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10話・あたりまえ、なんて無い

 数ヶ月後。


 魔導学園入学を目前にした今日この頃。

 俺ことクオンは頭を抱えていた。

 原因は、師匠が口にしたとある言葉。


「……もう一度、言ってくれ」

「……うん」


 深刻な顔つき。

 いつもの戯言では無い。

 だからこそ余計、意味が分からなかった。


 或いは――精神が理解を拒んでいる、とも。




「ボクとキミは、今日ここでお別れだ。これからは一人で生きていくんだ、クオン」




 胸に矢が刺さったような感覚。

 俺は本気で夢か現実か区別出来なかった。

 けれど奥底で疼く魔力が逃避を許さない。


 魔力は肉体、そして魂と密接に結びついている。

 故に夢で魔力を感じることはない。

 要するに今起きている出来事は『現実』だ。


「き、急に何言ってんだよ、師匠。もう、明日には王都に向かって出発するんだ。冗談言う前に、荷造りの準備してくれよ」

「冗談じゃない。ちょっと、外せない用事が出来た。多分もう、キミの前には帰って来れない」

「っ……!」


 分かってしまう。

 長く時間を共にしたからこそ、この雰囲気は本気――彼女の言葉が真実だと。


 脳が、心が、魂が告げる。


 自覚した瞬間、ぐにゃりと視界が歪んだ。

 足腰に力が入らなくなり、フラつく。

 師匠が――居なくなる? 俺の前から?


 しかも二度と会えなくなる。

 そんなの、嫌だ。

 俺は断腸の思いで理由を問う。


「……せ、せめて理由を。理由を言ってくれよ! でなきゃ納得出来ない!」

「ごめん。何も言えない」

「な……!?」


 返答は残酷だった。

 終始申し訳なさそうに俯く師匠。

 彼女にとっても想定外の出来事だったのだろう。


「おかしい……こんなのは、現実じゃない……!」

「クオン……」

「師匠は! 師匠は俺と一瞬に王都で暮らすんだ! そうだろ!? そうじゃなきゃおかしい! なのに、どうして……う、く……!」

「ッ、クオン!」


 師匠が俺に抱き着く。

 両腕を背中に回し、強く抱き締めた。

 そして絞り出すように呟く。


「ごめん、本当にごめん……でもボクは、行かなくちゃいけないんだ。例えキミを裏切ることになるとしても、やらなくちゃいけないことがある」

「師匠……」


 掠れた声で愛しい人を呼ぶ。


 突如訪れた、日常の崩壊。

 俺が駄々っ子のように嫌だ嫌だと言い続けても、現実は少しも良くならない。寧ろ師匠を困らせる。


 いっそ、精神年齢も本当に幼ければ。


 何も考えずに嫌なことを嫌だと言える。

 ああでも、彼女の教えを守るなら……素直な気持ちを吐くのは悪いことじゃない。


「……行かないで。行かないでくれよ、師匠」

「……」


 気づいたら、泣いていた。

 涙腺の制御が出来ない。

 決壊したダムのように涙が溢れる。


 その勢いのまま、我慢出来ずに言った。


「師匠には、何のことか分からないかもしれないけど……俺、今の生活が本当に好きだった。ずっと欲しかったものが、全部あったんだ。だから――」

「――ありがとう」

「え……」


 慈愛に満ちた声。

 師匠は抱擁を解き、顔を上げる。

 続く言葉は子守唄のようだった。


「キミとの毎日は、ボクにとっても幸せだった。子育てなんてしたことなかったけど……うん、存外悪くない。自分の意志や技術を後に繋げるのは、長命種には馴染み薄くてさ。だから最初は不安だった。ボクが人間の子を、本当に育てられるのかってね」


 それは初めて聞く彼女の心情。

 俺の前ではいつも明るく、戯けた様子だった。

 けど子育てが困難を極めるのは世界が違えど同じ。


 俺が自由に出歩けるようになってからはともかく、赤子の頃は例え転生者であろうと変わらない。

 相談相手も居ない環境で、師匠は奮闘した。


 心は分からずとも、その姿だけは覚えている。


「でも、杞憂だったね。キミは想像以上に賢くて……得体の知れないボクを親だと思い、接してくれた。こうして別れを惜しむほどに――ボクを、愛してくれた」

「……だから、ありがとう?」

「うん。そうだね」

「――」


 違う。

 礼を言うのは、俺だ。

 真っ先に言うべきだった。


 この別れが、必定のものであれば。

 今日に至るまで師匠から受けた全てに対し、言葉として伝えなくてはならない。


 人として、家族として。


「……師匠」

「なんだい、クオン」


 悲しみを押し込む。

 泣き喚きたい衝動を噛み砕き、飲み込む。

 伝える言葉は難しくも多くもない。


 そうして俺は、万感の思いを込めて言った。




「俺を拾い、育ててくれて――ありがとう」




 風が吹く。

 瞬間、師匠と暮らした十五年間が走馬灯のように脳内を巡った。


 長いようで短い時間。

 一つ言えるのは、俺は間違いなく幸せだった。


「……ふふ。やっぱり良い子だね、クオンは」

「あんたの弟子で、息子だからな」

「言うじゃないか。それでこそ、だね」


 互いに茶化しながら褒め合う。

 こんな事も、明日には出来なくなる。

 あぁ……全部、夢だったらいいのに。


「荷造りを終えたら、今日は静かに過ごそうか」

「だな。いつも通りでいい」


 せめて最後は、普段と同じに。

 また明日から日常が始まると信じて。

 俺は、叶わないであろう希望を胸に抱いた。




 ◆




 翌朝。


 師匠は、居なかった。

 夜中の間に出て行ったのだろう。

 僅かな痕跡も残さずに。


 分かっていた、ことだけど。


「……う、あ。あああぁぁ」


 涙を堪えることは、出来なかった。




 ◆




 ――十一日後。


 春は、出会いと別れの季節と聞く。

 今日のメイジ王国の気候は春と似ていた。

 雰囲気も、非常に似ている。


 王都の西区画に陣取る、メイジ魔導学園。

 その門を目指し歩く、大勢の新入生たち。

 個人差はあれど、皆一様に明るい顔色。


 学園に入ってからは勿論、卒業後の進路にまで夢を馳せている者も少なくない。

 一方の俺は、何の感慨も持たずに歩いていた。


 もし、師匠が居たならば。

 もっと晴れやかな気持ちだったのだろうか?

 益体も無いことを考えつつ、学園へ辿り着く。


 学門を越える直前、本校舎を見上げ呟いた。


「……師匠。俺、今日から学生だよ」


 青空の下。

 生きる目的を見失いながらも、俺の新たな生活が始まろうとしていた――

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