その婚約破棄、ちょっと待った!
気持ちのいい風が吹き渡る学園の中庭。
お昼休みの今は、生徒たちが思い思いに過ごしている。
そこに突如、男の大声が響き渡った。
「リーザ!傲慢な君にはもう我慢ならない!私は君との婚約を破棄して、この心優しいエマとーー」
そしてそれに鋭く割って入る声。
「異議あり!!」
男の台詞を遮ったのは私だった。
人様の婚約破棄に割って入ってしまった!?
お弁当箱を持ちお箸を握りしめ立ち上がったまま、しばし呆然とする。
男が大声を出して集めた注目が、今はそれに待ったをかけた私に注がれている。
背中をツッと嫌な汗が流れた。
シンと静まり返った場。
…ちょっっっと、なかったことには出来ないようだ。
……仕方ない。腹をくくろう。
お弁当箱とお箸を、座っていた縁石にそっと置く。因みにお箸っていうのは、遠い国でフォーク代わりに使われている食器の一種で、うちの曾祖母様が…って、今はそんなことは関係無かった。
一つ大きく息を吸って顔を上げる。
「私はその件、大いに異議があります」
大声を出した男の隣には、背が低くてふわふわした柔らかそうな髪の、ちょっと垂れ目で子どもっぽい顔をした少女。
その子を腰にまとわりつかせた…腰にまとわりつかせた男、第六王子をじっと見つめた。
王子も私を見つめ返す。
というか睨み返された。
「何だと!?」
ちょっと怯んだけれど足を踏ん張る。だって、さっきの発言は聞き捨てならない。
少なくとも、これだけはーー
「その子、全然優しくありません!」
ビシッと、絶賛他の女性と婚約中の男の腰に抱きついている、破廉恥な女を指差した。
王子が固まった。
「なん…だと?」
「その子、一度も募金してくれたことありませんから!」
何を隠そう、私は募金委員なのだ。
王子が少し戸惑いを見せた。
「いや、募金くらい…私だってそれほどしていないし…募金したい対象がなかったのでは…」
その言葉を途中で力強く遮る。
「王子は捨て犬保護に募金してくださったではありませんか!しかも結構な額を!」
そう、彼はかなりの額を寄付してくれたのだ。
王子の顔が少し赤くなった。
「いや、それは人として当然というか…どうせもらった小遣いだし…」
あ、照れてる。
でもね
「エマさんは、しませんでしたよ?」
その、人として当然の行為を。
王子がちょっと困り顔になった。怒ってないと結構かっこいいと思う。
じゃなかった。
「いや、他のに募金したってそれはそれでいいと思ーー」
「してません。一切」
きっぱりと言いきってみせた。
だって私は募金委員長。
学内で行われる全ての募金について把握しているのだ。どの募金に誰がどれだけ寄付してくれたかも。
その女は、エマは、入学して以来ただの一度も募金したことがない。
王子が戸惑ったような顔でエマを見下ろした。
「いやまさかそんな…心優しい君が一度も募金をしたことがないだなんて…」
エマは潤んだ瞳で(絶対演技だ)王子を見上げた。
「な、何かの間違い…」
「帳簿、お見せしましょうか?」
嘘は許さない。
「ぼ、募金したい対象がたまたま無かったんです!」
笑止!
私が委員長となってからは、国内全ての募金活動を調査し、様々な対象にピンポイントで募金できるようにしたのだ。
全学生に、妥協なき募金先を!
「ではエマさんは、どんなものになら募金したいと?」
一応聞いてあげようじゃないか。
優しい声で問いかけると、何故かギャラリーの何人かが震え上がった。
…きっと気のせいだ。
「っ…その…環境…とか?」
エマの目が泳いでいる。
「もう少し具体的に言うと?」
口元の笑みが深くなってしまう。
「その…森林保護です!森林保護!私そういうのに凄く興味があって!」
「そうですか。例えば植林とか?」
コクコクとエマが頷く。
「間伐材を使った工芸品の普及とか?」
また頷いた。
「熱帯地方の保護区拡大とか?」
また頷いた。
よし、十分だ。
「そのどれにも募金していらっしゃいませんけど?」
「き、気づかなかったんです!」
へえ…。
「全校集会でアナウンスしたのに?」
「…っ…その…朝はちょっと眠くて…」
「聞いてなかった?」
「はいっ!」
ほう…。
「校内放送だって、よくしてるのに?」
「えっと…多分お友達とのお喋りに忙しくて…」
因みにこの女に友達などいない。
いったい何に対してなら募金するのだろうと、少し観察していた時期があるので知っている。
「掲示板にも貼ったのに?」
「………っ…あまりそういうのは見なくて…」
なるほど…
「校門の前で募金活動だってしたのに?」
「~~~~~っ!気づかなかったのよ!悪い!?」
そうですか。
「エマさんは、森林保護に興味があるんですよね?凄く興味があるのに、そのどれにも気づかなかったんですか?」
気づいたら、いつの間にかエマとの距離を詰めていた。
とても優しい声が出てしまう。
エマの隣で王子が震えているのは、少し風が肌寒い所為だろう。そうに決まっている。
最近、秋の気配が近づいてきているから…。
「そ、そうよ!」
震えながら私を睨み返すエマ。
こちらも秋の気配を感じているようだ。
まぁ秋だろうが冬だろうが、知ったことではない。
大事なのはーー
「なら、あると知ったのだから募金しますよね?」
「………え?」
「森林保護に凄く興味があるのでしょう?いったい、いくら募金して頂けるのかしら?いつも無料で使える学内の紙を、好き放題使っているエマさん?」
「あ…あ…あ……」
エマが涙目でこちらを睨みつけてきた。
ふふふ、いい気味だ。
言い逃れなんてさせない。
笑みを浮かべながらもう一歩距離を詰めると、エマは勢いよく財布を引っ張り出して、中身を地面にぶちまけた。
硬貨が数枚、地面に跳ね返って音を立てる。
「これで、いいんでしょう!?」
そしてサッと身をひるがえして走り去ってしまった。
固まっている王子を置いて。
「………」
地面に落ちた硬貨を、黙って拾い上げる。
…具体的にどれに募金するのか、後で確認しに行かないとね?
王子はまだそこから動かずにいたので質問してみた。
「優しいですか?彼女が?」
「…………………」
黙り込む王子に、ついでなので教えてあげる。
「因みにリーザ様は、捨て犬保護にも野良猫保護にもたくさん募金してくださいましたよ?王子がしていることだからと頬を染めて」
王子がバッと、さっき婚約破棄を宣言しかけたばかりのリーザ嬢を見た。
その視線を受けてリーザ嬢の顔が赤くなる。それにつられてか、王子の顔も赤くなった。
「っ…その…すまないリーザ…私は君のことを誤解していたようだ…」
リーザ嬢に歩み寄る王子。
目を潤ませて手を胸元で組み、それを待つリーザ嬢。
なんだこの茶番。
もう用は無いので背を向ける。
そっちは私の管轄ではないし興味もない。
ただ、これを機に更に熱心に募金してくれるといいなぁ。
そんなことを思いつつ、私はお弁当箱を持ってその場を後にした。
募金を受け取ったのだから、さっさと帳簿に記入しないといけないのだ。
お弁当は委員会室で食べればいい。
◇ ◇ ◇
その後何故か、募金すると婚約者との仲が深まるとの噂が立ち、募金額が倍増した。
意味はわからないけど、よいことだ。
それとエマは、後日募金先を確認するついでに追いつめ…じゃない、問いつめ…でもなくて…ええと……詳しく様々な森林保護の活動について説明した結果、追加の募金をしてくれた。
◇ ◇ ◇
先月の募金の〆が終わって、グッと伸びをする。
人件費がかからないのが、学生活動の強みだ。必要経費は活動費として学園が出してくれるから、受け取った募金はそのまま全額送金できる。だから透明性もバッチリだ。
今回もいい仕事したなー。
と満足感に浸る。
ふと窓から庭を見下ろすと、やけにカップルの姿が目についた。最近、婚約者といちゃつく人が増えた気がする…。
まぁ、仲いいのは良いことだし、羽目を外さなければ別にいいと思うけど。
うん、他人事だし。
ただ…
私には未だに婚約者がいない。
お父様が頑張ってくれているみたいなんだけれど、断られてしまうらしい。
断り文句は決まって、
「お嬢さんには、結婚よりも大事なことがあるようですから」
……………。
べ、別にいいじゃない。
お、お父様だって「目的の為に邁進するのはいいことだ」って言ってたし…。
だから別に、学生の間は婚約者くらいいなくたって…そのうち…なんとか……私だって…………
この時は、三十年後に『募金と結婚した女』なんて呼ばれるとは思ってもいなかった…。