鬱憤がたまる
Side マルガリーチェ
「マルガリーチェさん。せっかく来てくれたのに、ラッセルが忙しくしていてごめんなさいね」
「構いません。一週間も前に今日この時間に来ることをお知らせしていたのに、急遽予定が入ってしまったのでしょう? もう何度目になるかはわかりませんが、偶然というのは重なりますよね」
にっこりと微笑んで言うと、ジュンティル侯爵夫人の頬がわずかに引きつるのが見え、私はそれを冷めた気持で見ながら、今日はどんな手段で私を追い出そうとするのかと、じっくり観察します。
婚約してから、このように私が婚約者の実家であるジュンティル侯爵家を訪れることはありますが、毎回必ず、偶然、急遽ラッセル様に用事が出来てお会いすることが出来ないのです。
「そういえば、ラッセル様の幼馴染のご令嬢はまだこちらにご滞在なのですか?」
「えっ、ええ」
「ラッセル様の婚約者として、ご挨拶をしたいと以前から話していますが、不思議と私が訪問する日に限って、体調が悪化しますね」
「偶然ですよ。あの子はもともと病弱ですから」
「そうですよね。学院に通うことも出来ないほど病弱ですし、ラッセル様が心配するのもしかたがありませんね」
「ええ、ラッセルは優しい子ですから」
まるで出来のいい子供を自慢するように言う夫人。
世間の評判をご存じないのかしら? 婚約者を蔑ろにして、他の令嬢を自分の家に住まわせているという不貞行為をしていると言われていますのに。
「そういえば、先日不思議なことがあったんです。私にはドレスの一枚も贈って頂いたことも、装飾品を頂いたこともないのに、先日訪問した店で、この間お作りしたドレスはどうでしたか? なんて聞かれたんです」
「え?」
「初めていくお店でしたので、もちろん今までドレスを注文したことなんてありませんでしたし、戸惑ってしまいました。話を聞くと、ラッセル様が自ら出向いてドレスを注文したそうです。しかも、私ぐらいの年ごろの令嬢が着るような、とても高価なドレスだったとか」
「そ、それは……」
「他にも、宝飾デザイナーが我が家に来て、先日デザインしたネックレスよりも、別のデザインの方がよかったのでは? と聞かれたこともあります。もちろん、私には何の事かわからず、答えに困ってしまいました」
私の言葉に、夫人の目が所在なさげにうろつきます。
この様子では、ラッセル様が例のご令嬢にものを貢いでいることはご存じのようですね。
「しかも、そのドレスと宝飾品の請求書がなぜか我が家に届いていまして、お父様からこちらに回すように言われましたので、お渡ししますね」
「え……」
にっこりと微笑んで付いて来たメイドに視線を配って、夫人の前に請求書を置かせます。
夫人は請求書の金額を見て一瞬目が見開きました。
そうでしょうね、子供用とは思えない、桁が一つ違うのではないかと思えるものですから。
ジェンティル侯爵家は、当主が騎士団長をなさっていますが、裕福な家かと言われればそうではありません。
爵位の割には領地もあまり持っていませんし、特産物もなく、税収も伸び悩んでいると聞きます。
私との婚約は、我が家からの支援目的というのもあるようです。
「お父様も、これ以上婚約者の義務を怠るようでは、契約にあった支援を考え直さなければならないとおっしゃっていました」
「そんなっ」
「今までも、細々と我が家の名前を使って買い物や、食事をする人が居たようなのですが、今後、我が家に覚えのない請求は、正しい家に請求が行くようにするとのことです」
「そ、それは……」
「あら、どうしました? そうなったら何か困る事でもあるのでしょうか?」
「い、いえ」
「そういえば、ラッセル様は本日はどちらにお出かけなのですか?」
私の問いかけに、今度こそ夫人の頬が完全に引きつります。
家の使用人に見張らせていましたので、ラッセル様が本日、家から出ていないのは確認済みです。
さて、なんと言うのでしょう?
「……お、王宮に。そう、王宮に呼ばれてしまったの」
「まあ、そうなのですか」
「メイジュル様も、こんな日にラッセルを呼び出さなくてもいいのに、困ったものです」
「そうでしたか。この間もそうでしたが、ラッセル様はメイジュル様に信頼されていますね」
「まったくです。あの子も夫のように立派な騎士になる事でしょう」
立派な騎士は、自分より爵位の低い子息を脅して、無理やり剣の稽古につき合わせたりしませんよ?
しかも、自分より確実に実力が低い相手ばかりを選んでいますし。
そんな事を考えていると、夫人がそわそわと手元の扇子に目をやったり、紅茶を焦って飲んだりするのが見え、そろそろかな? と出来る限り優雅に笑みを浮かべます。
「マルガリーチェさんも、私の相手ばかりでは退屈でしょう?」
「あら、そんな事はありませんよ。(一応、今のところ)将来は家族になる仲ではありませんか」
「そう? でも、今日はそろそろ……」
そう言って出口をチラリと見ました。
あら、随分と素直に帰って欲しいと意思表示をしましたね。
支援がなくなるかもしれないと聞いて、内心焦っていると言う所でしょうか?
それとも、我が家の名前を使って自分の買い物が出来なくなることですかね?
「そうですね。今日はこの辺りで失礼します。次は、ラッセル様が我が家にいらっしゃる予定でしたね。次はちゃんといらっしゃると期待しています」
「ええ、必ず行かせますよ」
「それは楽しみです」
無理でしょうね。毎回必ず、なぜか、用事が出来て当日にキャンセルされますから。
はあ、婚約者の義務として仕方がないとはいえ、この家に来るだけでもストレスが溜まります。
ツェツィが王都に帰ってくるのは二月に入ってからでしたね。
女子会もそれまで無しですし、うっぷん晴らしにまたどこかの新人芸術家のパトロンになって散財しましょうか?
◇ ◇ ◇
Side クロエール
報告書を前に、眉間にしわを寄せるお父様を前に、しかめっ面をしたいのはわたくしの方だとため息をつきたくなってしまいますわ。
お父様が今見ている報告書は、メイジュル様の再教育の進捗状態と、学院での成績や素行が記されています。
新しくメイジュル様にあてがわれた家庭教師は、あの陛下の家庭教師をしていたほどの方々で、その有能さは貴族の間ではとても有名なものです。
だというのに、メイジュル様はその家庭教師から逃げまくり、挙句の果てには『余計な事をするな』と我が家に抗議文を出してくる始末。
王太后様の口利きで受け入れたこの婚約ですが、やはり今からでも別の婚約者を探した方がいいかもしれませんわ。
「お父様、以前から言っていますが、多少年が離れていても構いませんので、今からでも他の方を探しませんか?」
「そうしたいのは山々だが、なんと言ってもあの王太后の実家の肝いりだ。向こうが簡単に承諾はしまい」
忌々しいですわね。
同じ公爵位にある者として恥ずかしいですわ。
自分の娘が王太后になった事で満足すればいいのに、この国一番の資産家と言われている我が家を取り込もうとするなんて。
そもそも、亡くなった陛下の母君の死自体が不自然ですのよ。
公式発表では病を患っての衰弱死とありますが、わたくしとお父様は、毒殺の可能性を見ていますわ。
あの家なら、権力欲しさに何をしてもおかしくありませんもの。
「メイジュル様は、お前の評判がいいのも気に入らないようだ」
「馬鹿々々しい話ですわ。ご自分が努力なさっていないのに、勝手に人をうらやむなんて」
「王太后に愛を向けられなかった結果かもしれないと、同情はしないのか?」
「そのようなことで同情をしなければいけないのなら、貴族の半数以上に同情しなければいけませんわね。ツェツィの家のような例が特殊ですのよ」
子供に分け隔てなく、というにはいささかツェツィを溺愛していますが、どの子供も等しく愛するなんて、貴族にしては珍しいでしょう。
基本的に長子継承であるこの国の貴族は、継承権を持つ長子を可愛がり、その他の子供は放っておくことが多いのですもの。
あのリアンでさえ、同じ離宮で過ごしていたのに、お母様に会うのは週に一度程度、聞こえるのは怒鳴り声ばかりと言っていましたわ。
わたくしだって、長子という事で目は掛けられていますが、どちらかと言えば家を相続する道具として見られていますものね。
リーチェの家は、まだましでしょうか。
それなりに愛情を向けられ、自由にさせてもらっているそうですし、望む婚約者にしてもらえないのは、彼女の両親なりにリーチェを思っての事のようですもの。
「まあ、辺境を守る貴族は、その性質上結束が固い傾向にあるからな」
「我が国を守護する辺境貴族を、田舎者扱いする方を夫にしなくてはいけないなんて、わたくし、本当に嫌ですわ」
「メイジュル様はそんな馬鹿な事を言ったのか?」
「ええ、ツェツィと初めて会った時に、田舎者と同学年になるなど恥だと言ったそうですわ」
わたくしがその場にいたら、仮婚約など吹き飛ぶぐらい言い負かしましたのにっ。
「嘆かわしいな。辺境貴族が居なければ、交易も国防も成り立たないと言うのに」
「全くですわ。いくら八歳とはいえ、このような事は貴族の常識ですのに、勉強から逃げているからわかっていないのですわ」
わたくしが本気で嫌がっているのを感じてか、お父様が苦笑なさいました。
「この際、有能であれば年齢も爵位も後ろ盾も気にしませんわ。誰であろうともメイジュル様よりましだと思いますもの」
「とはいえ、あの公爵家だ。本当に余程の事が無ければこの婚約の解消には頷かないぞ」
「もうすでに十分余程だと思いますわ」
「私達から見ればな。だが、あの公爵家はむしろメイジュル様が愚かな方が操りやすいとでも思っているんじゃないか?」
ありえそうですわね。わたくしと結婚したらこの公爵家を好きに出来るとか思っているようですもの。
何度もわたくしが女公爵になると言っていますし、メイジュル様はあくまでもわたくしの『補助』だと婚約の契約書にも書かれていますのに。
「まあ、メイジュル様の件は今後も様子を見て行くとしよう。何かのきっかけがあれば変わるかもしれない」
絶対にないと思いますわ。
「次に、お前が管理している果樹園についてだ」
「そちらに関しましては、昨日提出した報告書通り順調です。アンジュル商会と契約したおかげで安定した収益を出すことも出来ていますし、その他にも平民向けに徐々に出荷を増やしていっていますわ」
「ふむ。領地の一部を使って実験をすると聞いた時はどうなるかと思ったが、功績を上げているのであれば問題はないな。これからも励むように」
「はい」
その後も事務的な会話が続き、数時間お父様の執務を手伝ってから自室に戻ってソファーにだらりと座り込んでしまいましたわ。
淑女としては落第点ですので、家庭教師には見せられませんが、今は専属メイドしかいませんので大目に見てくださいませ。
はあ、お父様が探してくれないのなら、自分で新しい婚約者候補を探すしかないのでしょうか?
皆に相談したいですわね。
次の女子会はツェツィが領地から帰って来てからになりますし、それまでに鬱憤がたまりそうですわ。