約束じゃぞ
Side メイベリアン
ツェツィが兄上とのお茶会の為に屋敷を空けている間、妾は商談も含めてデュランバル辺境侯爵家の王都の屋敷に訪れる事が多い。
しかし、本日はクロエもリーチェも他の用事があるという事で一緒に来てくれず、久しぶりにハンジュウェルと二人での話し合いになった。
ハンジュウェルはデュランバル辺境侯爵領で試験運営を行っている商会ギルドで、しっかりと才能を見せており、本格始動した際に本部の長として相応しいと今のメンバーには認められているそうじゃ。
しかしながら、王都ではまだアンジュル商会は新参であり、勢いがあるとはいえ、素直に迎え入れられるかと言えば中々に難しいかもしれぬとの事。
しかも、本人が自由に商売をする事を好んでおり、爵位に縛られるのは、と言っているという事もあって、あのツェツィも困っているそうじゃ。
他の貴族を黙らせるには、爵位を持った人間が商会ギルドの長になったほうがよいのじゃが、無理を言ってしまえば長にならずとも好いと言ってしまいそうじゃし、難しい物じゃな。
そんな事を考えながら馬車に揺られて屋敷に到着すると、屋敷の中ではなく、門の前でハンジュウェルが待っておった。
「いらっしゃいませ、メイベリアン様」
「うむ。邪魔をするぞ」
そう言った妾が馬車を降りようとすれば、紳士らしくスッと手が伸ばされてエスコートをされる。
こんな時、妾は愛読する小説に出てくる主人公のように胸をときめかせてしまうのじゃ。
クロエは、ルーカスがあまりにも酷いからハンジュウェルがよく見えるだけでは? と言ってくる時もあるが、否定出来ぬのが悔しいの。
しかし、それでもいつからかは妾にも分からぬが、ツェツィの兄という事を引いても、ハンジュウェルと共に居たいと思っているのは事実じゃ。
エスコートされたまま、いつもの応接室に行くと、妾はハンジュウェルの対面に座る。
それからしばらくは、新しく販売する商品の話や、新しい店舗を作るかどうか、今まで販売している商品を継続して販売するか、期間限定で販売するようにするかなど、細かい話し合いをしていく。
値段や利益の話も絡んでくるが、そちらに関してはどうしてもハンジュウェルの方が頭が回るので、妾は思った事を言うだけになってしまう。
しかし、いつまでも商売の話だけと言うわけにもいかず、しばらくすれば今日の話題も尽きてしまう。
定期的にハンジュウェルに会いたいため、持ってくる話を小出しにしているせいもあるのじゃが、商売の話が終わると、妾はどのような話をしたらいいのかいつも困ってしまう。
ツェツィの話で場を繋げる事が出来れば上出来なのじゃが、今日はどうしたものか……。
考えていると、ふと視線を感じてそちらを見れば、じっと妾を見つめてくるハンジュウェルと視線が思いっきり合ってしまい、思わず顔に熱が集まってしまった。
「メイベリアン様とルーカス殿の婚約は、解消に向けて動いているそうですね」
「そうじゃな。長年兄上に奏上しておったからの」
「次のお相手は見つかっているのですか? メイベリアン様が有責でなくとも、婚約解消してずっと次の相手が見つからなければ、メイベリアン様が悪く言われる可能性もありますよ」
「そうじゃな」
小説の主人公は、こういう時どのような事を言うのじゃったか。
告白すべきか? しかし、ハンジュウェルが妾に特別な感情を抱いていないことは分かっているし、振られたら、妾はしばらくは立ち直れぬぞ?
「実は、ツェツィから聞いているとは思いますが、いずれ本格的に稼働する商会ギルドの長になるべく、爵位を得てはどうかと言われています」
「うむ、聞いておる。兄上は、伯爵位はどうかと言っているそうじゃな」
「まったく、男爵や子爵ならともかく、いきなり伯爵位など、周囲の反感を買うでしょうね」
「う、うむ……」
ハンジュウェルの言っている事は間違いではない。
実家が公爵家に次ぐ権威を持つ辺境侯爵家とは言え、その次男がいきなり伯爵位を持つとなれば、それに見合う実力を示さなければならない。
しかも、兄上は即位してすぐに多くの貴族を降格や爵位返上させている為、反感も多いじゃろう。
もちろん、これまで新しく爵位を与えていないわけではないが、どれもが士爵、もしくは男爵じゃからの。
「ハンジュウェルは、その……嫌なのかの?」
恐る恐る尋ねると、ハンジュウェルは少し考えてから困ったように笑う。
「嫌、というよりは、僕がいきなり伯爵位を得る事により、デュランバル辺境侯爵家の権力が強くなる事で、家族に迷惑がかかってしまう事ですね」
「迷惑?」
「あくまでも、辺境侯爵家は公爵家よりも下であるべきなのです。特に我が家は魔の森と接しているという特殊な環境ですからね。他とはまた意味合いが変わってきます」
「うむ」
「……もちろん、僕がデュランバル伯爵になる『だけ』ならそこまで影響はありません。しかし、ツェツィが正妃になる事で権威は一気に上がります。しかも、僕は商会ギルドの長、すなわち、貴族が独自に行っている事業を掌握するという事になりますね」
「そうじゃな」
「権力が偏り過ぎてしまいます」
ハンジュウェルの言葉に、思わず視線を落としてしまう。
その言葉はまるで、これ以上の権力を拒絶する物のようで、それはすなわち、妾が嫁に入る事を厭っているように聞こえる。
「もちろん、ツェツィの後ろ盾は強固な方がいい。陛下はツェツィ以外の妃を持たないと、父上と『契約』しましたからね」
「そう、か」
「……僕は、伯爵位を得ても拝領する予定はありません」
「そうなのか。いや、そうじゃな。爵位は一代限りにでもする気か?」
苦笑紛れに言うと、ハンジュウェルも苦笑する。
「ツェツィが、僕が領地を持っていなくても、嫁いでくる相手が領地を持っていれば問題ないと言っているんですよ」
「それはっ」
「そして、気心の知れた相手であれば、僕の嫁に相応しいとも」
ハンジュウェルの言葉に、期待がこみあげてきて視線を上げた。
しっかりと妾を見ている視線に、思わず心臓がドクリと高鳴った。
「権力目当ての令嬢なんてまっぴらごめんなんですけど、そうじゃない相手のお断りの仕方は、生憎詳しくないんです」
「こ、断りたい相手が、居るのかの?」
「いえ? そんな事はありませんよ。ただ、仲がいいなぁとは思っています。それこそ、何にどう嫉妬したらいいか分からないぐらいに」
そう言って笑うハンジュウェルに妾は、ぐっと扇子を握る手に力を込めた。
「それで、色々考えたんですが……。伯爵位、貰っておこうかと思います」
「真か!」
「ええ、あくまでもデュランバル辺境侯爵家の分家になってしまいますが、『最低限』伯爵位は必要ですからね」
そう言ってにっこりと微笑まれ、妾はポッと顔を赤くしてしまった。
「けれども、実際に動けるのは、ちゃんと相手の問題が解決して、僕が授爵してからになりますから、まだ時間がかかるでしょう」
「そうか」
「まあ、焦って事を仕損じるような事はよくありませんからね」
「うむ。しかし、進む時は一気に物事が進む物じゃろう?」
「そうですね。場合によりますが、それも全てはそこまでに至る努力の結果ですよ」
妙に大人びたように言うハンジュウェルに、妾はただ頷いた。
兄上の為に、政略結婚をする事は幼い頃は光栄な事だと思っていた。
姉上達ではなく、妾が兄上の役に立てるのだと誇りであった。
しかし、実際に婚約をしてしまえば、それは苦痛でしかなかった。
兄上の為と自分に言い聞かせても、それでも婚約を無かった事にしたいという想いが強くなっていった。
それに伴い、ハンジュウェルに対する思いも強くなっていった。
メイドが勧めてくる恋愛小説には、悲恋を題材にした物もあって、それを読めば自分の置かれた状況に思わず重ねてしまう。
しかしながら、兄上やツェツィの働き掛けもあって、妾は悲劇の主人公にはならずともよくなりそうじゃ。
何よりも今、ハンジュウェルははっきりとは言っておらぬが、遠回しに妾を受け入れる心づもりであると言ってくれた。
「ハンジュウェル」
「はい」
「妾は、今まで以上に努力をしようと思う」
「では、僕も負けてはいられませんね」
「ひ、ひとツだけ、ヤくそくを、して欲しいのじゃ」
「なんでしょう?」
「その……。その時になったら、わ、妾からではなく、兄上からの勅命でもなく、ハンジュウェルから、妾にっ……その、ちゃんと言って欲しいのじゃ」
「もちろんですよ。我が家は恋愛結婚を推奨する家ですからね」
「ソっれは、ハンジュウェルも、そうであるのかの?」
「当たり前ですよ」
にっこりと笑ったハンジュウェルに、妾は赤くなった顔を隠すように扇子を広げて顔の前に広げると、吊り上がってしまう口元を抑え込むのに神経を集中させた。
◇ ◇ ◇
Side ハンジュウェル
メイベリアン様が帰ってからしばらくして、入れ替わるように帰って来たツェツィを出迎えて、いつもと変わらない一日を過ごす。
ツェツィが提案した商会ギルドの長になるべく動いている身としては、実はこんなにのんびりすることは出来ないのだけれども、そこは今の仮の商会ギルド長がうまく調整をしてくれているし、アンジュル商会の職員も気を利かせてくれている。
飛ぶ鳥を落とす勢いで拡大しているとはいえ、アンジュル商会は商会としてはまだ新参。
多くの貴族や平民の支持を得ているとはいえ、油断をすれば他の商会にあっという間に食われてしまう可能性だってある。
なんといっても、ツェツィ自体がある程度のレシピや作成方法を秘匿しない方針という事もあり、真似しようとする所は多い。
それでもブランドとして確立しているのは、ツェツィの指導がいいからだろう。
妥協を許さない一定の品質を維持しなければ意味がないというスタンスは、商人として素晴らしい物だ。
初めは子供の遊びだと相手にされない事も多かったが、父上の力添えもあってここまで来た。
ツェツィの為にも、そして、メイベリアン様の為にも、もっと努力しなければいけないな。
そこで、顔を赤くしたメイベリアン様を思い出して、自然と笑みが浮かんでしまう。
最初は第三王女として接していたし、それがいつの間にか妹のように感じて、最近では向けられる視線に妹のように見る事は出来なくなった。
「まいったな」
いくら恋愛結婚が推奨されている我が家とはいえ、僕の一番はいつだってツェツィだったから、こんな気持ちが芽生えるなんて思ってはいなかった。
兄上も、こんな気分だったのかな?
……うーん、また少し違うか。
さて、ツェツィの誕生日が終わったら先に戻らなくちゃいけないし、やることが多いなぁ。
自分で受け入れた事だから、嫌だっていう気持ちは一切ないけどね。
しばらくの間、顔を見る事が出来なくなるのは、残念だなぁ。