三人目解放まで長かった
新学期が始まる前日、わたくし達はリアンの離宮に集まり女子会を開いている。
今回の主役はもちろんクロエなので、テーブルの上には基本的にクロエの好きなお菓子が並んでいる。
「それで、無事に婚約解消出来て、クロエはどんな気分?」
「そうですわね。一つの事が片付いてほっとしていますわ。多少粘られたようですけれども、お父様と陛下が押し切ったようですわね」
「しかし、妾達に婚約解消の事を話す為だけに女子会を希望したわけではあるまい?」
「えっと、そうですわね」
クロエはわずかに顔を赤らめた。
え、なに?
「その、次の婚約者はマルドニア様になるのですが……、結婚して欲しいとプロポーズをしていただきましたの。百八本の薔薇を添えて」
「おお、それはまたロマンチックじゃな!」
「あのマルドニア様がそんな事をするなんて、意外ですね」
「そうね、そんな情熱的な人だとは思わなかったわ」
「もちろん、お父様が決めた婚約者ですのでお断りすることはしないのですが。……そ、その」
そう言ってクロエは顔を更に赤らめてソワソワと視線を彷徨わせ、もじもじと膝の上で手を握り締めている。
「リアン、わ、わたくしに恋愛小説を貸してくださいませ」
「は?」
「いえ、いつかツェツィに勧めていたあの本の方がよろしいかしら?」
「あの本って、男心百選とか?」
「それですわ」
もじもじしながらも、クロエの声は真剣だ。
「貴族の婚約や結婚に恋愛感情なんて不要ではありますが、相手から恋愛感情を向けられているのにお答えしないのは失礼でしょう? その、どのような態度をすれば喜ばれるのかと」
そう言ったクロエは耳まで真っ赤だ。
何この可愛い生き物。
「確認したいのですが、クロエはマルドニア様をどう思っているんですか?」
「それは……信頼していますわ」
「それだけですか?」
「そ、その……ずっと傍に居て欲しいと思っておりますわね」
「告白されたのですよね」
「え、ええ」
「クロエはお返事しましたか?」
「そ、それが……。マルドニア様が自分の片思いで構わないとおっしゃられて、わたくしは……ど、どうしたらいいと思います?」
うわぁ、ちょっと涙目になってるクロエ激可愛い。
「実際、クロエはマルドニア様をどう思ってるの? 好き?」
「スっ」
声を上ずらせてからクロエは顔を俯かせて、長期休暇の間にあった事をゆっくりと話してくれた。
聞き終えたわたくし達の考えは一つ、「惚れてんじゃん」なんだけど、クロエはいまいち理解してなさそうだな。
「リアン、クロエには別の本を勧めるべきだと思うわ」
「そうじゃな。ちと探してくる」
「いってらっしゃい。さて、クロエ。離れてしまう、裏切られると思って苦しくて切なくて胸が痛くなったのですよね? リアンがよく読んでいる小説や、劇で演じられるものに似たような症状が描かれているとは思いませんか?」
リーチェの言葉を考えているのか、クロエは忙しなく視線を彷徨わせ、時にハッとしたように胸を押さえたり頬に手を当てたりしている。
しかしながら、リーチェが言いたい事も分かって来たのか、耳まで赤くしてクロエはまた目が潤んで来た。
「ちがっ、わたくしは……初めてあんな事を言われたので、驚いて、だからっ」
「クロエ落ち着いて。深呼吸して深呼吸」
慌ててクロエにそう言うと、クロエは素直に深呼吸をする。
「……マルドニア様のお気持ちは、嬉しいですわ。で、でもこんな感情に名前があるなんて、御伽噺でもあるまいし。こんな制御が出来ない感情は、貴族として生きて行くのに不要なのではないかと」
「そのようなことはないのじゃっ」
クロエの言葉に、扉をバーンと思いっきり開けてリアンが叫びながら入ってくる。
「良いかクロエ、その感情は尊くも愛おしく、この世で最も扱いづらく、けれども得難く失いたくない物。そしてその感情は、何よりも人を美しくし、時に醜悪にさせるのじゃ!」
お芝居の演説のように語りながらリアンはソファーに座り直すと、テーブルの上に本を一冊置いた。
「……初めての初恋? 初めてなら当然初恋なのではありませんの?」
「そこを突っ込んではだめじゃ。これは、乙女の恋心を集めた詩集じゃ」
「そんな物も読んでいるのね、小説派だと思ってたからちょっと意外だわ」
「甘く切ない、そして苦しくも愛おしい感情を込めた詩集は、読んでいて誠に心が切なくなる良いものであるからの」
リアンはそう言って頬に手を当てて息を吐き出すと、クロエを見る。
「クロエもこれを読んで恋心を学ぶのじゃ」
「わたくしはどちらかと言えば、この気持ちを制御する方法を知りたいのですが」
「そのような物はないのじゃ。恋患いとは、不治の病じゃ」
心変わりは山のようにあるけどなー。とは、夢見る乙女達の前では言わないでおこう。
クロエはそっとテーブルの上の本に手を伸ばして、素早くアイテムボックスに仕舞った。
「この場で読んでもいいのよ?」
「え、遠慮しますわ」
顔を赤くするクロエに、わたくし達は思わず微笑ましい生温い視線を送ってしまう。
「それで、婚約解消の正式発表と新しい婚約者の発表はいつするの?」
「学院が始まってすぐにする予定ですわ。今は招待状を準備しておりますの。社交シーズンの前にはする予定ですわね」
「出来るだけ早い方がいいね」
「そうですね。時間をかければあのメイジュル様の事ですから、自分に未練があるとか言い出しかねません」
「それは可能性があるの」
そこまで思い上がれるのもある意味尊敬するけど。
「お父様に、なるべく早めにしていただくようお願いしておきますわ」
その後、各自で長期休暇中にあった事を報告したり、各領地の状況を報告し合ったりして解散になった。
家に帰って自室に戻って着替えてから夕食までの時間をまったりしていると、クロエの様子が思い浮かんでなんだか心が温かくなるような、それでいて自分はどうなんだろうという感情が湧き上がってくる。
グレイ様の事は、好き。前世からの最推しだし、転生してからもちゃんと好きだって思える。
でも、クロエみたいな反応してるかって言われると、自信ないな。
まさに恋する乙女っていう感じで、クロエ可愛かったもんね。リアンやリーチェも、相手の事を話す時はいつもより可愛いしキラキラしているよね。
わたくしはどうなんだろう?
グレイ様の為にって色々しているけど、結局は自己満足なんじゃない?
元々わたくしってば自分の欲求に正直なタイプだし、巡り巡って自分の為にしか動いてないんじゃないかな。
わたくしの恋愛スキルって、所詮は文字の上と画面の向こう側だもん。
「うぅ~」
思わず声に出して唸ってしまい、やるせなさに近くにあったクッションを手に取って抱き込んで顔を俯かせる。
前世でもっとリアル恋愛スキル磨いておけばよかった。
でも、そしたら乙女ゲームしてなかったかも知れないし、この世界に転生出来なかったかもしれないよね。
転生出来たとしても、グレイ様に惹かれたか分かんない。何も分からない状態でうだうだしてたかも。
わたくしのこの知識だって、喪女であるがゆえに出来た時間で培った物だし、世の中はなるべくしてなるっていうけど、これもそうなのかな。
そうしてわたくしは、夕食に呼ばれるまで悶々とした気持ちを抱えながら時間を過ごすことになった。
◇ ◇ ◇
新学期が始まり学院が再開されて一週間後、ハウフーン公爵家では急遽という形でクロエの婚約解消のお知らせと、新しい婚約者の発表が行われることになった。
当たり前だけど、メイジュル様関連は招待されてないよ。
何が楽しくて折角のお祝いの席を壊す可能性のある人達を呼ばなくちゃいけないのよ。
ハウフーン公爵がまずクロエがメイジュル様と無事に婚約解消出来た事を報告し、続いて新しく婚約者になったマルドニア様を紹介した。
その際、ちゃんと新しく実家になったシャッセン侯爵の家族も紹介された。
元から知られている事ではあるけれども、デュランバル辺境侯爵家を主家としている家だというのもさりげなく情報が流され、ハン兄様はいないものの参加しているわたくしにお祝いの言葉を告げてくる人もいる。
侯爵家の人間が公爵家に婿入り出来るなんて、主家としても自慢だしね。
わたくしとクロエの仲の良さも知れ渡っているし、この国の上位貴族の繋がりが強固になる事は喜ばしいとされた。
「しかし、侍従見習いとして早々に予備を確保しておいていたなんて、流石はハウフーン公爵だな」
「国を支える公爵家の人間として、あれほどに頼もしい存在はいないだろう」
「しかし、クロエール様はハウフーン公爵の補佐をすでにしているほどの才女。この国も今後とも明るいですな」
「問題としては、陛下の御子がまだいないことですが、それに関してはどうなのでしょうね?」
「噂が確かなら数年後には解決しているでしょうが、やはり後継がいないという状況はいささか不安定ではありますな」
「いやいや、陛下はお若いのですし、そこまで心配する事もありますまい」
「お若いからこそ、今のうちに御子を作っておくべきでしょう」
不意に聞こえてきたそんな会話に、わたくしは社交用の微笑みを崩すことなく、けれども僅かに心に影が落ちた気がした。
「そなた達、折角のクロエの婚約解消と新たなる婚約を祝う場で、随分と無神経な事を言って居るの」
「メイベリアン様っ」
「そなた達の心配など杞憂じゃ。兄上はちゃんと物事に順序を付けて行動しておる。臣下であるべき貴族が兄上を信じて行動せずして、国民に示しが付くと思うのか?」
「申し訳ありません」
リアンに言われて頭を下げた貴族は、そっと離れて行く。
それを何となく見ていると、ポンと肩を叩かれた。
振り返るとクロエとリーチェがいる。
「ツェツィ、わたくしの折角のお祝い事ですわ、余計な羽音など気にしてはいけませんわよ」
「そうですよ。目先の事しか考える事が出来ないなど、たかが知れているという物です」
「二人の言う通りじゃ。今はクロエの門出を祝う時間じゃぞ」
「……そうですね。新しい婚約者様はハウフーン公爵に連れられて挨拶回りの最中ですし、クロエを独占させてもらいましょうか」
三人の気遣いに、クスっと笑ってわたくし達四人は料理の置かれているスペースに向かった。
ハウフーン公爵家のコックがこの日の為に練習を重ねた料理はどれも美味しく、わたくし達は楽しい時間を過ごしたけれども、クロエを迎えに来たマルドニア様にクロエを返す際、わたくし達がわざとらしくクロエに抱き着いたりしたので、会場内では呆れに似た声や、楽しげな声がこぼれた。
そうよね。グジグジ考えるのって、わたくしらしくないわよね。
当たって砕ける気持ちで全力疾走していけばいいのよ。
心の中でそう思った時、頭の中にヴェルとルジャの声で『少しは手加減してやれ』とか聞こえたけど、気のせいだわ。