十歳の三馬鹿
Side メイジュル
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ!
母上が隠居? 隠居して田舎で静養する?
そんな馬鹿げた話があるものか。
急に人が変わったように、婚約者との関係を良好にしろとか、このままでは見捨てられてしまうなどという妄言を言っていたが、全ては体調不良が原因だったのか?
クソっ、そうだとしたら、母上に仕事を押し付けている兄上が悪いのだな。
お爺様も言っていた。真に国王に相応しいのは俺だと。
しかし、兄上が健在で宰相が邪魔をしているから、宰相を切り崩すために、仕方なく宰相家を乗っ取らなくてはいけないのだと。
そうすれば、いずれ公爵になった俺が国王になれるのだから、一時の我慢だと。
そもそも、この俺にクロエールが惚れているから、この婚約は向こう側がむせび泣いて受け入れたそうじゃないか。
だというのに、いざクロエールに会ってみれば、面白みも無い女で、この俺を見た瞬間蔑むような視線を向けて来た。
俺は王族だと言うのに、あんなブサイクが生意気なんだよ。
それに、何かにつけては勉学を疎かにしてはいけないとか、クロエールの方が立場が上になるなどという妄言を吐いてくる。
気狂いが妻など、俺はなんて可哀想なのだろう。
しかし、母上が後宮から居なくなってしまうと、俺の後ろ盾が弱くなってしまうのも事実だ。
多くの貴族が俺の味方をしてくれているが、やはり一番頼りになるのは母上の実家だ。
しかし、母上が王太后であるがゆえに、お爺様や近しい親族は重要な役職にはついていない。まったく、忌々しい。
兄上や宰相の差し金だとお爺様が毒づいていたが、こんな事なら、俺の口添えで無理やりにでも大臣の地位などにつけておくべきだった。
母上が『正気』で居てくれれば、俺の話を喜んで受け入れ、強力な口添えを貰えたのに、今となっては難しいかもしれない。
実際に、母上のお見舞いに行くために母上の部屋を訪ねたら、護衛に『王太后様はお会いしません』と門前払いを食らった。
挙句の果てに、次に来るのであれば事前に申し出るようにとまで言われた。
この俺に護衛如きが偉そうにっ。
イライラとしていると、最近俺が親しくしてやっている貴族がご機嫌伺いに来たと言われ、気分転換にはなるかもしれないと会う事にした。
「これはこれはメイジュル様。王太后様に於かれましては、急な事で驚いております」
「ああ。母上はしばらく前から様子がおかしかったが、まさかこんな事になるとは思わなかった」
「お気の毒に。私でよければいつでも頼ってください」
「そうか」
そんなもの、わざわざ口に出さなくても当たり前のことだろう。
こいつは馬鹿なのか?
それにしても。
「確か、アクアリナだったな」
「はい。娘の名前を覚えていてくださったのですね」
ニコニコと言われ、頷く。
顔は可愛いし、俺に従う態度も好印象だった。少しは俺の傍に居ることを許してやってもいいと思える程度にはな。
だが、所詮は士爵令嬢。元は伯爵家だったと悔しそうに言われたが、そんなものは知らん。
「ああ、私はもう時間なので失礼しなくてはいけませんが、娘を話し相手に置いていきます。一時のお慰めにはなるでしょう」
「そうか」
そう言って父親が出て行くと、アクアリナがニコニコと笑みを浮かべて俺の隣に座って手を握ってくる。
ああ、そう言えばこの間使用人が口づけをしているのを見たな。
あの時その場に出て行ったら、もうすぐ俺も習う事だと言われた。
もうすぐ習うのなら、今しても構わないだろう。何といっても俺は優秀なのだから。
◇ ◇ ◇
Side ラッセル
ベッドの上、日に日に起きている時間が少なくなっていくナナリーに、もうすぐお別れなのだと悲しげに言われ、俺は悲しくて仕方がなかった。
「ナナリー、お前が居なくなったら俺はどうしたらいい」
「ラッセル。私、貴方が心配だわ。優しい人だから、この先その優しさを利用されてしまうかもしれないもの」
「俺を認めてくれて、俺を頼ってくれて、俺を愛してくれて、俺だけを見てくれて、俺の物であるナナリーを失うなんて、耐えられない」
「ねえ、ラッセル。強くなってね? 私、死んでしまっても貴方の幸せを願っているわ」
「ああっ。ナナリーが居なくなったら、俺はどうしたらいい」
「ラッセル、お願いだから私の話を……」
「ああそうだ」
「ラッセル?」
「ナナリーは死んだりしない」
「え?」
「いや、違うな。病弱な幼馴染など、そもそも存在していない」
「何を言っているの?」
そうだ。俺には可哀想な幼馴染などいない。
優れている俺は、誰からも認められる存在で、役立たずの足手まといな幼馴染など、初めから存在していない。
簡単な事じゃないか。俺としたことが、優しすぎてこんな女に『騙されて』居たんだな。
こんな女じゃなくても、俺を認め、褒めたたえ、俺だけを見る女はいる。
それも、こんな貧相な女じゃなく、健康で役に立つ女が。
だがマルガリーチェは駄目だ。初めて会った時、あの女は俺が折角どれだけ優れているか話してやっても、笑みを浮かべながら『それは素晴らしいですね』と感情のこもらない声を発するだけで、俺の望む言葉は言ってこなかった。
それどころか、学院に入ってからは、教室などの人目の付くところで『立場の弱い者をいたぶるのはよくない』だとか、『婚約者としての義務を怠るべきではない』などと煩い。
あれは俺に相応しくないが、それでも家が決めた婚約者だ。優しい俺はそんなマルガリーチェでも快く受け入れてやろう。
だが、この俺に相応しいように教育してやらないといけない。
夫になる俺を崇め、傅き、何をおいても俺を優先するようにしなければ。
しかし、だからといってこの俺の貴重な時間をマルガリーチェ如きに使うのはもったいない。
今までのように母さんや使用人に命じておけばいいだろう。
「ラッセル、あの」
「なんだ、まだそんなところに居たのか。まったく、図々しいな」
「何を言っているの?」
「お前のような役立たずは不要だ。とっとと家に帰れ」
「なっ」
俺の言葉に、『自称幼馴染』がぐらりと体をふらつかせベッドに倒れ込む。
ちょうどいい、気絶しているうちに実家に送り返すか。
そう思って使用人を呼ぶと、この女を実家に帰すように命令した。
「よ、よろしいのですか?」
「当たり前だ。他人を居候させてやる義理などない」
「奥様や旦那様はこの事はご存じなのですか?」
「なぜ知らせる必要がある? そもそも、『赤の他人』がこの家に居る事自体が『おかしい』だろう」
わかったらとっとと連れ出せ。この女に買い与えていたものは、全て換金しろと命令して部屋を出た。
数日後、隣の領地の男爵家から娘が亡くなったという知らせが届き、父さんと母さんがぎょっとしてどういう事かと俺を問い詰めて来た。
「図々しい女を実家に帰しただけです。『自称幼馴染』なんて言うから優しい俺はすっかり騙されたが、ぎりぎりのところで目が覚めたんですよ」
まったく、あのままこの家で死んでしまったら、あの図々しい女の実家はこちらに慰謝料だとか葬儀代をたかってくるに違いない。
父さんと母さんは未だに信じられない物を見るように俺を見てくるが、この人達は何も分かっていないな。
「大丈夫ですよ。あんな女の代わりはいくらでもいます」
「ラッセル、貴方は自分が何を言っているのか分かっているのですか?」
「俺は第二王子の側近で、騎士団長である父さんの息子ですよ。優秀だと周囲に認められないはずがない。次は母さんも気に入る女を用意します」
まあ、その前にこの俺のお眼鏡にかなう女がいるかが問題だが、大丈夫だろう。
優秀な俺は引く手あまただからな。
ああ、そういえばあの女にかまけて、折角の社交シーズンだというのに、肝心の社交を疎かにしていたな。
俺が居なくては盛り上がるものも盛り上がらないだろう。
それに、メイジュル様は愚かだが、あれでも第二王子だ。傍に居なければ何を言ってくるか分かったものじゃない。
したくはないが、不在だった詫びの手紙と、社交行事への復帰の知らせを出さないと。
ああ、面倒くさい。
◇ ◇ ◇
Side ルーカス
「父上、王太后様が引退など、私は聞いていません!」
「おや。政治の事に興味があるのか?」
「当たり前です。私は父上の、宰相の子供ですよ。こんな重要な事を知らされていなかったなんて、今日の狩りで恥をかきました」
私がそう言うと、父上は疲れた顔で『お前が言うのか』と呟いた。
まったく、実の息子が恥をかかされているというのに、なんと冷血なのだろう。
流石はあの陛下の片腕をしているだけの事はあるな。
家族に対する愛情など欠片も無い。まあ、あったとしても願い下げだ。
「王太后様を田舎に追いやったのは、陛下と父上の陰謀なのではないかとも言われました。王太后様が居なくなった損失は大きく、その損失を陛下と父上の都合のいいように埋めるのではないかと」
「……それで?」
「は?」
「そうだとして、何か問題があるのか?」
「どういうことです?」
「大臣が居て、貴族が派閥争いをしているとはいえ、この国を治めているのは陛下であり、それを補佐するのが私だ。『動きやすいように』補填して何か都合の悪い事があるのか?」
「それは……」
父上の言葉に反論する言葉が思いつかない。
確かに、自分が動きやすくするように人事を行うのは、『当たり前』だ。
私に色々な事を教えてくれている母上も、自分が過ごしやすいように使用人を配置している。
「それに、陛下や私が貴族のパワーバランスを考えずに、人事をすると思っているのか?」
「……いいえ」
「だったら、『何が問題』なのだ?」
何も答えられない私に、父上はため息を吐き出し『もっと視野を広げろ』と言ってきた。
私の意にそぐわない婚約を押し付け、私に恥をかかせ、私を貶めるような発言をする等、父上は何を考えている。
選ばれし貴族である私はこの家の長子であり、父上の政治の駒として存在しているわけではないのに。
「そういえば、メイベリアン様の誕生日の祝いの品は、今年こそは自分で選んだのだろうな?」
「昨年は恥をかかされてしまいましたから、仕方がありません。他の令嬢からアドバイスを貰って選びました」
「どういうことだ?」
「私が王族や貴族のわがまま女の好みを知るわけがないでしょう。まったく、あんな無駄に金のかかるものの何がいいんだか」
「つまり、現物は見ているがお前は『メイベリアン様に似合う』と思っているわけではないと?」
「知りませんよそんな物。興味もない」
ただ着飾る事にしか興味のない馬鹿を気にかける時間があったら、自分を磨くことに時間をかけるに決まっている。
「女性の回す経済を理解出来ないのだな?」
「女如きに経済? 父上、その冗談は笑えません。激務にお疲れなのですか? 今日はもうお休みになられては?」
まったく、陛下といい父上といい、子供を産むしか能がない女に価値を出してやろうなど、そんな無駄な慈悲をかける暇があったら、有益な貴族に便宜を図るべきだとなぜ分からない。
それに、本当に努力をしている者は、私のような優れた者に従うに決まっている。
たまに熱心に勉強をしている者に、私がわざわざ声をかけてやっても、今は忙しいなどと無礼な事を言ってくる者ばかり。
宰相の息子に何という態度だ。
母上はそんな愚か者は罰してやれと言っていたが、父上はその相手の事を知っているのかと聞いてきて、よくは知らないと言えば呆れたように首を振った。
しかも、『このままではやはり先行きが不安だ』とまで言ってきた。
ああ、そうだな。大人が言ってくるように、今のままじゃこの国はよくはならない。
メイジュル様は暗愚ではあるが、操り人形にはちょうどいい。
正当なる貴族があるべき姿で過ごせる、元通りの国にする為には、私のような優秀で理解のある人間がいち早く国政を取り仕切らなければ。