悪役令嬢十歳の冬
Side マルガリーチェ
「また、お出かけになったのですか?」
「そうなの。ごめんなさいね、マルガリーチェさん」
婚約者の義務である顔合わせの為、ジュンティル侯爵家を訪問しましたが、ラッセル様はいつものように不在との事でした。
先日、ラッセル様の幼馴染のご令嬢がお亡くなりになったので、義理でお悔やみを学院でお会いした時に申し上げましたら、「俺にそんな幼馴染は居ない。俺を騙した悪女はいたがな」と言われ、絶句したのは記憶に新しいです。
今までは、幼馴染を理由に(表向きは違いますが)会うのを断られていましたが、最近では王宮に行って剣の稽古をするのを優先していて、婚約者との約束を『ついうっかり』忘れてしまうのだとか。
もっとも、それもジュンティル侯爵夫人の言葉ですので、ラッセル様はついうっかりどころかまるっと忘れているかもしれませんね。
騎士団長であるお父様を目標にするのは、大変良い事だと思いますし、婚約者として応援すべき事ではありますが、だからといって、婚約者の義務を全て放棄していい理由にはなりません。
お父様やお母様にこの事を伝え、婚約の解消を訴えましたが、問題があったとしてもラッセル様はジュンティル侯爵家を継ぐ長子なのです。
妹様もいらっしゃいまして、来年学院に通う事になりますが、それでもこのジュンティル侯爵家の跡継ぎがラッセル様である事は変わりません。
それに比べ、パイモンド様は侯爵家の子息とはいえ次男。
学院を卒業すれば爵位という物に守られなくなる平民になるのです。
もちろん、成績優秀なパイモンド様を養子にしたいと言う家はありますが、今のところは打診でしかありませんし、このまま品行方正で優秀な成績を貫けば、という前提条件が付きます。
あたりまえですね。いくら自分の家に子供が居ないからと言って、不良案件を喜んで受け入れる家はありません。
お父様とお母様は、あくまでもわたくしが嫁いでも苦労しないようにと考えてくれているようですが、ラッセル様と結婚したら、苦労するに決まっています。
けれども、根っからの貴族であるお二人は、平民になる可能性のあるパイモンド様よりも、貴族に残れるラッセル様に嫁ぐ方がいいと考えているのです。
ある意味愛情深いのかもしれませんが、偏った考えはいただけませんね。
「そういえば、マルガリーチェさんは最近、孤児院や娼館に支援をしているのだそうですね?」
「ええ、それがどうかしましたか?」
「芸術家などのパトロンになるのならともかく、そういう物に手を出すなど、淑女としての品格が疑われますよ。我が家としては、喜ばしいとはとても思えませんね」
「全ては私の個人資産によるものですので、どうしようと私の自由ではありませんか? それとも、ジュンティル侯爵家は私の個人資産に手を付けようとしているのでしょうか? 今現在も私の実家から支援を受けているのに、足りないとでもいうつもりですか?」
「そのようなことは……」
「ラッセル様の行いや、その他の事でお父様が此方への支援の見直しをなさいましたが、その後も生活態度を改めたという話は聞きませんが?」
「私共は、もとより自分達に相応しい生活を送っております」
「そうでしたか。それはよかったです。こう言ってはなんですが、以前此方に滞在していたお客人も家にお帰りになって、その分の費用も無くなったようですね」
「っ! そ、そうですね」
「けれども不思議なのです。あんなにも大切になさっていたのに、今は『赤の他人』『騙してきた悪女』などと言うのですもの。ラッセル様は幼馴染を亡くしたあまりに、心を壊してしまったのでしょうか?」
「そんな事はありません!」
咄嗟に否定された言葉に、内心舌打ちをしてしまいます。
ここで言葉を濁したり、肯定してしまえば、『精神に異常をきたした人』として継承権の剥奪が出来るのですが、本当に残念です。
◇ ◇ ◇
Side メイベリアン
「兄上」
「メイベリアン、どうかしたか」
「妾とルーカスの婚約は、どうしても解消出来ぬのですか?」
「無理だ。確かにルーカスの行動は目に余るが、お前達はまだ十歳。老害からすれば、まだ幼子であって、御しやすい存在。婚約破棄などしてみろ、ここぞとばかりにお前に自分の子供を押し付けてくるぞ」
「ふんっ。そこを庇えぬようでは、ツェツィに呆れられるぞ」
「出来る限りの事はしてやりたいが、今は無理だ。ルーカス以上の最良の婚約者が見つかれば別だが、この国に貢献している系譜で、爵位やお前の年と釣り合いが取れるとなると、いないだろう」
「ふむ」
ツェツィの話では、確かに妾に相応しい爵位とはいえぬからな。
実家の方の爵位は問題ないのじゃが、やはり本人が上げた功績による授爵でなければ、本人も周囲の愚か者も納得しないであろう。
しかし、今以上に功績を上げるとなると、むずかしいの。
アンジュル商会は実際に経営をしているのはハンジュウェルだとしても、あくまでもツェツィ名義であるのだし。
今以上にアンジュル商会を大きくしても、子爵位以上を賜るとなると、貴族至上主義の者どもが煩そうだ。
しかも、国王の妹が嫁ぐとなれば、少なくとも伯爵家以上が望ましい。というか、それ以下であるのは無理じゃな。
「ああ、そういえば先に話しておくが」
「なんじゃ?」
「お前達四人に、新しく領地を渡すことにした」
「なぜじゃ?」
「お前達の功績を考えてだな。本当なら学院の卒業を待ってもいいのだが、今行っている事を考えると、それを待っている暇がなさそうだからな」
「妾達、という事は、リーチェもか?」
「そうなるな」
「領地を持っているのに爵位を持っていないという事になるが?」
「ツェツィもそうだろう」
「ツェツィの場合は、兄上の所に嫁入りするための荷物の一つにするつもりなのであろう」
まったく、この兄上はこうやってツェツィを囲い込むから手に負えぬ。
ツェツィが本当に兄上を拒むのであれば、妾達が何をしてもツェツィを匿うが、本人もまんざらではないようじゃしな。
とはいえ、今は妾達のツェツィじゃから、兄上に簡単には渡さぬ。
「しかしながら、リーチェはそうもいくまい。一時的にオズワルド侯爵家の領地とするのかの?」
「その予定だ。ただし、名義はマルガリーチェになる」
「ふむ。まあ、妥当じゃな」
ツェツィはデュランバル辺境侯爵家の領地ではなく、完全に個人領であるがな。
「しかし、領地を貰うのであれば、リーチェが無理に婚約を続ける必要はないのではないか? そもそも、リーチェは多くの芸術関係の者のパトロンとして収入を得ている」
「そうだな。それに関してはオズワルド侯爵家の考え次第だな。王命で強引に婚約解消を命じてしまうと、貴族に不信感を抱かれてしまう」
「役に立たぬ兄上じゃな。ツェツィの親友のために一肌脱げぬようでは、男としてまだまだじゃ」
「メイベリアン……」
「妾の方も、動いてみよう。決して兄上の為ではないからの、勘違いをするでないぞ。妾はあくまでもツェツィの味方なのじゃから」
ぷいっと顔を背けて扇子で口元を隠すと、今後の事について考える。
妾の勘ではあるが、兄上とツェツィは何かを隠していて、それを共有している。
そしてそれは、妾達に関わりがある事だと思える。
常識的に考えて、社交デビューを迎える前の子供を、王命とはいえ引き合わせる事など、仮婚約の場でもない限りないからの。
恐らくはその頃から、兄上達は何かを計画しているはずじゃ。
しかしながら、ツェツィは妾達の婚約を解消させようとしているが、兄上の話では難しいというから、この部分については意見は分かれている。
妾としてはツェツィに賛成というか、当事者である以上ツェツィに付かないという選択肢がない。
さて、どうしたものかの。
学院を卒業してしまえば、このまま妾達は望まぬ結婚をする事になる。
王侯貴族である以上、夫婦間に愛情があるなど珍しい事ではあるが、第一印象から最悪で、今に至るまで態度の改善が見られない男に嫁ぐなど、自己犠牲というにはあまりにも酷い。
しかし、兄上の言うように、兄上の後ろ盾をはっきりさせるためには妾がルーカスに嫁ぐのが最善なのも事実。
じゃが、他に手段がないわけではない。
父上の弟であり、公爵家に婿入りした叔父上の娘はまだ幼く、来年やっと学院に入学する事になるが、確かルーカスの弟も同い年であったはずじゃ。
どちらもまだ仮の婚約者もいないと聞く。
叔父上は貴族至上主義の派閥には所属しておらず、どちらかと言えば兄上よりの考えを持っている。
叔父上をうまく引き込む事が出来れば、なんとかなるかもしれぬの。
こういう策略に関しては、妾はあまり得意ではないゆえ、クロエに相談した方がいいかもしれぬ。
兄上に話してもいいが、話したが最後、宰相を巻き込んで事を大きくしそうな予感がするのじゃ。
まったく、まともな男もいるというのに、妾の周囲には情けない男が多くて困ったものじゃな。
兄上も、ツェツィが関わらなければ立派な君主であるのに、ツェツィが関わると事を急ぎがちなのが欠点じゃな。
恋や愛をすると人は変わってしまうというのが本には描かれていたが、兄上はまさしくその典型なのではないかの。
◇ ◇ ◇
Side クロエール
「クロエール、今後お前の仕事を補佐する事になるカティナール伯爵家のマルドニア君だ」
「まあ、マルドニア様が?」
「同じクラスだから、知らないわけではないだろう」
「ええ」
学年でも成績優秀ですし、整った顔立ちなので令嬢の中では密かに人気の方でもありますね。
将来は長子である姉の補佐をするか、文官になるとおっしゃっていましたが、わたくしの補佐をするという事は、家の事や文官の道は諦めたのでしょうか?
「率直にお伺いしますわ。マルドニア様がわたくしの補佐をする利点はなんでして?」
「我が家としましては、クロエール様の行っている事業に噛ませていただく事で、利益を得ようと考えています」
「なるほど」
この場で嘘を言っても仕方がないと判断したのか、それとも嘘をつく必要が無いと判断したのかは謎ですが、今おっしゃった事が全てですわね。
カティナール伯爵家は貧しいわけではありませんが、特に裕福というわけではありません。
長子であるご令嬢は優秀で、今年卒業なさいましたが、引退した先代と結託して当代を追い落として、早々に実権を握る手はずを整えているとも聞きましたわね。
その状態でわたくしの元に、自分の補佐をさせようとしていた弟をよこす。
つまりは、本気でわたくしに取り入るつもりという事ですわね。
ツェツィの家と親族関係とはいえ年齢の関係上、今まであのご令嬢とお茶会などでのお付き合いはございませんでしたが、マルドニア様がいれば、彼を介して交流を持つ事が出来ますもの。
「マルドニア様は、わたくしの補佐をする事に抵抗はありませんの?」
「ありませんよ。才女と名高いクロエール様のお傍に居る事が出来るなど、光栄の極みです」
「そうですの」
じっとその瞳を見ますが、嘘をついている様子はありませんわね。
確かに、お父様から任せられる仕事量も増えてきて、補佐が欲しいと思っていたところですし、ありがたいのですが、どう扱うべきでしょうか?
執事や侍従にするには、まだ年齢的な問題もありますし、見習いとすべきですわね。
「では、わたくしの専属の侍従見習いという事でよろしいでしょうか?」
「もちろんです、お嬢様」
「……わたくし達はまだ学院に通う身でございますので、呼び方は今まで通りで構いませんわ」
「かしこまりました。クロエール様」
そう言って深々と頭を下げられた後、お父様がわたくし用の執務室に案内するように言ってきたので、メイドも連れてわたくし専用の執務室まで来ました。
部屋に入るなり、マルドニア様が一瞬動きを止めたので目を向けると、なんでもないとでも言うように微笑まれましたわ。
しかしながら、その後に向けた視線の先にある山積みになった書類の山に、なるほど、思った以上の仕事量に驚いたのかもしれないと納得いたしましたわ。
けれども、お父様はわたくしの三倍の仕事をしておりますのよね。
「今更こう言っては何ですが、ツェツィも忙しくしていますし、そちらと縁を深めたほうがよろしかったのではありませんこと?」
「ツェツゥーリア様も尊敬はしていますが、遠縁ですし……」
その言葉に、初めはツェツィに取り入ろうとしてハンジュウェル様あたりに拒否されたという事だと当たりをつけましたわ。
けれども、簡単にわたくしを利用出来るとは思わない事ですわね。
ふふ、この方を利用して、今までよりもツェツィとの距離を縮めて見せますわ。