文官さんの相談事
「ツェツゥーリア様」
廊下を歩いている時に声をかけられ、振り返ると、そこには仲良くなった文官さんが居て、わたくしは首を傾げる。
「どうしました?」
「実はご相談したいことがあるのですが、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「わたくしに相談ですか?」
「はい」
その言葉に困ってしまう。
わたくしは今年十一歳になるとはいえ、今はまだ十歳の子供。
そこに相談と言われても、グレイ様も宰相閣下もいないし、わたくしが何かを言って行動を起こされて、後から責任を取れと言われても困ってしまう。
「どのような内容でしょうか?」
「ツェツゥーリア様が以前おっしゃっていた、スラム街の改善の件です」
「その件ですか」
内務大臣があーだこーだ言って、国土開発大臣が渋っているせいでなかなか動かない案件だね。
「わたくし如きでは、そのような大掛かりな案件に助言を出来るとは思いません」
「何をおっしゃいます! ツェツゥーリア様の提案した内容は素晴らしいものです! ただ、大臣の一部が動かないのが悪いのです」
「落ち着いてください。そのような発言を大きな声で言っては不敬罪に問われてしまうかもしれません」
「申し訳ありません。しかし、自分はスラム街の改善の素案を作り上げたツェツゥーリア様にこそ、意見を聞くべきだと思っています」
困るなぁ。どうしようかな。
「……陛下は、今はお忙しいでしょうか?」
お付きのメイド(影)に尋ねると、少し間を置いてから「ツェツゥーリア様でしたら大丈夫です」と返って来た。
何をした? 今何をした? 誰とどう会話をしていた!?
「申し訳ありませんが、ご存じの通りわたくしは子供ですので、相談にお応えしても責任を取る事が出来ませんし、正しい事を言えるとは限りません」
「そんなことは」
「ですので、陛下とご一緒にその件についてはお聞きしたいと思います」
にっこりと微笑んで言うと、文官さんは目をぱちくりとした後、少し言いにくそうに眉間をしわに寄せる。
「実は、内務大臣から、この件は陛下に伝えるなと……」
「内務大臣が?」
あの老害、何か企んでいるんじゃないだろうな。
「もしそれが事実であるのなら、余計にわたくしだけで聞くわけにはいきません」
「そう、ですか」
「内務大臣が何を思って陛下に言わないようにとしたのかは分かりませんが、わたくしは陛下にもお話しした方がいいと思います」
「しかし」
「大丈夫ですよ。陛下でしたらうまくとりなしてくれます」
腹黒だし。という言葉を呑み込んで微笑むと、文官さんはしばらく考えてから、決意したように「はい」と答えてくれた。
その後、お茶会が終わって別れたばっかりだけれども、わたくしは踵を返してグレイ様の執務室に向かう事にした。
グレイ様の執務室に到着すると、先ぶれで護衛の人を出していたおかげか、すんなり中に入る事が出来て、グレイ様は文官さんもいるせいか、国王としての顔を見せている。
「陛下、お時間を取っていただきありがとうございます」
「ツェツィの為ならいつだってかまわない。それで、そっちの文官がツェツィに相談事があると聞いたが?」
「はい。スラム街の改善の件だそうです」
「そうか。まあ、あの件もそろそろ進めようと思っていたし、ちょうどいいかもしれんな。ツェツィ、こちらへ」
グレイ様に言われて近くに行くと、いつの間にかわたくしが座る為の椅子が用意されている。
いつもわたくしが執務室に来ると用意されているけど、いつも置いているわけじゃないよね?
とりあえずその椅子に座って文官さんを見ると、文官さんは持っていた書類をグレイ様の侍従に渡す。
その書類を侍従から受け取って目を通したグレイ様は、「ふむ」と言ってからわたくしに書類を渡してきた。
見ていいのかな? と視線で問いかけると、いい、と言われた気がしたので目を通せば、予算はしっかりばっちり集まっているのに、やっぱり内務大臣と国土開発大臣が許可を出さないせいで着手出来ないという内容だった。
理由は長々と書いているけれども、要約すると、自分の派閥の貴族にうまみが出ないから、うまみを出そうと工作するまで時間を稼げっていう物だね。
くっだらね。
「わたくしの意見を言ってもよろしいですか?」
「構わない。遠慮なく言え」
「正直申し上げて、このような下らない時間稼ぎに付き合う必要はありません。一部の貴族に利権が行くように画策しているようですが、このスラム街の改善に関しては、寄付をした貴族にその金額に応じてまんべんなく利益が行くように財務大臣が采配しています。この書類の内容は、それに真っ向から対立しているものですね」
「その通りだな。実に下らない。このような事で王都の治安の悪化を見逃すなど、国を導く地位に就く者のすべき事ではないな」
グレイ様が考えを読めない微笑みを浮かべる。
「内務大臣付きの補佐官達も、国土開発大臣の補佐官達も、何度も陳言しているのですが、情けない事に大臣を擁護する者もおり、しかもその者達は我々よりも身分が高く、強く出る事が出来ないのが現状です」
「ひとついいか?」
「はい」
「それで、なぜツェツィに相談しようとした? 私や宰相に言えばいいだろう」
「……恐れながら、自分は一介の文官でしかありません。陛下や宰相閣下に簡単にお目通りできません」
「私に目通りを許している文官や補佐官はどうした?」
「補佐官達は大臣擁護派の補佐官や文官を抑え込んでいます」
「ツェツィに接触した理由は?」
「ツェツゥーリア様は今はまだ辺境侯爵家のご令嬢です。そして、恐れ多い事に今までも何度も言葉を交わしていただいております。なので、自分の身分であっても、今のツェツゥーリア様であればお言葉をかけても問題ないと判断しました」
「なるほどな」
グレイ様は納得したように頷く。
今はまだっていうのは、あれだね、一部の文官や武官、大臣達は認めてないけど、グレイ様がわたくしを正式に娶ろうと動いているって、ちゃんと理解しているっていう事だね。
仮婚約もしていないけど、仮であっても婚約なんてことが表ざたになったら、わたくしの動きに制限がかかったり、矢面に立たされるからしていないだけだって、ちゃんと理解しているって事か。
「ツェツィ、愚か者達を黙らせるにはどうしたらいいと思う?」
黙らせるねぇ。あからさまな不正はまだしていないから、そっちから叩くのは現時点では難しい。
かといって、スラム街の改善案の邪魔をしているのは明らかで、その理由が自分の派閥の貴族に有利に働かせたいから、かぁ。
それだけの理由で関係する貴族を降格させるわけにもいかないよね。
この資料を見る限り、資金援助はそれなりにしているし。
「そう、ですね……。陛下は、メイジュル様達の再教育にあたって、市井の暮らしを体験させるという物を考えていますよね」
「ああ、引き取り先がやっと見つかったからな」
「それを真似して、というわけではありませんが。内務大臣や国土開発大臣、そして彼らに賛同する補佐官や貴族に、実際にスラム街での楽しい実地体験をしていただいては如何でしょう。もちろん、お仕事もありますのでメイジュル様達のように数ヶ月というわけではなく、数日……、一週間ぐらいはどうですか?」
「ふむ。そのぐらいであれば仕事を詰めさせればなんとかなるか。出来ないようであればそれはそれで失脚させる理由にもなる」
わぁい、どっちに転んでもいいように考えているどころか、むしろ失脚させようとしてるってわかるわ。
文官さんはその後も、内務大臣と国土開発大臣が如何に自分の派閥の人間を優遇し、自分達に利益が出ようと動いているかを説明してくれた。
グレイ様はそれをしっかりと聞き、時に質問をし、なんだったらわたくしにも意見を求めてくる。
こうね、あからさまな不正はしていないけど、ぎりぎりグレイゾーンを行ったり来たりしている感じなのがいやらしいね。
貴族だから、自分の派閥を優先させるのは当たり前って言われたらそれまでだし、身分がある以上、下の人間が上の人間に強く言えないのも事実。
それがこの国の常識でもあるから、それの何が悪いって言われたら、こちらから強く言う事も難しい。
でも、そのせいで仕事が滞るのなら話はまた変わってくる。
内務大臣も国土開発大臣も、他の大臣よりも国の発展に重きを置く仕事をしなければいけないのに、私欲のためにそれを疎かにしたとなったら、失脚させる理由の一つになる。
そこに、グレイ様の言う『ちょっと仕事を詰めただけでこなせない無能』となれば、年のせいで処理能力が落ちたと判断して入れ替える事も可能になる。
うん、色々話して結局はその方向に持っていく事になったけど、なんて言って大臣達をスラム街に追いやるのかと思ったら、『メイジュル達のお手本となる』という建前を使うみたい。
第二王子を平民に紛れさせるのだから、その試験として、選ばれし大臣がそれを試すのは光栄な事だと他の大臣や貴族に根回しをするんだって。
こういう根回し、噂を広めるのと似ているけど、腹黒のグレイ様や文官の人達の得意技。
なんせ大臣や補佐官達は権力はあれども、人数は文官さんの方が多いからね。
貴族も、最近はグレイ様の努力が実って来たのか、穏健派というか、貴族の血筋を重要視しつつも、実力主義も認める派閥も増えてきている。
流石に、今の時点で長子継承まで撤廃すると、自分の傀儡になる跡継ぎを選ぶ馬鹿も出る可能性があるから、それは出来ないらしい。
長子っていうだけで、学院では他の子供よりも厳しい課題が出されたりするしね。
文官さんはグレイ様と打ち合わせをして、今後どのように動いて、仲間にどういった話を広めるか決めた後、執務室を出て行った。
残されたわたくしは、グレイ様になぜか頭を撫でられる。
なんだろう、と思ってグレイ様を見ると、優しい微笑みを浮かべていたので思わず顔が赤くなってしまう。
「ツェツィが正しい行いをしていれば、おのずとこうやって優秀な者は付いてくる。これからも、存分に動いてくれ」
「よく分からないわ」
「ふっ、ツェツィの優秀さは、分かるものには分かるという事だ」
その微笑みに、気恥ずかしくなって視線を逸らすと、宰相閣下が(実はずっと居た)優し気な視線を向けてくれていた。
いや、貴方はわたくし達を微笑まし気に見る前に、自分の息子をどうにかすべきなんじゃないの?