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2ー1.うちの店を継ぐ気はあるのか!

秘伝のタレが売りの焼き鳥屋、実は市販のタレを使っていた!?

焼き鳥香りバカが踊る、爆走グルメコメディ!

 割れた窓ガラスの代わりに張られたベニヤ板が、店の様子をいっそう貧相にしていた。

 仁誠は焼き鳥を焼きながら、ベニヤの隙間から元祖屋の方を見た。

 現在、土曜日の昼十二時。稼ぎ時になる時間帯だが、こちらは店の半分がやっと埋まる程度だというのに、あちらはいつ見ても行列だ。


 元祖屋ができたのは、ほんの五年前のこと。焼き鳥専門の居酒屋チェーン店だが、よりにもよって本家やきとりの向かいに出店したのだ。


 店ができた頃、一度食べたことがあるが、食い意地の張っている仁誠でも胃がもたれるほど油っこく、肉の臭みを濃い味で消そうとしている印象があった。なぜ向こうにばかり行列ができるのか、仁誠には分からなかった。


 しかし仁誠の店には、ご飯をたくさんおかわりして満腹でにこにこ帰っていくような学生たちや、子供の口元についたタレを拭ってやる微笑ましい親子の姿や、そういう温かいものがある。そんなかけがえのないものを、仁誠は大切にしていた。


「焼き鳥丼四つ!」


 真実の威勢の良い声に、仁誠は我に返った。


「はいよー!」


 そうだ、今は来てくれているお客さんをもてなすのが最優先だ。

 熱気に目を細めながら、仁誠は炭火の上に一列に並んだ串を見つめる。肉の焼ける音に耳を澄まし、脂の滴る匂いを嗅ぎ、煙の昇り具合を見ながら、一番良い焼き加減を見極める。そして、ここだ! とひっくり返す。ほどよく焼けたら、串をタレに浸し、さらに炭火であぶって完成だ。完成、なのだけれど。このタレがなあ……。


「仁誠ちゃーん! 大変だったわね!」


 ふと顔を上げると、まっさきに茶色いペットボトルが目に飛び込んできた。

 “エハラ万能のタレ”のラベルが貼られた、例の。


「ぎゃああああ!!」


 手元が狂い、あえなく数本の串は棒に振ることとなった。串だけど。

 店内は空いているとはいえ、客が全然いないわけではない。秘伝のタレ目当てに来ている客もいるだろうその中で、カウンターに置かれたそのボトルは異彩を放っていた。


「なんなんなんなんですかそれは!」


 そこにいたのは、近所の美容室の女主人、チエ姉さんだ。間違っても、チエおばさんと呼んではいけない。


「安売りがあたしを呼んでいたのよ」

「ああ、スーパーの帰り。良かった良かった」

「なにが?」


 よく見れば、そのタレはチエのエコバッグの中に入っている物だった。バッグの上半分がめくれて、ボトルのラベルが露わになっている。

 ラベルにはタヌキのイラストが書かれていた。前足で口元を隠してはいるものの、その目はにんまりと笑っている。タヌキの横に、“おうちでも簡単にプロの味!”と書かれている。なかなかの皮肉である。

 それにしても、今ここでそれを見るのは目に毒だ。早くどけてくれないかなあ。


 その時、チエの横から、真実が顔を出してにっと笑った。その手に平たい箱を持っている。


「喜べ仁誠、高級まんじゅうを頂いたぞ」

「ああ、かたじけない!」


 仁誠は真実から箱を受け取った。腕がボトルにぶつかる。しまった、ラベルがさらに自分の方へ向いてしまった。


「本当はね、親父さんの退任と、仁誠ちゃんが店を継いだお祝いにって、買ったつもりだったんだけど。それが、なんだかお見舞いみたいになっちゃったわね」


 そう言って、チエは店をぐるりと眺めた。強盗に入られたのは三日前だ。だが店内には、窓ガラスや壁の至るところに、その傷跡が色濃く残っている。

 チエはふと片手を口に寄せ、仁誠に耳打ちするように声をひそめた。


「この前来た強盗、元祖屋の人だったって本当?」


 その目は同情というより、好奇心に輝いている。噂が広まるのは早い。


「おい、まだか!」


 奥のテーブル席からだみ声が飛んできた。

 二十席しかない小さな店なので、調理場からでも、身を乗り出せば店の奥まで見える。声を上げたのは、競馬新聞を手にした、不機嫌そうな中年男だ。


「すみません、ただいま!」


 真実が返事をして、急いでそちらに向かう。

 仁誠はどんぶりにご飯をよそりながら、チエに話しかけた。


「犯人、まだ分からないんですよ。色々調べてはもらったんですが、証拠がないって言われて」

「それ、相当手慣れてるってことじゃない。やばいわよ、元祖屋」

「だから、まだ決まったわけじゃ……」

「それにね、あの店、お客にこっそり現金を配って、ネットに高評価書かせてるんだって」

「まさかー! そんなことやってたら、大赤字じゃないですか」


 どんぶりの上に、焼き上がった串を二本乗せる。その上からさらに、秘伝? のタレを回しかける。

 チエの前にそれを出すと、彼女の関心は強盗事件から焼き鳥丼へ移った。


「はー、この香り! この店のタレはやっぱり格別ね!」


 立ち上る湯気まで食らうように、チエは焼き鳥にかぶりついた。

 なんで、気づかないんだろう。

 常連さんを騙しているやましさ半分、その疑問がもう半分、仁誠は不思議な気持ちで彼女を眺めた。家でも同じタレを使っているのに。場所が違うと、違う味に感じたりするのだろうか。いやいや。チエはもう長いこと、この店に通ってくれている。全く同じタレを食べ続けていれば、さすがに気づくはずだ。


 そこでふと、仁誠はある考えが浮かんだ。この店で使っているのがエハラ万能のタレだということを、実はチエは知っているんじゃないか?

 チエだけじゃない。他の常連さんや真実も知っていて、暗黙の了解のもとで“秘伝のタレ”がまかり通っているのだ。そうだ、きっとそうだ。


「チエさん」


 焼き鳥に食らいついたまま、チエさんが目だけこちらに向けた。

 自分の考えを確信に変えたいあまり、あろうことか、仁誠は彼女にこう尋ねようとしたのだ。


 うちのタレ、やっぱり、市販のとは違いますかね? ――。


「何言ってんだこの甘ったれ!!」


 タレ!?

「ひええっ!?」


 飛んできた怒声に、仁誠は横っ面をはたかれた気がして震え上がった。

 しかしそれは、彼に向けられたものではなかった。


 声の主は、テーブル席にいた客の一人だった。入り口に近い席だったので、仁誠のところからでもよく見える。

 大学生くらいの男三人組。テーブルの真ん中に地図らしきものを広げて話している。そのうちの一番痩せぎすのメガネ男が、今にもテーブルに顔をつけそうな勢いでうつむいている。

 先ほど声をあげたのは、そのはす向かいに座っている茶髪の男だ。こちらはイスにのけぞるようにして座り、腕組みをしてメガネ男を見下ろしている。


「こっちは同郷のよしみで誘ってやってんだ。ここまで来ておいて、やめたいだあ? ふざけんな。だからお前はモテねえんだよ」

「でも、やっぱり良くないよ。もし本物だったらどうする? 本物の、幽霊だったら」


 幽霊?


 肝試しだろうか。それにしても、このあたりで幽霊が出るなんて、仁誠は聞いたことがなかった。

 メガネ男はさらに言葉を続ける。


「本物な気がするんだよ。だってこのあたり、観光地だって宣伝してる割には町並みがすさんでるじゃないか。商店街は人気なくてシャッター閉まってるし、植えこみが歩道までボーボーだし、見捨てられた街って感じ?」


 テキパキ動き回っていた真実が、ふと動きを止め、メガネ男の方にゆっくりと近づく。

 真実の怒りを察したのか、チエが席から身を乗り出し、彼女の肩をつかんで動きを制した。


「さっき通り過ぎた美容室だって、ボロすぎて誰が入るんだろうって感じだったし」


 チエは真実の肩からそっと手を離し、席から腰を浮かせた。仁誠は無言で手をパタパタさせ、彼女を制する。


「ぶっちゃけ焼き鳥食う気分じゃなかったけど、空いてるのここしかなかったし」


 仁誠の小鼻がぴくっとその言葉に反応した。持っていた鶏皮串がぷるるんと揺れる。


「街がやばいならお寺もやばいって。おれやっぱやだな」


 もしそこで、奥に座っていた中年男が立ち上がらなければ、真実もチエも、メガネ男に飛びかかっていたかもしれない。

 食事を終えた中年男は、上着を着て競馬新聞を折りたたみ、そそくさとレジに向かった。仁誠の立っている焼き場の右側が店の入り口で、レジもそちらにある。


「ありがとうございますー」


 真実はすぐに商売用の高い声を作り、さっとレジに回った。チエは仁誠と目を合わせて肩をすくめ、白飯を口に運んだ。仁誠も串に目を戻す。

 テーブル席で、茶髪男の声。


「ぐだぐだうっせえ、行くっつったら行くんだよ! 甘ったれんな!」


 タレ!!

「ひいいっ!」

「あんた、今日なんだかおかしいよ」


 店から出て行く中年男を尻目に、真実が仁誠に言い放った。



            *



 さてこちらは、“本家やきとり”ののれんをくぐって出てきた中年男。素早くあたりを見回し、道路を渡ると、なんと、そのまま元祖屋の裏手へ回った。


「おい、行ってきたぞ」


 中年男が呼びかけると、勝手口から一人の男が出てきた。

 気弱な人なら、その男を見たら「ひっ」なんて声が出てしまうかもしれない。その眼光は鋭く、眉間の皺は常に深く刻まれており、いつも店員を怒鳴り飛ばしているその口元とあごには、砂鉄のような硬い髭がある。

 彼こそが元祖屋の店長、向井である。


「行ってきてやったんだ。ほら、早くよこせよ」


 中年男は手を突きだし、向井に金をせびった。向井はその手を払いのける。


「話が先だ。どうだった」

「別に、何も」

「タレの味は」

「つまんねえくらい、前と変わり映えしねえ」

「証拠を出せ」


 中年男は、持っていた競馬新聞を広げた。新聞の中に挟まっていたのは、チャック付きの小さな袋。茶色くてとろりとした液体が入っている。男は、本家やきとりで出されたタレを、こっそり持ち帰ってきたのだ。


 向井は袋を受け取ると、ポケットからくしゃくしゃの千円札を取り出し、地面に投げ捨てた。水溜りに落ちて汚れたそれを、男は這いつくばってひっつかみ、いひひと湿った笑い声を立てて、競馬新聞を抱えて立ち去った。

 タレをなめた向井は、眉間のシワをさらに深めた。それはまごうことなき、本家やきとりの秘伝のタレの味だったからだ。


「……おかしい」


 ツボは確かに割ったはずだった。

 予備のタレを別の場所に保管していたのか? いや、そんなことはできない。秘伝のタレというものは、使い続けないと傷んでしまうのだ。熱々の焼き鳥を毎日何本もタレに浸すことで、タレは常に低温殺菌され、何十年も同じものを使い続けることができる。もし冷凍で保管していても、味は確実に変わるはずだ。

 それならなぜ、ダメにしたはずの秘伝のタレが、今ここにあるのか。


「ちっ!」


 向井は袋を地面にたたきつけ、踏みにじった。

 路地の向こうに、本家やきとりののれんが見えた。その店の前では、“秘伝のタレ”と書かれたのぼり旗がはためいている。彼はその旗を鋭くにらみつける。


 ここに元祖屋を開いた時から、本家やきとりは目障りだった。

 営業をしていた頃は、ライバルたちの客を根こそぎ奪って、常にトップの成績を納めていた。

 勝つときは徹底的に勝ってこそ勝ちだと考える向井は、たとえ一人でも他店に客を取られることが悔しくてならなかった。


 他のライバル店を潰すことはできたが、あの店だけはこうして、今も続いている。秘伝のタレを失ったはずの今も、なぜか。


「……あの店、裏があるな」


 彼は確信した。


 本家やきとりからチエが出てきた。その後を追い、仁誠が出てくる。チエが店にカバンを置き忘れてきたので、それを持ってきたのだ。

 彼女に深々と頭を下げ、店に戻ろうとした仁誠が、ふと、向井の方に振り返った。どうやら、見られていたことに気付いたらしい。

 仁誠はにこりと笑って会釈をすると、そのまま店へ戻っていった。

 向井は鼻を鳴らし、自分の店に戻った。

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