マグロ丼までの道のり
個人領の方にも一ヶ月滞在して視察なんかをしているけど、新しい事業は前領主の時よりもうまく回っているし、給金がちゃんと支払われると聞いて、魔法士も何人か住み着くようになってくれたみたい。
鑑定士もちゃんとした人を用意したから、採れた真珠には適切な価格が付けられるし、納得がいかなければ他の鑑定士に持っていく事も可能になったので、領民からの不満は少なくなっている。
そもそも、アンジュル商会を中心として、今まで捨てていた海産物に価値を出して、食事改善をした事により、領民は食べる事への楽しみを見出したようだ。
ただ、これだけはといい含めておいたのが、魚にある毒や寄生虫による食中毒への注意。
魚の内臓は絶対に捨てる事は義務付けたし、フグに関してはわたくしも資格が無いからさばく方法が分からないので、手を出さないように伝えている。
そのうち、魚をさばく達人が出てきたら、フグにチャレンジしてもらうのもいいかもしれない。
しかしながら、やはり生で魚介類を食べるというのには抵抗があるのか、必ず火を通して食べているようだ。
別にいいのよ? わたくしが個人で楽しめばいいんだし。
「ご主人様、お願いですからお止め下さい」
「大丈夫です」
「もしご主人様に何かあったら、私は命をもって償わなければなりません」
「そんな大げさな」
うん、楽しめればいいんだけど、マグロのお刺身をマグロ丼にして食べようと思ったら、コックさん達に全力で止められているなう。
涙ながらに止められててさぁ、流石にこの状態を無視して食べるわけにもいかないのよ。
毒見をするっていう人も、むっちゃ抵抗があるのか顔面蒼白で、そこまでするなら食べないでいいって言ったら、「私の仕事です!」ってガッチガチに固まっているし、どうしよう。
「ご主人様の考案する料理はどれも素晴らしいものです。しかしながら、生は、生はいけませんっ」
「どうしてそこまで止めるんですか」
「過去に、何人も生で魚を食し、具合を悪くしたり、中には死んだ者もいます」
毒にやられたか、寄生虫にやられたのかな?
しかし、実際にそういう例があるのだとすると、説得するのは難しいな。
わたくしが食べてしまえば話が早いんだけど、毒見は絶対にするって言われているし。
約一年で、様々な魚を食べることは、それなりに浸透しても、あくまでも火を通しているからなぁ。
というか、どんぶりに白米を盛って、その上に切り身にしたマグロを乗っけて醤油をかけた後に何かすると思ったんだろうか?
どう見たって仕上げでしょ?
厨房には、騒ぎを聞きつけて文官までやって来て、ちょっとした騒ぎに発展し始めている。
本気でどうしよう。
『ツェツィ、毒の鑑定を行える者を連れてくれば良いのでは?』
『ついでに寄生虫が居るか鑑定できる者が居ればよいな』
頭に響いたヴェルとルジャの声に、それだ! と思いつき、急ぎ手配するように指示を出した。
どんぶりは乾かないように魔法をかけておく。魔法ってべーんりー。
一時間半後、文官が二人の人を連れて来た。
多分状況が分かっていないのだろう、いきなり領主の屋敷に連れてこられて厨房に引き込まれたのだ、わたくしだったらパニックになる。
「えっと……」
「初めまして。この領地の領主をしているツェツゥーリア=デュランバルです」
「あ、鑑定士のダンバート=アフォールです」
「同じく、鑑定士のシャノーマ=ルルヤンです。ダンバートとは分野が違いますが……」
「お二人には、こちらの品物の鑑定をして欲しいのです」
「「?」」
二人はマグロ丼を見て首を傾げる。
そうだよね、見たことない物だもんね、首を傾げちゃうよね。
「領主様、こちらは?」
「マグロ丼です」
「私が呼ばれたという事は毒の鑑定という事でよろしいのでしょうか?」
「ええ、あとは寄生虫が居るかの鑑定ですね」
「なるほど、それで俺か」
二人は納得したのか、マグロ丼にそれぞれ手をかざしてじっくりと魔力を流し始める。
五分ほど経って、二人の額に汗がにじんだ頃にやっと鑑定が終わったのか、息が吐き出された。
「毒はありませんね」
「寄生虫もいません」
「ご苦労様です」
え、毒の鑑定と寄生虫の検査魔法ってそんなに疲労するの?
確かに珍しい部類の生活魔法ではあるし、中級魔法だって聞いてはいるけど、そこまで?
「あの、貴方達の使う魔法は、そこまで疲労してしまうものなのですか?」
「そうですね、自分の知識にあるすべての毒と合致する物、もしくは似たようなものがあり、またそれが人体に有害であるかを確認しなければいけませんので、魔力というよりも精神力を要します」
「俺の寄生虫を探す魔法に関しては、対象物の全ての物体に対して異物がないのかを調べるから、骨だの皮だの、そういった異物の中から有害ではない物を選別するので細かい魔力操作をしないといけないから、疲れますね」
「そうですか」
めんどくせぇっ。心の底からめんどくせぇ。
そりゃぁ、中級魔法に分類されるわ。
しかし、これで人体に有害ではない事が証明されたね!
「で、では毒見をいたします……」
あ、それでも毒見はするんだ。そっかぁ……。
保証は貰ったとしても、やはり生で食べるには抵抗があるのか、ごくりとつばを飲み込み、フォークでマグロの切り身と白米をすくって、プルプルとしながら口に入れ、皆が固唾を呑みながら見守っている中、ゆっくりと咀嚼している。
慎重に、本当に慎重に咀嚼してから飲み込んで、その余韻を考えてから、毒見を買って出た使用人が顔を上げて「大丈夫です」と静かに口を開いた。
「じゃあ、早速わたくしも食べますね」
「ご主人様、ここで召し上がる気ですか?」
「え、駄目ですか?」
「食堂に運びますので、お待ちください」
「……はい」
こんな時、領主っていう立場が憎い。
実家の領地の屋敷でも、王都の屋敷でも、厨房でのつまみ食いはもちろん、そのまま実食も出来たのに、流石にここでは出来ないかぁ。
大人しく食堂に行って待っていると、使用人がどんぶりをお盆に乗せて持ってきて、わたくしの前に置いてくれる。
わたくしはまだ十歳なので食前酒というわけにはいかないので、今日は緑茶を淹れてもらっている。
お茶の淹れ方については、わたくしについて来ているメイドに教え込んでいるので上手に淹れられるようになっている。
目の前に置かれたマグロ丼。出来る事ならお箸が欲しいけれども、まだ作ってなかったんだよね。
絶対作る。いい木材作って絶対に作る!
でも今はとりあえずナイフとフォークで食べるしかないか。
しかし、マグロ丼なのでやはりワサビが欲しいなぁ。
この子供の体にはちょっと厳しいかもしれないけど、欲しい物は欲しいんだよ。
青紫蘇があるだけましかもしれないけど、物足りないよなぁ。
ワサビ、本当にどこかにないかな?
この間、聖王と魔王に会った時に、わたくしが探している物がどこかにあるのか聞けばよかった。
あの時は運営への罵詈雑言が止まらなかったんだよね。うん、仕方がない。
ともあれ、わたくしは久しぶりのマグロ丼を堪能する事に忙しい。
はぁ、うまい。ネギトロ丼と悩んだけど、やっぱり初めはオーソドックスにして正解だったわ。
ネギトロを作るのはちょっと大変だしね。
はぁ、久しぶりの生魚、うまぁ。
顔がにやけながら、もくもくと食べていると、文官含む使用人の視線が注がれる。
中には本気でわたくしを心配している視線もあって、どうしようかな。
「えっと、美味しいですよ?」
「ご主人様。私共はご主人様に救われ、この命を懸けてもいいと思っております」
「そ、そう」
「だからこそ、ご主人様のなさる事を否定する気はないのです」
「そうですか。ありがとうございます」
「しかし、その御身に危険が伴う可能性があるとすれば話は別。先日も、冷たい海に潜って海の状態を確認したいなどとおっしゃって。幼いころから訓練している人間ならともかく、ご主人様ではすぐに波に攫われてしまいます。ご主人様は水属性の魔法を使えないのですし」
「そ、そうですね。軽率でした」
聖王と魔王の加護があるからいけると思ったんだよね。
実際の所、いろんな人に泣いて止められて諦めたけど。
真珠の養殖が可能か確かめたかったんだけどなぁ、あそこまで止められたら仕方がないよね。
でも、わたくしの代わりに潜ってくれた人達がアコヤ貝を持ってきてくれたので、真珠の養殖は可能だという事は判明。
新しく事業を立ち上げる事にして、今後の計画を改めて文官達と話し合い、計画書を作って行くけど、やっぱり貝は生物に含まれるから魔法による成長促進は難しいんだって。
ただ、水魔法を使って環境を整える事は可能だから、環境問題は大丈夫かな?
水質とか重要だもんね。
しかし、そう考えると真珠の養殖が形になるのは数年先か。
うーん、急いでいるわけでもないし、まぁいっか。
魔法士と女性の職業を増やすのも目的だし。あ、男性の仕事先も随時増やしていく予定だよ。
魔法士が居るとはいえ、力仕事はどうしたって男の人に分が出ちゃうからね。
差別じゃないよ、これは区別。そこのところ間違えないで欲しい。
心配した視線を受けながらの、若干緊張する食事が終わり、食後のお茶を飲んでいると、いつの間にかいなくなっていた執事が申し訳なさそうに食堂に戻って来た。
「ご主人様、面会の希望の書状が届いていますが、如何いたしましょうか?」
「面会ですか? 大体の面会は終えたと思っていましたが、どなたからでしょう?」
「それが、なんでも前領主様が懇意にしていて、前領主様の指示で海の向こうの国に出ていたのだと。ちゃんと戻って来たのだから、会うのが当たり前だろうとおっしゃっております」
「なるほど」
海の向こうの国に出ていたとなると、確かにグレイ様でも対応出来なかっただろうなぁ。
しかし、相手の主張ももっともだ。
領主が変わったからといって、命がけで仕事をしてきたのに会わない、報酬を出さないというのは筋が通らない。
「分かりました。ただし本日はもう予定が埋まっていますね。……明後日の三時にお会いするとお返事をしてもらえますか?」
「かしこまりました」
執事は頭を下げて食堂から出て行った。
この会話を聞いていた文官が、面会の席には絶対に自分も同席すると言ったので、特に疑う事も無く頷いた。
実際に、十歳の子供が領主で、商談相手なんて馬鹿にしてんのかと思われるのが普通だもんね。
あー、面倒くさい。
早く大きくなりたいけど、なったらなったで、なんだか別の試練が待ち受けている気がするわ。
主に十八禁的な意味で!