
「実は、近々開かれる王国の祭りで、飾り付けの文字を書ける人を探しているんだが、なかなか見つからなくてね……どうしたものか」
ミルテリヌは、ふと閃いた。
この世界には、筆というものが存在しない。
文字は魔法で刻むか、職人が彫るのが一般的だという。
もし、自分が筆で流麗な文字を書けば、それは唯一無二の技術になるのでは?
「私が書きましょう」
宿の主人は目を丸くした。
「お嬢様が?そんなことができるのですか?」
「ええ、まあ。ちょっとした趣味で」
ミルテリヌはそう言って。
宿にあった、鳥の羽根と墨汁のようなものを使って、試しに文字を書いてみた。
その流れるような美しい筆致に、宿の主人は息を呑んだ。
祭りの飾り付けの文字は、ミルテリヌの独特な書体で彩られ、人々を魅了した。
その後、頼まれることになる。
さらに、さらにと。
書けば書くほど、その評判は瞬く間に広まり。
「あの美しい文字を書くのは誰だ?」
と、噂されるようになった。
そんな中、ミルテリヌは一人の男性と出会う。
王国の騎士団長を務める、漆黒の髪と鋭い眼光を持つ、シュージル。
彼は、祭りの警備中にミルテリヌの書を目にし、その力強い美しさに心を奪われたのだと押しかけてきた。
「あなたの書は、まるで生きているようだ。一体、どのようにして書くのですか?」
シュージルの問いに、ミルテリヌは少し警戒しながらも、筆という道具について説明した。
彼は、ミルテリヌの才能に強い興味を示し、何かと気にかけるようになる。
最初は警戒していたミルテリヌも、シュージルの誠実で優しい人柄に心を開いていく。
彼は、ミルテリヌの過去については深く詮索せず、ただ彼女の才能を認め。
支えようとしてくれた。
一方、ヴァンデル侯爵家では、ミルテリヌを追い出したことを後悔し始めていた。
ボグジスと婚約したリゼリデットは、傲慢でわがまま放題。
侯爵家の評判は下がり、ボグジスもリゼリデットの扱いに手を焼いていた。
そんな折、王国の貴族たちが集まる夜会で、ミルテリヌはシュージルと共に現れる。
美しいドレスを身にまとい、自信に満ちた表情のミルテリヌは、以前の陰鬱な少女とはまるで別人。
彼女の隣には、王国の英雄と称されるシュージルが寄り添っている。
侯爵夫妻とリゼリデット、ボグジスは、ミルテリヌの変貌ぶりに言葉を失う。
特にボグジスは、ミルテリヌの美しさと、彼女が男性と親密にしている様子を見て。
激しい嫉妬に駆られた。
「ミルテリヌ……まさか、あなたがこんなところに」
ボグジスは、かつての婚約者に声をかけた。
よくかけられたものだ。
ミルテリヌは、冷たい視線をボグジスに向けた。
「あら、ボグジス様。ごきげんよう。まさか、こんなところで再会するとは思いませんでした」
その声には、かつての面影は微塵もなかった。
当たり前だろう。
「君は……その、ずいぶんと変わられたな」
言葉を選ぶ。
「ええ、おかげさまで。あなたに切り捨てられたおかげで、私は新しい自分を見つけることができました」
ミルテリヌは、皮肉たっぷりに微笑んだ。
笑みを浮かべたまま、他の貴族達と言葉を交わす。
夜会では、ミルテリヌの書が再び注目を集める。
シュージルは、彼女の才能を高く評価し。
積極的に、他の貴族たちに紹介した。
ミルテリヌの書は、芸術品として高い価値を持つようになる。
彼女の元には、様々な依頼が舞い込むように。
そして、ついにその時が来た。
王国の重要な書状を依頼されたのだ。
その書状は、隣国との和平交渉に関わる極めて重要なもの。
ミルテリヌは、その重責を感じながらも、渾身の力を込めて筆を執った。
「よし!」
昔は散々書いたので筆は滑らか。
「できたっ」
完成した書状は、力強くも優美な文字で綴られ、隣国の使節団を感動させた。
「なんと美しい!」
交渉は滞りなく進み、王国は長年の懸念を払拭することができたのだ。
「ありがとうミルテリヌ殿」
王国の国王が、わざわざ直接言葉をかけてくれるほど。
この功績により、ミルテリヌは一躍、王国の重要人物となった。
彼女の才能は、もはや。
ヴァンデル侯爵家の庇護などなくとも、自らの力で輝きを放っていたのだ。
にーっこりと、思わず笑うのも仕方ないほど、物事が進む。
一方、ヴァンデル侯爵家は、ミルテリヌを追い出したことへの報いを受けることに。
リゼリデットのわがままによって、ボグジスとの関係は悪化。
おまけに、侯爵家の事業も傾き始めていた。
有名だった侯爵家は、その地位を失っていく。
ミルテリヌは、シュージルと共に、その様子を遠くから見守る。
復讐心は、いつの間にか別の感情へと変わっていた。
家族への恨みよりも、今の自分の幸せ。
大切な人への愛情の方が、ずっと大きくなっていたのだ。
ある日。
シュージルはミルテリヌに、真剣な眼差しで告げた。
「ミルテリヌ、私はあなたを心から愛している。どうか、私の妻になってほしい」
告白に胸が高鳴る。
ミルテリヌの瞳には、涙が溢れた。「はい、喜んで」
頷く。
彼はギュッと抱きしめてくれた。
その後、二人は結婚し、家庭を築く。
ミルテリヌは、書家としてだけでなく、シュージルの妻として。
公私ともに充実した日々を送った。
理不尽な理由で家族から追い出されたミルテリヌ。
彼女の書は、王国の宝となり、その名は歴史書に刻まれた。
支えてくれる伴侶もいる。
(元家族のあなたたちがいなくても、私はこうして幸せになった。感謝してあげてもいいよ)
ミルテリヌは、今日もまた、愛する人の隣で人生を力強く歩んでいく。
「よし、今日も書きますか」
彼女の書く文字は、昔よりも魅力を増し、見る者の心を捉えててやまない。
それは、強さと、満ち足りた生涯の証。
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