19話・雨のち晴れ
ドロンの絶命を見届けてから、数時間後。
俺は探知魔導具も使わずに森を彷徨っていた。
戻る気になれず、かと言って演習に挑むでもない。
完全に精神が宙に浮いていた。
「……冷たい」
やがてざあざあと、雨が降り出す。
曇天だった空模様は完全に雨天と化していた。
冷たい雫が肌を打ち、エネルギーを奪う。
このまま雨晒しになるのはよくない。
帰還までの体力を失う以外にも、風邪を患ったら演習が終わった後にまで影響を及ぼす。
何処か雨宿り出来る場所はないかと探し――
「……どうでもいいか」
その場で木に背中を預ける。
ドロンを殺害した後に押し寄せた虚脱感。
すぐに消えると思っていたが、長年染み付いた油汚れのように離れない。
思えば人を殺したのは十年ぶりだ。
後悔は…………無い。
それだけは断言出来る。
けど俺は殺戮マシーンでも快楽殺人鬼でもない。
少し魔法が使えるだけの、至って平凡な人間だ。
だからこの不快感も拭えずに悩んでいる。
いっそ狂人であれば……と、考えた時。
「あーもう、最悪! どうして今日に限って……私、やっぱり雨女なの――って、クオン?」
「……クラージュ?」
近くの茂みからクラージュが現れた。
いつも学園で見ている制服姿。
しかし今は全身が薄汚れ、至る所に土汚れと葉の切れ端が付着している。スカートも少し裂けていた。
彼女は驚きを隠さずに言う。
「貴方……大丈夫? ヒドイ顔してるわ」
「そうか」
「そうか、って……それより雨! 段々強くなってるし、雨宿りしないと大変だわ。さっき小さな洞窟を見つけたから、一緒に行きましょう?」
一応競争相手の俺にも、彼女は手を差し伸べる。
その姿が、とても眩しくて。
つい反射的に拒んでしまった。
「……俺は、いいよ」
「えっ」
「今は、そんな気分じゃない。一人にしてくれ」
「……そう」
「……」
困惑の表情を浮かべるクラージュ。
申し訳ないと思いつつも、手は取れなかった。
居心地の悪い沈黙が漂う。
勢いを強める雨の音だけが鳴り響き――
「やっぱりダメよっ!」
「……!?」
突然、クラージュに手を掴まれた。
振り解く暇もなく、彼女は俺を連れて歩き出す。
湿った土を踏んでブーツが汚れるのも厭わない。
「お、おい……」
「今の貴方は、放っておけない。理由は……あとで話すわ! いいから今は一緒に来て!」
有無を言わせない迫力。
逆らう気力も無かったので、素直に従った。
濡れた髪を上下させる彼女の背中に、かつての師の面影を感じたのは……きっと多分、気のせいだろう。
◆
「ハアッ、ハアッ……間に合って良かったわ」
「ああ。想像以上に降ってる」
いよいよ本降りになった雨。
俺たちはその雨を洞窟の中から眺めていた。
入り口は縦横共に二メートル程度。
奥は暗いので分からない。
「暫くここで休みましょう……んっ、と」
クラージュはポンチョを脱ぎながら言う。
濡れたシャツが透けていたけど、今はそんな事で興奮する余裕もない。視界に収まっているのは偶々だ。
……赤い下着は色白の肌だと目立つなぁ。
あとやはり、彼女の胸は小さい。
良くも悪くも全体的にスラッとしている。
胸部に貧しい分、長い脚が魅力的に映った。
「ほら、貴方もポンチョくらいは脱いだら? シャツはともかく、ポンチョはけっこう濡れちゃったし」
「ああ。そうだな」
「……?」
大袈裟に背を向けてポンチョを脱ぐ。
搾って水気を抜いていると、背後で「ぁ……」と小さい声を聴く。気づいてくれたようだ。
「悪かった」
「べ、別にいいわよこれくらい。でも、その……ありがとう。紳士なのね」
「これだけでそう思われるのなら、得したな」
「素直じゃないわね……」
呆れた風な声と笑い声。
もういいだろうと反転する。
彼女は脱いだポンチョを胸元に抱いていた。
「良かった。ちょっとだけ顔色はマシになったわ」
「そんなに酷かったのか?」
「それはもう。真っ青で、見ているこっちが気の毒になったもの」
苦笑するクラージュ。
無駄な心労を与えてしまったようだ。
気持ちを新たに空模様を伺う。
「雨、やみそうに無いな」
「そうね。けど幸い、日没までにはもう少し時間があるわ。折角だし休みましょう」
言って彼女は膝を山折りにして座った。
いわゆる体育座りの姿勢。
スカートの裾を抑える為か、踵を寄せている。
俺も胡座で腰を下ろす。
お世辞にも座り心地は良いと言えない。
岩肌の冷たさを紛らわす為にも呟いた。
「さっきの……聞いてもいいのか? 俺を強引に連れて来た、理由」
「あー……うん、そうね。貴方の意思を無視したんだし、話すのが道理よね」
彼女は恥ずかしそうに頬を指でかく。
いつもなら無理に話さなくていいと言うけれど、今回は純粋にその理由が気になっていた。
やがて意気込むように息を吸い、吐く。そして。
「………………もう、十年以上前になるかしら」
雨音をBGMに、クラージュは話し始める。
「私、実の親に捨てられたの」
「それは、穏やかじゃないな」
「ええ。当時の私も信じられなくて……でも周りの大人たちは、何も語らずに幼い私を馬車に押し込んだ。殺されないだけありがたく思えって言いながら」
酷い仕打ちだ。
ここで彼女が嘘を言う意味も無いし、当時の心境を思うと居た堪れない気持ちになる。
「追放された理由は、まあ色々あって。その後馬車に乗せられて全く知らない家に預けられたわ――あの夜は、今でも覚えている。多分、一生忘れない」
そう語るクラージュの表情は複雑だ。
忘れたくても忘れられない悲しみと、絶対に忘れないと憤る怒り。二つの貌が混ざっている。
「遠い親戚らしいその家の人達は、私を歓迎しなかった。今日みたいな雨が降っているのに、一日中外に放り出して……開けてくださいと泣き喚く力も無くなった頃、首根っこを掴まれて物置き小屋へ押し込められたわ」
「……」
「結局、最後まで扱いは変わらなかった。私がお金を借りて魔導学園に通うまで、ずーっと……覚えのない私怨を叩きつけられる毎日。だから私、本当は貴族でも何でもないの」
将来の為に、作法だけは覚えたけどね――付け足した言葉に、これまでの違和感が解消された。
要するに彼女は貴族のフリをしているだけ。
精神構造も平民と等しく、金を借りているから半値のビーフシチューにも喜ぶ。
日々を懸命に生きる、普通の少女だ。
「……ちょっと逸れたわ。私が貴方を放っておけなかったのはつまり、過去の自分と重ねたからよ」
「今話した幼少期の?」
「ええ。雨に打たれていた私は、誰にも助けてもらえなかった。昔の私と、さっきのクオン。なんか、似てたのよね。顔つきとか、雰囲気も。ね? 別に大した理由じゃないでしょう?」
くすりと笑うクラージュ。
辛い過去に遭いながらも、負けずに前へ進む。
その笑みは儚くもあり強くもあった。
「あーあ、全部話しちゃったわ! あはは!」
「クラージュ?」
彼女は立ち上がり、両腕を上げて背を伸ばす。
起立の勢いで翻るスカートも気にせず、彼女は勇ましい声と表情で高らかに言った。
「私は絶対、国家魔導師になるわ! そして私を追放した実の親と虐めた育ての親、両方に言ってやるのよ! 私は自分の力でここまで来たぞって!」
「――」
「クオン。貴方がどうして落ち込んでいたのか、詳しいことは聞かない。でもいつか、その悩みは晴れるわ。私じゃ何の保障にもなれないけど、相談相手くらいは務まるつもりよ。だから――」
彼女は再び俺へ手を差し伸べる。
その心は、決して憐憫などではなく。
ただ、隣人を鼓舞する為だけの手。
「元気、出しなさい!」
「……ああ、そうだな」
俺は今度こそ、その手を掴んだ。
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