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ある首相の憂鬱

久々のギリギリ参加です。架空戦記創作大会お題2での参加です。

1939年11月8日、英首相官邸の雰囲気は外側の「霧の町」ロンドンよりもどんよりしていた。

「フランスが非武装地帯へ進駐し、それに激昂したドイツが国境線近くに軍を集結させようとしている」

その事態が出席者たちの口を重くさせていた。イギリスはこの時点でドイツ、日本、オスマン帝国、オランダなどとの「Grand Alliance of Eurasia(ユーラシア大同盟)」と呼ばれる多極的同盟体制を構築していた。だがそれはあくまでも防衛戦争の際にのみ発動されるもので、こちらから仕掛けた時も発動されるものではなかった。

「ドイツからの要求は単純です。『ポツダム体制を破壊せしむることなかれ』と」

外務大臣エドワード・ハリファックスが持参した報告書を読み上げていく。最悪の場合ドイツが予防戦争に突入しかねない、と皆が考えるには十分な内容だった。

もっとも、ドイツの側には彼らの言い分がある。フランスが再軍備を進めれば、矢面に立たされるのは自分たちなのだ。やられる前に動いて何が悪い。先の大戦でドイツの重工業地帯たるルール地方がフランス人に蹂躙された過去をまた繰り返させるつもりか。そして何より、非武装地帯への進駐を阻止するだけなら国際法上正当化されているはずだ。外交文書特有の修辞語を取っ払えばおおよそこのようなことが書かれていた。


ハリファックスが報告を終える。そして閣議は紛糾した。主題はドイツを支持するか、否かである。そしてその人数はともあれ、熱意は少なくとも閣議の参加者の間では拮抗していた。賛成派はドイツとの同盟を遵守するべきと考え、あるいはフランスの政治体制に危機感を抱いたものたちによって成り、反対派はドイツを強大化させすぎる危険性、そしてイギリスには戦争の準備ができていないことをもって根拠としていた。

賛否両論が飛び交う中、ネヴィルの脳裏に思い浮かんだのは、彼の父の顔であった。思い起こせば、ポツダム体制に至るまでの国際情勢は、彼の父ジョセフ・チェンバレンの構想した英独同盟がなければだいぶ変わっていたに相違ない。

いつしか、ネヴィルは全ての始まりに思いをはせていた。それは今から35年ほど前の事だった。

オースティン・チェンバレンは大英帝国にもはや「栄光ある孤立」を維持するだけの国力がないことがわかっていた。そこで彼が選んだのがドイツ帝国だった。当初は英独双方にこの同盟に対して忌避感があったのは事実だ。だがとくにこの同盟に反対していたビューロー外相に同性愛の疑惑が出され、反対派が口をつぐんでいる間にことが進んだ。さらにこの同盟には、露仏同盟へのさらなるカウンターとして第3の勢力として大日本帝国が加入してきた。


黄禍論の舌の根も乾かぬうちに黄色人種国家たる日本と同盟したドイツを露仏は「エゴイストの国」とののしり、軍拡に励む。そのため1904年に予定されていたロシアの極東進出が見送られたほどだ。

そして勃発した1909年の大戦。さらなる英独の関係強化を恐れた仏露がバルカン半島の混乱に乗じて状況を覆そうとして、失敗した戦役。結果この戦いは日英独に加え、オーストリアやルーマニア、オスマン帝国も参戦した大同盟陣営の勝利に終わった。結果としてポツダム体制が固まり、新しい国際秩序が定まった。だがその枠組みはいま、破れようとしている。


そこでネヴィルの思考は途切れた。別の報告書を手にした人物が閣議の元に入ってきたのだ。

「どうしたかね、ラムゼイ君」

と呼ばれた外務政務次官のアーチボールド・ラムゼイは汗をスーツの袖でぬぐいながら報告書を読み上げた。

「はっ、合衆国のスメドレー・バトラー大統領が緊急演説を行いました。『すべてのフランス人が帝国主義国家の横暴におびえずに生きていけることこそが平和である。この平和を乱さんとする横暴なる国家の行いに我々は中立でもって応じることはできない。横暴を生み出している国家を感染症の患者のごとく隔離せよ』と」

再び会議室はざわつき始めた。ドイツの行動の賛成派も反対派も、米国が干渉してくるのは想定外だったのだ。ドイツの強大化を恐れていた者たちは米国が出張るならばドイツとの協力も必要かと考え直し始めたし、賛成派たちもフランスの背後に米国が出張ってきた場合戦略を考え直すべきではないかと考え始めていた。

しかしそのざわつきは、ばたりという音とともに途切れた。

閣議の主催者、ネヴィル・チェンバレンが気絶したのだ。


それから1か月も経たない1939年12月3日、非武装地帯からの退去を命じたドイツの最後通牒をフランスは拒否。非武装地帯へと侵入したドイツ軍にフランスの非武装地帯の住民が投石を繰り返し、これに激昂したドイツ軍が発砲したことによって新たなる世界大戦が幕を開けた。

「クリスマスまでにケリをつけろ!」

のスローガンとともに。

日英独同盟と聞いたとき、史実でも構想があった1902年ごろの日英独同盟以外にもやりようはあったと思いますが時間制限もあって十分に考えられませんでした。今後の展開も決まっているので、続きを応援していただけると嬉しいです。

後本当はナチにびびってるだけじゃない、かっこいいチェンバレンが書きたかったのにどうしてこうなった……

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