5話・愛
亡骸を見下ろす。
俺は……何をした?
決まっている。殺したんだ、目前の男を。
「うぐ……!? は、ぁ……!」
自覚したと同時に動悸が激しくなる。
立っていられなくなり、膝を折った。
溶けたガラスのように歪む視界。
自分が殺したという現実を信じられない。
けれど同じくらい『自分が殺した』自覚もある。
困惑と確信でごちゃ混ぜになる脳内。
ただその渦中で、奇妙な違和感が際立つ。
俺は初めて『人間』を殺した。
動物やモンスターなら経験がある。
しかし人間は初めて――の、筈なのに。
「はっ……はっ……!?」
右手で頭を包む。
頭蓋骨を割られるような痛み。
脳が疼く度に違和感は肥大化する。
「……なんで」
否。それは違う。
大きくなるのは違和感ではなく。
もっと別の感情。
「……ハジメテの、筈なのに」
頭痛が止まらない。
引き起こされるのは――懐かしさ。
まるで、既に人殺しを経験していたような感覚。
命の灯火が消える瞬間を……俺はもう知っている。
「あ、ああ……!」
幻影。
うっすらと見える前世の自宅。
そこには一人の少年が立っていた。
少年は、血塗れの酒瓶を持って――
「がはっ!?」
思考が中断される。
どうやら横から蹴り飛ばされたらしい。
肉体強化も解けていたので簡単に転がされた。
民家の壁にぶつかると、複数の声が聴こえる。
「コイツだ! コイツがお頭を殺したんだ!」
「嘘だろ? ただのガキじゃねーか」
「違う! コイツはガキでも魔法使いだ! 俺は見たぞ! 油断するな!」
「分かった分かった。だから落ち着けって」
茶色のバンダナを巻いた盗賊団が眼前に立つ。
一部の者は俺を警戒しているようだ。
しかし大半はナメた態度で見下ろしてくる。
「まさか頭が殺されるとはな。別にいいけど」
「だな。こんな村で返り討ちに遭う奴がバカだ」
「でもよぉ、次から誰がオレたちをまとめんだ?」
「誰でもいいだろ。とりあえずはこの村乗っ取って、暫く悠々自適に暮らそうぜ」
仲間意識のカケラも無い会話。
頭目を殺したところで止まる連中じゃなかったか。
その中の一人と目が合う。
「……ムカつくガキだな。目が気に入らねぇ」
「ジョウ、殺すのか?」
「ああ。一人くらいはいいだろ」
ジョウと呼ばれた男は短刀を抜く。
度重なる衝撃で意識が朦朧としていた。
体に力が入らず、喉も掠れた声を漏らすだけ。
折角覚えた魔法も宝の持ち腐れだった。
「あばよ」
彼は素早く短刀を振り下ろす。
そこに遊び心は一切無い。
速やかに俺を殺したい欲だけがあった。
俺は目を瞑る。
目蓋を開けておくのも億劫だ。
だが……待っても待っても痛みは訪れない。
残った力を使い、ゆっくりと目蓋を開ける。
「げ、げひゅ……」
短刀を持ったジョウの手は動きを止めていた。
見れば下から伸びる突起物に腕を貫かれている。
視線を上げると胴体部分も同じ有様。
「ぎゃあああああっ!? 何だこの蔦!」
「か、絡まる!」
「う……く、首、がぁ……!」
ジョウの背後に控えていた盗賊達は、無数の蔦に体を絡め取られ身動きを封じられていた。
しかも蔦は次々と拘束した者を絞め殺す。
何もされてないただ一人の俺は、盗賊達が死んでいく光景を呆然と眺めていた。
時間にして一分未満。
彼らは一切の抵抗を許されずに息の根を止めた。
「――やっぱり、田舎すぎるとこの手の輩が厄介だね。もうちょっと都会に引っ越そうかな」
「あ……」
ボヤける視界の中で揺れる白。
見知ったローブを羽織るその人物は、盗賊達の遺体を踏み越えて俺の方にやって来る。
そして、互いの視線が交差した。
「し、しょう」
「クオン……全く、キミってヤツは。師匠の言いつけを守らない悪い弟子だね」
はぁ、と短くため息を吐く師匠。
俺は「ごめん」と言うつもりで唇を懸命に動かす。
しかしそれは叶わなかった。
「――でも、無事で良かった。本当に」
「あ……」
師匠に、抱き締められたから。
彼女は俺の顔を胸元に埋め、優しく撫でる。
華奢な体は小刻みに震えていた。
「無茶、しないでくれ。キミはまだ半人前の弟子で、ボクの大切な……息子だ」
「師匠……ごめん」
「謝らなくていい。今は、ね」
「……うん」
抱かれている所為で顔は見えない。
けれど多分、いつもの師匠からは想像も出来ないほど悲痛と安堵で歪んでいると思えた。
暖かい抱擁。
憔悴した体に、彼女の優しさが沁みる。
俺は、親の愛情を知らずに育った。
だから他人の感情に疎い。
でも、今日からその看板は降ろそう。
俺は今、これ以上ないほどの『愛』を受け取っているのだから――
◆
師匠の参戦で襲撃騒動は幕を閉じた。
盗賊は師匠の魔法で全員絶命。
一人残らず仕留めたから報復の心配もない。
改めて彼女の強さを知った。
村人は軽症者多数、重症者と死者も出ている。
ただ村が運営出来なくなるほどは殺されてない。
最も、遺族からしたら関係無い話だが。
因みに俺の傷も軽い打撲で済んだ。
肉体面よりも精神面が心配されたけど、今のところは問題無い。頭痛もいつのまにか治っていた。
……気がかりなのは、あの時見た幻影。
もう内容は忘れている。
思い出そうとしてもそこだけが欠落していた。
あとは――村長さんから師匠共々感謝されたっけ。
俺はともかく師匠は意図的に村人との交流は避けていたのだが、今回ばかりは素直に礼を受けていた。
お礼の品を渡したいと言われたけど、正直欲しいモノなんて無い。村が貧しいのも知っているし。
だから代わりに箝口令を敷いてほしいと頼んだ。
内容は師匠の存在と魔法に関して。
師匠はワケあって社会と距離を置いている。
もし他所から人が来た場合、山に魔女が住んでいることは秘密にしてほしい……というもの。
その程度ならと村長さんも快く了承してくれた。
これにて一件落着。
一時はどうなることかと思ったけど、蓋を開ければ師匠の魔法が全てを解決していた。
やっぱり、魔法ってスゴい。
で――その日の夜。
俺は師匠と同じベッドで寝ていた。
「師匠」
「んー、なんだい?」
仰向けのまま呟く。
「俺、もっと強くなりたい」
「どうして?」
「強くなきゃ、何も守れない。自分も他人も……」
「……ふーん」
今回は運良く師匠の帰りが間に合った。
本来なら死んでいた状況だと考えると背筋が凍る。
師匠の言葉を待っていると、彼女は蠱惑的に囁く。
「そうだねぇ。キミの気持ちは優先したいけど……ボクとの約束を破る悪い子には、まずオシオキしないと」
「え、あ……ご、ごめんししょぐう!?」
「ん……」
留守番を放棄していたことを思い出す。
謝ろうと慌てて起き上がると、師匠は突如俺の両頬を捕らえて自らの顔へ近づける。
そしてあろうことか、強引にキスを交わした。
唇が重なり合うだけに留まらず、ねじ込まれた舌が口内を這い回り唾液を絡め取る。
こ、これがオシオキ……?
何考えてんだこの女。
真紅の瞳を輝かせ、嬉々としながら我が子に等しい弟子の唇を貪る姿はまさにサキュバス。
前世を含めた俺のファーストキスは、淫乱ハーフサキュバスに奪われてしまった……
やがて長い接吻が終わり、互いの顔が離れる。
「ふぅ……」
「ふぅ、じゃねえよ師匠! 色々ツッコミどころがありすぎて何も言えない!」
「いやぁ、悪い悪い。落ち込むキミの顔を見ていたら、つい……ね?」
ウインクして唇を舐める師匠。
いや、そんな夕飯つまみ食いした雰囲気出されても……こういうところはサキュバスっぽい。
「まあ悪ふざけはここまでにして……強くなりたいと言ったね、クオン」
「う、うん」
ジッとこちらを見つめる師匠。
ふざけた空気は消えていた。
俺は目を逸らさずに向き合う。
「いいよ、それがキミの望みなら。ただし一つ、約束してほしい。もう、一人で危ないことはしないって」
胸がズキリと痛んだ。
表情こそ崩れてないものの、揺らぐ瞳や言葉の節々から俺への心配が感じ取れる。
もう、この人を心配させたくない。だから。
「はい、師匠!」
短く、けれど厳粛に宣言する。
返事を聴いた師匠は微笑み、今度は愛おしそうな顔を浮かべて俺の頭を撫でてくれた。
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