常識人になった
王都に戻り、学院が始まり、個人領を貰った事に対するお祝いという名の嫌味をたらふく貰いつつ、平穏な日々を過ごしている中、いつものようにグレイ様の所に訪問しようと、王宮内を護衛と一緒に歩いていると、正面から歩いてくる人が居て、護衛が足を止めたので、わたくしも合わせて足を止め、廊下の壁の方に下がった。
護衛が足を止めたという事は、グレイ様のお妃様か前国王のお妃様、もしくは大臣の誰かという事だもん。
そんでもって、わたくしが知らないそれなりに年上の女の人っていう事は前国王のお妃様の誰かってわけだよね。
後宮から本宮に来ているなんて珍しいけど。
わたくしの前をそのまま通り過ぎるのかと思ったら、なんとわたくしの前で足を止めた。
「顔を上げなさい。私は王太后のロマリア=ジャンビュレングですわ」
ひょえっ、よりにもよって王太后様かよっ。
「お初にお目にかかります、王太后様。デュランバル辺境侯爵が長女、ツェツゥーリア=デュランバルと申します」
「貴女の事は色々聞いていますよ。随分陛下に気に入られているようですね」
「身に余る光栄でございます」
うわぁ、権力大好き王太后様にしたら、グレイ様に気に入られているわたくしって、目の上のたん瘤だよね。
盛大に嫌味を言われそう。
「今日は……ああ、いつものように陛下の所に行くのですね」
「はい」
「ちょうどいいでしょう。私も陛下に用事があったのです。一緒に参りましょう」
「それは……わたくしでは判断しかねます」
「構いません。私は王太后なのですから」
そうですね。グレイ様や宰相を抜かせば、最高権力者ですもんねっ。
ただのモブには対抗手段なんかないですとも。
護衛の雰囲気が、剣呑なものになるけど、ここで王太后様に喧嘩を売る度胸はわたくしにはないのよ。
結局、逆らうという事も出来ず、そのまま一緒にグレイ様の所に行くことになった。
いつものガゼボのある中庭に行くと、グレイ様はいつもは柔らかい笑みを浮かべているのに、今日は王太后様が居るせいか考えていることが読めない微笑。
「王太后殿。私は貴女にここに来ることを許可した覚えはないのだが」
「少々、陛下が好き勝手をしているようですので、年上としてたしなめなければならないと思ったのです」
「ほう?」
こっわ。なんか二人から冷気が漂ってる。
って、え? 二人? 王太后様って権力大好きだから、グレイ様の不興を買うような真似はしないんじゃ?
「ツェツィ、おいで」
「あ、はい」
いつものようにグレイ様のところに行こうとしたんだけど、
「後宮にいる妃を放っておいて、このような幼子にかまけるなど、国王の威厳が損なわれますよ」
「これは私の個人的な行動だ。貴女に関係はない」
「……リアルロリコンきっしょ」
ぼそりと呟かれた声はグレイ様には届いて無かったみたいだけど、わたくしの耳にはしっかり届いた。
この世界に、ロリコンという単語は、無い!
「陛下、わたくし、王太后様とお話ししてみたいです」
「ツェツィ!?」
「いいですよね?」
にっこりと笑みを浮かべて言えば、グレイ様は渋々頷くしかない。
いやぁ、こんな時こそ他称『天使の微笑み』を活用しないと。
王太后様が居るせいか、ガゼボではいつものようにグレイ様の膝の上、というわけにもいかず、グレイ様をはさんでわたくしと王太后様が座る形になった。
「まあ、カヌレですね。私、大好きなのですよ」
メイドが用意していったわたくし持参のお茶菓子を見て、王太后様がにっこりと微笑んだので、わたくしもにっこりと微笑む。
「王太后様、他にはどんなお菓子が好きですか?」
「そうですね、シュークリームやエクレアが好きですね」
「わたくしも大好きです。カカオも手に入るようになったので、エクレアも広めたいですね」
「ええ、話には聞いています。チョコレートは美容にもいいですよね」
にこにこと女二人で話しているけれど、グレイ様は間に居ながらも、頭にハテナマークが浮かんでいる気がする。
「それにしても、折角のバニラの香りが、メイドの付けた香水のせいで台無しですわ。肌呼吸も出来ませんし」
「大変ですね。わたくしは大人になっても今あるような『貴族の大人の姿』にはなりたくありません」
「その方がいいですね。若い頃からこんな化粧をしたら、肌が荒れてしまいます」
しみじみという王太后様に、わたくしはさりげなく扇子を広げてにんまりと持ちあがった口を隠す。
「アンジュル商会の化粧水や乳液は如何です? 大分改善されると思いますよ」
「そうですね。おかげで一時より随分ましになりました。美容パックもあるといいのですけれど」
「それに関しては開発中です」
「出来上がるのが楽しみですね」
軽やかに会話を続けていたのだけれど、ついにグレイ様が耐え切れないように口を開いた。
「王太后殿、なんだか雰囲気が変わったようだな」
「そうですね」
「何か心境の変化でもあったのか?」
「心境というか、そうですねえ……。ツェツゥーリア様」
「はい」
「社畜から逃れたと思ったら、今度は家の言いなりとか、神様は残酷だと思いませんか?」
「全くもってその通りだと思います」
「ちょっと、状況の整理をするのに時間がかかりましたが、このような状態になってからメイジュルを見て、これは無理だと思ったのです」
王太后様はそう言ってため息を吐き出すと、グレイ様を見る。
「今日来たのは他でもありません。私は、隠居させていただきたいと思います」
「は?」
「まあ、よろしいのですか?」
「もちろんです。私がここにいたら、実家が私を利用するだけですしね」
「そうなんですか。そう言えば王太后様」
「なんでしょう?」
「S・H・Rのどれ生まれですか?」
「Sですね」
「そうですか。わたくしもです」
「ツェツィ、話の内容が分からないのだが?」
「分からなくていいんですよ」
にっこりと笑っておく。
王太后様はわりとわたくしと前世の年齢が近いのかもしれない。
「建前上は、再教育がうまくいかない我が子の責任を取って、隠居という形を取りたいと思います」
「え、いや、仕事はどうするつもりだ?」
「あら、私に任せている仕事など、いつでも代理がきくようなものばかりでしょう」
「それは……」
「仕事の担い手が居なくなるよりも、私が居なくなることで私の実家が発言権を弱くする方がうまみがありますよ」
王太后様の言葉に、グレイ様が微笑みを湛えたまま無言になる。
多分、王太后様の言葉を精査しているんだろうな。
嘘か本当かも含めて。
そんなグレイ様の思考はお見通しなのか、王太后様はのんびりとカヌレを食べつつ、ハーブティーを当たり前のように飲む。
王太后様の言葉の感じから、前世の記憶を取り戻したのはつい最近なんだろうな。
うーん、前世トークしたいけど、あんまりするとわたくしが精神年齢アラフィフだってバレちゃいそうだし。
しっかし、王太后様が居てくれるおかげで、グレイ様の膝の上に座るっていう事も無いし、お菓子を食べさせてもらうっていう事も無いし、素晴らしい。
「それにしても、王宮内では陛下のツェツゥーリア様への偏愛ぶりが有名ですね」
「やっぱり王太后様もそう思いますか?」
「ええ、王侯貴族では十歳差の結婚も有りですが、流石に幼女相手に偏愛をするとなると、話は別です」
「そうなんですよね。人目が無いからと、この場所や、宰相閣下も居なくなった執務室でキスをしてくると、わたくしも恥ずかしくって」
「は? ……え、キモ」
王太后様、ドン引きだね。
「具体的に、どのような感じで?」
「そうですね、流石に口にはされていませんが、顔じゅうにキスをされたり、耳にキスをされてそこで喋られたり、くすぐりの刑であっちこっちをくすぐられたり」
「はぁ!? パワハラ、いえ、セクハラでしょ! ちょっと、陛下!」
「ん?」
「国王たる者の矜持を捨てるなど、何を考えているのです!」
「なにを」
「子供、いえ幼女相手に自分のしていることが異常だと分からないのですか? セクハラですよ! 権力をかさに着た横暴でしかありません。こんな方が国王など、この国の行く末が心配でなりません」
「いや」
「言い訳は結構! ツェツゥーリア様が何も言わないからと、いい気になっているようですが、そんなもの甘えでしかありません。いいですか、イケメンだろうが、やっていることはセクハラです。大臣からも聞いています、執務室にまでツェツゥーリア様を呼び寄せているそうですね。職権乱用もいい加減になさい。ロリコンで節操なしとか、万死に値します!」
王太后様はそう言うと、持っていた扇子をバシンとテーブルに叩きつけた。
「メイジュルはもう手遅れだとして、国王である貴方まで手遅れなんて、前国王陛下に申し訳が立ちません!」
「お、王太后殿?」
「確かに、子供の貴方を国王にしなければいかず、権力争いで疲れているのかもしれません。ですが、だからと言って幼女を手籠めにするなんて、正気を疑います!」
「しかし」
「お黙りなさい!」
バシンバシンと王太后様は何度も扇子をテーブルに叩きつける。
扇子、案外頑丈なのね。
「顔中にキス? 耳を愛撫? くすぐりの刑という名の感度開発? ふざけるのも大概になさい! 貴方がしていることは、犯罪です!」
おお、きっぱり言ったよ。
「ツェツゥーリア様!」
「はい?」
「貴女も見た目はともかく、中身はいい大人なのですから、子供のしつけはしっかりしなさい! 顔がいいからと言って、甘くしたら付け上がりますよ!」
「えっと……」
「陛下!」
「……なんだ」
「今後、ツェツゥーリア様への過剰な接触は、お控えいただきます」
「王太后殿には関係ないだろう」
「子供の養育は大人の仕事です!」
「私は、もうすぐ二十歳になるのだが?」
「子供相手に、節度を守らない態度を取っている時点で、中身が知れるという物です! もし、陛下がツェツゥーリア様を正妃にと考えているのだとしても、やっていい事と悪いことがあります。腐った貴族や権力に固執する馬鹿を粛清するのはどうでもいいですが、幼女を手籠めにする等、愚の骨頂!」
「本当に変わったのだな」
「ええ、そうですね。そんな私から、大人として陛下に意見させていただきます」
「なんだ?」
「今のままツェツゥーリア様を手籠めにするのなら、ツェツゥーリア様は私が保護します!」
「は?」
「私の持てる全ての力を持って、陛下との逢瀬は邪魔をさせていただきます」
きっぱりと言い切った王太后様に、グレイ様の微笑みが冷たくなる。
「ロリコンだけでももげればいいのに、パワハラにセクハラ野郎など、ありえません!」
あー、うん。そうね。
前世の最推しだし、わたくしに対して目いっぱい愛情を向けてくれるから、なんとなーく流されているけど、前世の知識を持った常識人からすれば、そうなるよね。
「ツェツィは心の底から嫌がってはいないのだが」
「そういう問題ではありません。陛下のやっていることそのものが非常識だと言っているのです!」
バシンと、今日一の力で扇子がテーブルに叩きつけられた。
「とにかく、今後ツェツゥーリア様との個人的なお茶会での、過剰な接触はご遠慮願います」
「王太后殿に指図をされる覚えはないが」
「大人として、子供を守るのは当たり前です。ええ、メイジュルの教育は手遅れだとしても、せめて国を背負って立つ子供の矯正はしなければいけません」
ギロリとグレイ様を睨みつける王太后様、これは本気の目だわ。
「隠居はしますし、王都からも離れますが、ツェツゥーリア様とはこまめに連絡を取りたいと思います。そこでもし、陛下がツェツゥーリア様の年に見合わない過剰な接触をするのだと判断しましたら、女の戦い方を身をもって分からせて差し上げます」
冷たい王太后様の視線を真正面から受けて、グレイ様は冷たく微笑みを浮かべる。
これは、わたくしに対する味方が増えたと考えるべきなんだろうけど、怖いわ。