研究馬鹿怖い
「ふーん、平民の生活を長期休暇の間させても、メイジュル様達は変わらなかったの」
「そのようだ。むしろ、悪化したかもしれない」
「悪化?」
グレイ様の言葉に、わたくしは首を傾げる。
なんでも、西の辺境領に行かされたのは、グレイ様がメイジュル様に嫉妬したせいで、メイジュル様の人気を落とすために画策し、なんだったら命を失っても構わないと判断していたと思い込んでいるそうだ。
ルーカス様とラッセル様も、メイジュル様に巻き込まれただけで自分は悪くないと思っていて、王都に戻って来てすぐに元の生活に戻すように家の人に命令をしたそうだ。
まあ、あの三人が更生するとは思ってなかったけど、悪化するとはちょっと予想外だわ。
「どうするの? このままじゃ乙女ゲームが始まる前に順調に婚約解消出来そうだよ? わたくしはそれで満足だけど」
「それも一つの解決策だな。それぞれ後任の準備が整い次第、手続きが行われるだろう」
「よっしゃ! リアン達が喜ぶわ」
「円満に解消させるには、メイジュル達が不慮の事故に遭うか、静養が必要になるかなんだが、どっちがいいものか」
「どっちでもいいけど、リアン達に迷惑がかからない方にして欲しいわ」
「それはもちろんだ。ツェツィの大切な人だからな」
グレイ様はそう言ってわたくしの頭を撫でる。
それにしても、新学期になって久しぶりに見たメイジュル様達は、確かに髪の艶は無かったし、頬もげっそりしていたし、肌もボロボロ、何キロやせたのって思うほどにやつれていたわね。
今は必死に元に戻ろうとしているみたいだけど、そんな風貌も相まって、今まで以上に人が寄り付かなくなっている。
いや、だって普通に怖いもん。
あの顔と身分にすり寄っていた令嬢達も、今は距離を置いているみたいだね。
まあ、メイジュル様から呼び出されたら、渋々っていう雰囲気はありつつも、媚びた様子で侍ってるけど。
それにしても、乙女ゲームの前に婚約解消になれば、万々歳だね。
世界の強制力に勝てるかもしれない。
しっかし、メイジュル様達にも困ったものだよね。
どうやったらあんな性格になっちゃうんだろう?
「ハン兄様の商会ギルドの長への就任は、いつ頃がいいかしら? 実績があっても若過ぎたら流石に反感が出ると思うのよね」
「そうだな。あと二年は試験期間だし、その後数年今の長に任せて、その後譲るという形が一番いいだろうな」
「うーん、そうなると微妙に乙女ゲームの期間に被りそう」
「爵位を与える事に関しては根回しはしておくが、爵位を下げるのならともかく、新しく与える、しかも伯爵位でメイベリアンの婚約者にするとなると、穏健派の貴族であっても多少文句が出る可能性があるからな」
「はぁ、面倒くさい。クロエの方はどうなの?」
「メイジュルの離宮の地下にあったスライムを、王太后殿の実家ぐるみで隠していたと書類を捏造しておいた」
「うわぁ……」
「そもそも、あの離宮の使用人はあの家の息がかかった者ばかりだから、あながち間違いではないぞ」
「それを理由に今すぐ婚約解消は出来ないの?」
「スライム如き、子供の玩具だろうというのが今のところの言い分だな。苗床にされた令嬢の遺骸でもあれば話は別だったのだが、生憎なかったそうだ」
「むぅ」
「メイジュルが離宮で貴族と謁見する場合は、私の影が監視することにはなった」
「それだけぇ? もっとざまぁな姿が見たいんだけど」
「しいて言うのであれば、王太后殿の実家の力をそれなりに削ぐことは出来たな。王太后殿もいないし、もともと近しい親族が重要役職に就いていないこともあって、王宮内での影響力はそこまでない。メイジュルの後見人という事で、まだ勢力を保っているようなものだ」
「はーん。でも、それだとクロエとの婚約解消に固執して頷かなくなりそう」
「そこだな。あの家は権力や富に執着しているから、ごねるだろう」
「だめじゃないのっ」
わたくしは思わず眉間にしわを寄せてしまう。
「ハウフーン公爵家も対策をしていないわけじゃない。地道ではあるが、相手の弱みを握って行っているし、他の貴族を取り込んでクロエールの婚約を解消した方がいいように動かそうとしている。おそらく、気が付いた時には解消せざる得ない状況に陥れるだろうな。それがハウフーン公爵のやり方だ」
「時間がかかりそうね」
「そもそも、王侯貴族の婚約は契約だからな。一度結んだ物をそう簡単に解消や破棄出来る物じゃない。複雑な利権や縁故が関わってくる」
「そうだけどさぁ」
特にリーチェはその縁故とやらで苦しんでいるんだけどなぁ。
パイモンド様の養子の話は、前提が優秀な成績と品行方正な態度で学院を卒業する事だから、前倒しもなかなか難しいのかもしれない。
まあ、リーチェが色々動いているけど、リーチェの親類関係なら話は通りやすいかもしれないが、なんせパイモンド様が養子に入る予定の家はリーチェの家とは無関係の家。
話を通すのも難しいのだろう。
そう考えると、やっぱり希望は見えるけど乙女ゲーム開始まで婚約解消は難しいのかな?
これはやっぱり強制力の一つなのかなぁ。
そんな事を考えながら、どら焼きを食べてモグモグとしていると、グレイ様がふと遠くに視線を向けた。
なんだろうとそちらを見ると、学院の魔法教師の姿があって、あらまぁ、と目を瞬かせてしまう。
「影がこれだけいるのに、あっさり転移してくるとは」
「転移防止の結界でも王宮に張っておかなきゃ無理じゃない?」
「そんな魔法はない」
「じゃあ、あの人達の行動を止める事は誰にもできないわね」
「ツェツィの後ろ盾としては最高だが、厄介だな」
グレイ様はそう言いながらも、ニコニコとした顔で近づいてくる教師を見て笑みを浮かべる。
わたくしも姿勢を正して、どら焼きをお皿に戻して微笑みを浮かべた。
「お楽しみのところ申し訳ありません。ツェツゥーリア様にどうしてもお尋ねしたい事がありまして」
「まあ、わたくしにですか?」
「はい。先日ご提出いただいた『魔法陣』ですが、補足説明として一緒に提出していただいた論文の数カ所に、気になる箇所が」
「どこでございますか?」
「はい、こちらの…………………」
教師、もとい、『塔』の重鎮はそう言ってどこからか分厚い論文を取り出し、わたくしを質問攻めにしてきた。
ほとんどが、魔法陣に組み込んだ呪文の順番だとか、魔力循環効率だとか、発動までの時間だとか、持続時間だとか、威力調整だとか、そもそも、魔法陣という概念をどのように思いついたのかというような物だったけど、やっぱり学院では聞けないと思ってここに突撃して来たらしい。
我が家に来てもよかった気がするんだけど、何ゆえにグレイ様とのお茶会を狙ってきたのかなぁ?
しっかりと説明したり、自分でも自信がないところは勘という事で乗り切った。
実際、魔法にはイメージが重要なので、勘でも案外納得されたりする。
そもそも、わたくしが作った魔法陣は本当にアニメとかに出てくるテンプレ的な物で、いくつか円形を重ねて、そこに呪文を書き込んでいくというスタイルの物。
魔道具に似たところがあり、自分が持っている属性でなくても魔法を発動する事が出来るけれども、魔道具とは違い紙に記されているのでコスパがいい。
魔道具と違って魔力を込めて作っているわけではないので、魔法士が作らなければいけないという事も無いしね。
作るにはそれなりに魔法の知識は必要になるけど。
「ふむ。大体理解しました。しかし、改善点がまだまだありますね」
「そうですね、あくまでも素人の作った物ですから」
「しかしながら、ツェツゥーリア様のアイディアは素晴らしいものです。この『魔法陣』は今後の魔法の発展に於いて重要な物になってくるでしょう。もっとも、この『魔法陣』を使いこなすにはそれなりの知識が必要になりますね」
「そうですか?」
「はい。なんといっても、この『魔法陣』に記載されている内容を正しく理解出来なければいけませんから」
「そう言われたらそうですね」
呪文だけであれば、その属性を持っていないと使えないし、魔道具はそもそもどんな効果があるのか、使用する前にイメージが浮かぶ。
でも、魔法陣はそうではない。
確かに言われた通りに、使いこなすには知識が必要になってしまう。
しかも自分の持つ属性以外の知識となれば、分からない事が殆どだろう。
そう考えると、あまり有効活用は出来ないかな?
でも、魔法の今後の発展に重要な物になるって言われたし。
「この『魔法陣』の研究については、『塔』で引き継ぎますが、またご質問に伺っても?」
「あ、はいもちろんです」
「それは何よりです。なに、我々も可愛らしいツェツゥーリア様を、グレイバール陛下に独占されるのはいささか業腹でしてな」
「つまり、あえて私の癒しの時間をつぶしに来たという事か?」
「何をおっしゃいますグレイバール陛下。『いつもは』ちゃんと見守っているにとどめているではありませんか」
「ツェツィの後ろ盾になったとはいえ、あまり大きな顔をしないでもらいたいものだな」
「若いですね。そんな事ではツェツゥーリア様に呆れられてしまいますよ。過度な執着は相手に負担をかける場合の方が多いのですから。寛大でお優しいツェツゥーリア様でも、限界という物もあるのですよ。ましてや、ツェツゥーリア様は『愛し子』ですし」
教師の言葉にわたくしとグレイ様が目を見開いてしまう。
どこでそれを知ったの?
「おや、驚いていますね。こちらも無駄に長い事生きているわけではありませんし、『愛し子』ぐらい分かりますよ。まあ、今回の『愛し子」は随分珍しいようですが」
そう言ってクスッと笑った顔に、見た目の年齢以上の深淵を見た気がして、わたくしは咄嗟に扇子を広げて引きつった口元を隠した。
怖いわぁ。だから『塔』の研究馬鹿は厄介だって言われるのよ。
「分かっていると思うが、そのことは」
「言うわけがないでしょう。我々が総力を挙げてもあれらに勝てるわけがない。怒りを買って世界を崩壊させる気はありませんよ」
そっかぁ、聖王と魔王が怒ると世界が崩壊するんだぁ……。
そんな気はしていたけれども、改めて言われた言葉に、わたくしは思わず遠くを見つめてしまった。
そうして、ふと視線を戻すと、目の前にいたはずの人物は消えていた。
テーブルの上に置いていた、手土産のどら焼きの山も一緒に。
そういやあの人達、アンジュル商会が販売している料理に興味津々で、常連になっているって聞いた気がするわ。
だからって、勝手に持っていくのはよくないと思うな。
『塔』で研究ばっかりしてて、常識って物をどっかにやっちゃったのかしら?