不名誉な噂
Side ルーカス
「この愚か者が。メイベリアン様への暴言、許されるものではないぞ」
婚約破棄を宣言したその日の夜、遅くに帰って来た父上に呼び出され、遅い時間だというのに座ることも許されずに執務室で父上の前に立っている。
「如何に父上のご命令とはいえ、あのように傲慢な者を妻にするなど、無理な話だったのです。この時点で婚約破棄出来たのは幸いでした」
「婚約破棄など出来るわけがないだろう。そもそも、お前が婚約破棄を言い出すなど、ありえん。聞いているぞ、メイベリアン様という婚約者がいながら、下級生の男爵令嬢と親密なのだそうだな」
「それは……いえ、それは関係ありません。私は今回つくづく彼女の傲慢さに嫌気がさしたのです」
「嫌気を差されたのはお前の方だ」
「は?」
父上は何を言っているんだ?
「お前とメイベリアン様が婚約を続けられるよう、私がどれだけの苦労をしたと思っている」
「どういうことです?」
「メイベリアン様が、お前に婚約破棄と言われたと、嬉々として言いにいらっしゃった。陛下の顔を立てて条件を呑むのであれば、婚約を継続しても構わないと言ってくださったのだ」
「そんな! 生意気にもほどがあります! 婚約を続けたいのなら、あちらが頭を下げて許しを請うべきでしょう!」
「そんなわけがあるか! お前はどこまで愚かなのだっ。メイベリアン様の慈悲によって、今回の婚約破棄については、子供の戯言としてくださったのだぞ」
「戯言などではありません。あのような傲慢な人間を我が家に迎えるなど、承服しかねます」
この家に嫁いできたが最後、我が家の全てを食い物にされるに決まっている。
この家を守るものとして、それだけは阻止しなければいけない。
そう主張したのに、父上は私の言葉を馬鹿にしたように笑い、一ヶ月の謹慎を言い渡してきた。
しかも、その間は家庭教師を付け、私の根性を叩き直すなどと言ってきて、私は怒りのあまり部屋に戻って、クッションを何度も叩きつけた。
この家を守る為に私は行動しているのに、なぜ分からない。
宰相まで上り詰めた父上は、もしや下らない貴族に何か吹き込まれたのではないだろうか。
そんな事を考えながら、執務室を出る際に渡された紙を見る。
それはメイベリアン様から新しく、婚約を続けるにあたって追加された条件が書き出されている。
何が必要最低限の付き合いを求める、だ。
婚約者の義務を怠ればその度に慰謝料を求める、だ。
しかも、もし結婚したら別邸を作って別居だと? ふざけるのも大概にして欲しいものだな。
しかし、一ヶ月も学院を休むことになるなど、私の素晴らしい経歴に傷がついてしまう。
父上は家庭教師を付けると言っていたが、そう言う問題ではない。
休んでいる間に、あの傲慢なメイベリアン様が私の悪口を広めたらどうするつもりなんだ。
それに、一部の令嬢からメイベリアン様達がいじめを行っているという訴えもある。
生憎証拠はつかめていないが、複数の証言があるんだ、間違いないだろう。
しかし、メイジュル様には困ったものだ。
数多の令嬢をとっかえひっかえと引き連れて、第二王子という自覚がないのか?
あんな人の側近など、父上の命令でなければやらないのに。
第二王子の側近ともなれば、将来有利になると思ったのに、あんな暗愚では私の役には立ちそうにないな。
もうすでに素性の悪い貴族と交流があるというし、見切りを付けた方がいいと父上に言うべきか?
そもそも、同い年というだけで、優秀な跡取りをあんな暗愚の側近に起用したのが間違いだったんだ。
ラッセルは剣術馬鹿だし、どいつもこいつも役に立たない。
一ヶ月の間、謹慎という名の詰め込み教育をされた。
母上に会う事も出来ず、食事は部屋で一人きりで食べさせられ、友人に手紙を送ろうにもそれすら禁止されてしまった。
やっと謹慎が終わり、社交シーズンに入っていたこともあり顔を出した狩りで、メイジュル様やラッセルと久しぶりに会った。
どちらも同じように謹慎を出されていたらしく、私が居ない間の学院の状況は分からなかった。
メイジュル様の目を盗んで、格下の貴族の子息を捕まえてこの一ヶ月の話を聞き出したところ、どうやら、メイベリアン様達は婚約解消をしたいと願っているのに、私達が縋っているせいで婚約解消が出来ないなどという、意味不明な噂が出回っているという事がわかった。
私の名誉の為にそんな噂は払拭しなくてはと動いたが、メイジュル様やラッセルが余計な事をするせいで、噂が真実なのではないかと、余計に広まる羽目になり、私達に義務以外で近づいてくるのは、メイジュル様にすり寄る胡散臭い貴族の子女だけになってしまった。
◇ ◇ ◇
Side ラッセル
突然父さんに殴られ、壁まで体が吹き飛び、母さんの悲鳴が部屋の中に響いた。
「旦那様、何をなさるのです」
「このバカ息子のしでかした事を、体で分からせてやったんだ!」
「実の息子に手を上げるなんてっ。この子はまだ子供なんですよ!」
「子供だからといって、やっていい事と悪いことがある。騎士を目指すものが、か弱い自分の婚約者を虐げるなど、あってはならないことだ」
虐げた? 俺は当然のことをしたまでだ。
この俺の婚約者になったにもかかわらず、俺に逆らおうとするあの女が悪いのに、どうして俺が父さんに殴られなければいけない。
ふらつく体を何とか起こして父さんを睨みつけると、体の芯から冷えるような殺気を持って睨みつけられ、腰が抜けた。
「お前とマルガリーチェ嬢の婚約は、父上の代からの約束があったから結ばれたものだ。この約束のおかげで、我が侯爵家は維持できているのだぞ。有事の際に出費があってもオズワルド侯爵家が用立ててくれたから、俺は騎士団長になれているようなものなんだ。お前は、恩人の家に泥を塗ったんだ!」
「だったら、他の家の令嬢と婚約を結べばいいじゃないか!」
俺だったら、婚約をしたがる令嬢はいくらだっている。
あんな役立たずの、俺に逆らうような女よりも、俺に従順で、俺が居なくてはどうしようもないほど、健気な、そんな令嬢がいくらでもいる。
「黙れ! 貴族の繋がりを何だと思っている! お前は一ヶ月の謹慎だ! その間にその根性を叩き直してやる!」
その日から、俺は毎日仕事から帰って来た父さんにしごかれる日々が続いた。
母さんは、俺を騙していた女が死んで以降、俺を避けるようになって役に立たないし、なんだって俺がこんな目に遭わないといけないんだ。
毎日ボロボロになるまでしごかれて、精神的につらいのに、外部との接触を一切絶たれ、使用人の態度もよそよそしく、イライラがたまるけれど、父さんに剣術で勝てるわけもなく、ストレスの発散は父さんが居ない間に使用人に命令をして、俺の剣の相手をさせることだ。
少しでも俺に歯向かうようなら、父さんに言いつけて首にすると脅したり、家族に何かあってもいいのかと脅せば、大人しくなった。
学院に行けば、わざわざこんなことをしなくていいのに、父さんが一ヶ月も謹慎させるのが悪いんだ。
謹慎が終わり、社交シーズンになったので、誘われた狩りでメイジュル様とルーカスに会った。
二人も同じように謹慎処分を受けていたとのことだが、俺のようにしごかれるという事はなかったらしく、内心なんで俺だけがこんな目にと毒づいた。
その後、ルーカスが俺達に関して不名誉な噂が出回っていると言ってきたので、その噂をしている奴らを脅して二度とそんな話をしないように命令していたら、ルーカスに責められた。
俺の行動のせいで、余計に噂が広まったらしい。
意味が分からない。俺はちゃんと行動をしたんだ。悪いのは何の行動もしなかったルーカスだろう。
頭がいい事が取柄のくせに役に立たないな。
その頃になると、母さんが社交行事に着ていくドレスが無いと言い始めた。
今まで通りに作ればいいと言えば、その資金が無いと言い出し、何を馬鹿なと呆れてしまう。
我が母親ながら、ドレスや宝石を買いあさって散財したんだろう。
そうでなければ伝統ある我が侯爵家が財政難になるわけがない。
お金が無いのなら、今母さんが持っている宝石なんかを売ってしまえばいいといったら、「お前はどこまで残酷なの!」と怒鳴られた。
そこから、あの自称幼馴染を見捨てたと言いがかりをつけられ始め、母さんは人に騙されやすいんだと呆れてしまった。
貴族は人がいいだけでは生き抜けないというのに。
そんな風に社交シーズンを過ごしていると、メイジュル様が傍に置いている令嬢が言い争いをしている場面に遭遇した。
自分こそがメイジュル様の寵愛を一番受けているというくだらない物で、もう口づけを交わしているとか、あきれて物が言えない。
今のメイジュル様の一番のお気に入りはリュナだが、ルーカスや俺とも親しいと言った瞬間、リュナに対する興味が消えた。
俺だけを見ればいいのに、俺以外に興味を持つなんて。
……そうだな、メイジュル様とルーカスに、リュナは複数の男に媚を売る尻軽女で、俺達の事を陰で比べて笑っているとでも言っておこう。
この俺を騙した罰だ。