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「―――……夢」


荒い呼吸と共に目覚めた少女ーミリジーヌ・イレ・カノンは、そう呟くと息を吐き出した。

そうして目覚める事は、ミリジーヌにとって珍しくはない、日常の一コマだった。

夢と現実の整理を付けつつ、身を包む柔らかで肌触りの良い寝具からミリジーヌが気怠げに身を起こしたところで、控えめなノックの音が部屋に響いた。


「お嬢様、お目覚めの時間です」


その声が彼女付きの侍女ノエムの声であると、まだ少し靄のかかったような思考の中で認識したミリジーヌは「入って頂戴」と扉の向こうに聞こえるように呼びかけると、扉の向こうの人物は入室の断りと共に扉に身体を滑り込ませ、音もなく閉じた。

「おはようございます、お嬢様」と畏まって頭を下げる彼女に、ミリジーヌは「おはよう」と返し、そのまま「今日の予定は?」と訊ねる。

「お嬢様の本日のご予定は……」と訥々と語って聞かせる侍女に、一日の予定を思い出しながら言葉の終わりを待ち、「では、それに相応しい身支度をお願い」と彼女に命令を下す。

「畏まりました」と返し、動き始めた侍女に身を委ねながら、ミリジーヌは悪夢を忘れる為、今日から通うこととなる学園についての思考に没頭する。


15歳から20歳までの上流階級の子息子女たちが通うチャネモイ学園。

何代も前の勤勉な王女が男尊女卑の思考を変えるため、知識、武力、社交性の優劣を見極め、学徒同士で高め合う事を目的として建てられた学園だという。

クヌイ国各地の上流階級の子息子女達はこの学園に通う事を義務化されており、この学園にいる間は階級の柵は取り払われるという学園独自の取り決めがされている。

その為、普段では関わる事のない派閥の者とも交流出来る、領地を継ぐ前最後のコネ作りの場と認識している貴族たちも多いと聞く。

家格の高い家では学園に通う頃には婚約者が決まっている家が多いが、上級貴族と分類されるにも関わらず、未だ婚約者のいないミリジーヌは、そういった人物たちの格好の獲物なのだと容易に予想出来てしまって、これからの学園生活が憂鬱だと溜息を吐いた。


ミリジーヌは男性が苦手だ。

何故か幼い頃から繰り返し見る悪夢のせいで、ミリジーヌは「男性が不誠実ですぐ裏切る存在」であると認識しているからだ。

結局、悪夢の話に戻ってしまったとミリジーヌが思い始めた頃に、侍女のノエムがミリジーヌの支度という仕事を終わらせ、ミリジーヌを朝食に促した。


「おはよう、ミリィ。今日は素晴らしい日だね」

「おはよう、ミリィ。制服、似合っているわ」

「おはようございます、お父様、お母様」


食堂に入った瞬間にかけられた声に、ミリジーヌはその声が両親のものであると瞬時に判断し、部屋の奥に向けて挨拶をした。

「さ、座って。朝食にしよう」そう言った父の言葉に従い、ミリジーヌは自らの決められた席に着くと、料理が差し出される。

侍従たちが動き終わった事を確認してから、両親たちと共に胸の前で両手を組むと、家長である父が食前の祈りの音頭を取った。


「我等に恵みを与えて下さるウォグノン神に感謝を」

「「感謝を」」

「……では、いただこうか」


音頭を取った父が食事に手をつけるのを待ってから、母とミリジーヌも食事に手をつけた。

ここクヌイ国には、豊穣の神ウォグノンの他にも幾つかの神を信仰しており、食事の前には豊穣の神であるウォグノンに、戦いの前には戦の神アスキに、婚約の誓いを立てる時には慈愛の神ウォジャに、死者を弔う時には死の神イ・シュに…と、それぞれの役割を持つ神に祈りを捧げるのが一般的だ。

数ある神の中でも建国の神リュクシンクは国王の祖先であり、王族は神の血が流れているとされている。

王族は戴冠と共にリュクシンクの名を継承するが、継承しなかった王族と繋がった家系は神家(しんか)として事細かにその血の流れを記録されており、10まで分岐してからは増える事も減ることもしていない。

10ある神家は、王族に流れる神の血を濃く保つ為に徹底的に婚姻を管理されているからだ。

ミリジーヌは15になるまで婚姻をしていない為、5歳になる頃には婚約者が決められる神家は大変そうだなと他人事ながら考えている。

そんな王族や神家を支える為に生まれたのが古参とされる上位貴族であり、大抵の上位貴族達はその立場に誇りを持って日々努めているが、上位貴族達に比べれば新参の下位貴族はその思考も雑多であり、自らの欲を優先し、家を大きく、強くすることを重視する家も少なくはない。

王族と神家を守ることに重点を置く上位貴族の一部は、野心に燃える下位貴族を危険視する見方もあるが、カノン家の当主であるミリジーヌの父は、国を発展させる為にはそう言った考えの者も必要だという考えをしており、王の座を狙うという過ぎた野望さえ持たなければ、カノン家の座を狙っていたとしても問題無いと容認している。

ミリジーヌの父はそれだけ自身の手腕と愛娘の能力を信頼しており、もしそれらを覆してカノン家の座を奪われたとしても、それはその者の能力がカノン家を上回ったとして身を引く事も吝かでないという考えだ。

しかしそれは現当主の考えであり、次期当主であるミリジーヌの考えは少し違っており、ミリジーヌは野望の為に人を裏切るような人物は信用ならないとして、野心の為なら手段を選ばない人物には力を与えるべきではないと考えている。

そういった考え方をするのもよく見る悪夢のせいなのだが……

そこまで考えたところでミリジーヌは最後の一口を嚥下してから優雅に立ち上がった。


「それではお父様、お母様、行って参ります」

「気を付けて」

「いい相手を見つけてくるのよ」

「はい」


家を出て、家紋の描かれた馬車に乗った所で、ミリジーヌは溜息を吐いた。

今までミリジーヌが我儘を言って婚約者を持たずにいられたのは、このチャネモイ学園という最後の砦が存在したからだ。

ここで良い相手を見つけられなければ、両親はきっと無理矢理にでも何処かの子息との婚姻を決めるだろう。

ミリジーヌは学園生活で良い相手を見つけられる自信は無いし、そもそも相手探しで現を抜かすつもりも無かった。

ミリジーヌは誰かと結ばれる気は無いのだ。

ミリジーヌはいずれ現れるであろうまだ見ぬ婚約者に、もう一度大きく息を吐きだした。


……婚姻を決められてしまったその時は諦めるしかない。


ミリジーヌがそう考えながら小さな窓から景色より遠くに思考を飛ばしていると、緩やかに馬車が止まった。

ミリジーヌの家から馬車で10分もかからない距離に存在するチャネモイ学園の降車場は既に多くの人と馬車で賑わっている。

向かいの席に控えていた侍女が素早く馬車から降りると、踏み台を設置し、横に控えた。

婚約者がいれば、ここでミリジーヌをエスコートするのかもしれないが、当然そんな人物は存在しない。

扉の内側に備え付けられた手摺に手を添えながら降りて行く。

1人の時でも優雅に振舞えるよう学んで来たので、その所作は道行く人が見惚れるほど美しい。

行ってらっしゃいませと言う侍女の声を背に受けながら暫く進んだ所で、何やら慌ただしい音が近寄ってくるのに気付いた。

貴族の人間ばかりが通う学園で、そんな音を立てる人物は珍しい。

何事か起きたのだろうかと音の方に注視していれば、その音の主がどうやら自分を目指してきているらしい事に気付く。

風に靡く亜麻色の髪に、女性らしいシルエット。

背丈はミリジーヌの首に届くかどうかといった高さ。

ミリジーヌの目の前で止まった少女は駆けた事で乱れた息を整えると、ミリジーヌを見上げて満面の笑みを浮かべた。

細く整えられた眉、活発そうな形のブルーの瞳、鼻は小さく、唇は薄い。

その少女と目が合った所で、ミリジーヌは嫌悪を薄く表情に浮かべ、言葉を紡ごうと唇を戦慄かせた。

少女は、そんな彼女の様子を気にも留めずに、ミリジーヌの両手を自らの両手で攫い自らの胸の前に引き寄せると、喜色に頬を上気させ口を開く。

そして少女とミリジーヌは同時に音を発する。


「私の運命の人!」

「私、貴女のこと嫌いだわ」



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