ずっとお傍に
Side マルドニア
翌朝、リズリーさんは宣言通り僕の部屋に朝一で来て、大量の薔薇の花束と、メモを渡して、「それでは」と言って部屋を出て行った。
恐らくクロエール様を起こしに行ったのだろう。
とりあえず、花束を机に置いて、メモを確認すると、薔薇の本数による花言葉が書かれていて、最後に「ちゃんと愛を告げてください」と書かれていた。
今更クロエール様にこの想いを告げたところで、迷惑に思われるだけだろう。
……そうは思ったけれども、リズリーさんが折角夜中に花屋を叩き起こして準備してくれた薔薇を無駄にするのも勿体ないと思い、メモの内容を再度確認して頭の中に叩き込むと、バラの花束を持ってクロエール様の部屋に向かった。
ゆっくり歩いていたし、扉の前についてもなかなか覚悟が決まらなかったが、これでクロエール様に見捨てられたら、潔くクロエール様の前から消えようと心を決め、扉をノックした。
中からリズリーさんが扉を開けてくれ、僕がしっかり花束を持っているのを確認してから中に入れてくれた。
今日は書類仕事だけという事もあり、クロエール様はしっかりしたドレスではなく、簡素なドレス姿だ。
飾らないそんな姿も美しい。
「おはようございます。朝早くから申し訳ありません、クロエール様」
「おはようございます、マルドニア様。その花束はどうなさいましたの?」
「はい、リズリーさんが用意してくれました」
僕がそう言うと、クロエール様が一瞬切なそうに瞳を揺らした気がしたが、改めて見た時はいつもの気丈な美しい瞳だった。
「リズリーと随分仲がいいのですわね」
「それは、クロエール様の長年のお付きメイドですから、自然と話す機会もありますので」
「そうですの。……ごめんなさい、わたくしずっと気が付きませんでしたわ」
「え?」
「ちゃんとお父様にお手紙を書きましたのでご安心ください。ちゃんと手順を守らずにいるのは、わたくしも思う所がありますけれども、愛が先走る事もありますわよね」
「えっと」
「ちゃんと、家に残れるようにお父様にわたくしからもお願いしますわ。だから、二人でわたくしを置いて出て行くようなことはなさらないでくださいませ」
「はあ?」
クロエール様の言葉に思わず声が出てしまう。
咄嗟にリズリーさんを見ると、無表情ながらも「サッサと言え」と圧力をかけてきているのが分かる。
「クロエール様、何か誤解をしていらっしゃいませんか?」
「誤解というか、思いつきもしませんでしたわ。リズリーとマルドニア様は年が離れていますし。けれども、わたくしから見てもリズリーは素晴らしい使用人です。マルドニア様が惹かれるのも仕方がないかと」
「お待ちください」
「え?」
「誰が、誰に惹かれていると?」
「マルドニア様がリズリーに惹かれているのですわよね。恋人同士で、もうお腹に子供がいるから、お父様に婚約者になりたいとお願いをする予定なのですわよね」
「違います!」
どこをどう勘違いしたらそんな事になるんだ。
僕は思わず頭を抱えたくなってしまった。
「何が違うのですか。わたくしは昨晩二人が話しているのを聞きましたわ」
「アレを聞いてどうしたらそんな誤解が生まれるんですか」
「だって……」
クロエール様はグッと泣きそうに眉間にしわを寄せた。
「僕がお慕いしているのは、誰よりも好きで愛しているのは、クロエール様、貴女です」
「…………え」
「貴女にとっては、親が決めた自分の意思を無視した婚約者かもしれませんが、僕は貴女を愛しています。貴女のお傍に今までよりも居る事が出来ると、舞い上がってしまった事は申し訳ないと思っています。この告白を聞いて嫌悪感を抱くのなら、僕からハウフーン公爵に婚約を取り消してもらうよう掛け合います」
僕の言葉に、クロエール様が目を大きく見開いて口をパクパクとさせている。
やっと放たれた言葉は震えていて、今すぐにでももっと距離を詰め、大丈夫だといつものように守りたくなってしまう。
「わたくしを愛して? え、婚約者? え?」
「僕が婚約者になるのが嫌なのですよね。出過ぎた思いだと理解しています」
「そんなはずっ」
僅かに震えるクロエール様に一歩近づき、持っているバラの花束を差し出す。
「三本の薔薇は『愛しています』。四本は『死ぬまで気持ちは変わりません』、五本は『あなたに出会えたことの心からの喜び』。九本は『いつもあなたを想っています』、十二本は『私と付き合ってください』。二十一本は『あなただけに尽くします』、九十九本は『ずっと好きだった』、百一本は『これ以上ないほどに愛しています』。そして、百八本は……結婚してくださいという意味です。クロエール様、この薔薇を受け取ってくださいますか?」
「……わ、わたくしっ」
クロエール様を見れば、目じりに涙を溜めて震えている。
やはり僕などが婚約者になることが嫌なのだろう。愛を伝えても、迷惑なだけだったのだな。
リズリーさんには申し訳ないけれど、この薔薇の花束は燃やしてもらおうか。
そう思って花束を下げようとした瞬間、背後から衝撃が加わり、クロエール様の方に一歩近づいてしまい、驚いたクロエール様が花束を受け取ってしまった。
慌てて背後を振り向けば、リズリーさんが無表情を維持したままそそくさと離れて元の位置に戻っていった。
「申し訳ありませんクロエール様。重たいでしょう? お返しください」
「い、嫌ですわ」
「え?」
「これはわたくしが貰いましたのよ。返したりしませんわ」
「クロエール様、そんなお気遣いをなさらずとも」
「わたくし!」
「は、はい」
「今とても混乱していますわ」
「そ、そうですよね。僕なんかがこんな事を急に言って」
「だって、ずっとマルドニア様はわたくしの傍を離れてしまうんだって思っていましたのよ。お父様のご命令だって考えて、それでもわたくしの傍で支えてくださると言ってくれたのを裏切るのかって、ずっと胸が苦しくて、眠れなくて……。昨夜のリズリーとマルドニア様の会話を聞いて、わたくしの傍を離れるのは、二人が恋仲だからだと納得して、二人がわたくしの傍に居続けてもらえるよう、お父様にお手紙も書きましたわ」
ぎゅっと花束を胸に抱きしめたクロエール様が、必死に息をするように言葉を発していく。
僕はそれをただ聞くしか出来ない。
「苦しくて、悲しくて、でも、二人が離れてしまうよりずっといいって思わないといけないと、頑張ろうと思いましたのに。どう、してっ」
花束に顔を埋めるように俯いたクロエール様の声はくぐもってしまう。
「クロエール様」
「どうして、わたくしの婚約者になるのだと言ってくださいませんでしたの」
「え? ご存じだったのではないのですか?」
「全く知りませんでしたわ。お父様はマルドニア様を侍従見習いから外すと言っただけですもの。ですから、わたくしはマルドニア様がわたくしの傍を離れるのだと」
「そんな……」
「マルドニア様だって、何もおっしゃらなかったではありませんか」
「も、申し訳ありません。あの時はハウフーン公爵がクロエール様にもうお話ししたのかと思いました。多少違和感は抱きましたが、何よりもクロエール様のご体調が気になってしまって追及出来ませんでした」
なんてことだ、あの時ちゃんと話していれば、クロエール様が苦しむ事はなかったのか。
僕の責任だな。なんて未熟なんだ。
「申し訳ありません、クロエール様」
「何で謝りますの? わたくしが早合点したせいですのに」
「いいえ、クロエール様を補佐するのが僕の役目です。それなのに、クロエール様のお心を察する事が出来なかったのは、全て僕の未熟さゆえです」
そう言うと、クロエール様は駄々をこねるように花束に顔をうずめたまま横に首を振る。
こんな時どうしたらいいのだろう。
はあ、クロエール様の補佐をする事に一生懸命で、女性を慰める方法なんて知らないぞ。
仕方がない、ここはリズリーさん達に任せた方がいいのかもしれない。
女性同士の方が話しやすいだろう。
そう思って振り返ると、そこにはリズリーさんだけでなく、他のメイドの姿も無かった。
かろうじて部屋の扉は半分開いているけれども、何を考えているんだ?
内心慌てつつも、この状態のクロエール様を放っておく事も出来ず、クロエール様に視線を戻せば、まだ花束に顔を埋めている。
そろそろ息苦しくならないのだろうか?
「クロエール様、その……そんなに花束に顔を埋めていると、花束に嫉妬してしまいます」
「え!?」
咄嗟に口に出た言葉に、クロエール様が驚いて顔を上げてくれた。
その目じりはわずかに赤くなっている。
「あ、いや……その、そんなに長い間顔を埋めていたら、息苦しいでしょう?」
「あ、そ、そうですわね」
クロエール様はそう言いながらも視線を彷徨わせ、僕と視線を合わせようとはしない。
でも、僅かに赤くなった頬に、僕は少しだけ期待してもいいのだろうか?
「クロエール様、改めてお伝えします。僕は、クロエール様を愛しています」
「っ! ぁ、あの……わたくしは、今までそんな事を考えた事が無くて」
「はい」
「恋愛感情なんて、貴族の婚約や結婚の前では夢物語だと思っていましたわ」
「存じております」
「でもっ、ここ最近はマルドニア様の事を思うと胸が苦しくなったり痛くなったり、目を閉じるとマルドニア様の顔が浮かんできて眠れなくなったりして」
「そうなのですか?」
「リズリーと恋人だと思っていた時は、応援しないといけないと思いながら、情けなくもどうしてわたくしの傍を選んでくれなかったのかと悔しくて」
「僕はいつだってクロエール様を選びますよ」
僕の言葉に、クロエール様は顔をさらに赤くして息を呑み込み、再び顔を花束に埋めた。
「わたくしはこんな感情を知りたくありませんでしたわ」
「え?」
「こんな、自分では抑える事が出来ない感情なんて、苦しくて、どうしようもなくて、自分が自分ではなくなってしまうようなこんな感覚、初めてでっ」
その言葉に、ドクリと心臓が音を立てた。
ああ、この人は。この気高く高潔な美しい人は、どこまでも僕を捕らえてしまう。
「クロエール様、僕も貴女にだけです。貴女を想うこの気持ちは苦しく切なく、どうしようもないけれども、失いたくないのです。貴女の傍に居るだけで僕は幸福なのです」
「……わたくしは、ツェツィ達のように可愛げがありませんわ」
「いいえ、クロエール様は十分にお可愛らしいです」
「家や国の利益を優先して、他人を貶める事だって平気でやりますわ」
「でしたら僕もそれをお手伝いいたします」
そう言って、僕はそっと緩く結ばれて垂らされているクロエール様の髪を一房掬い取る。
「いつまでも貴女のお傍に、クロエール様」
そう言ってそっとクロエール様の髪に口づけて、髪をそっと離す。
「はい、傍に居てくださいませ。マルドニア様」
小さく聞こえて来たその声に、僕はきっと今はすごく甘い笑顔を浮かべてしまっているんだと自覚してしまう。
よかった、クロエール様に嫌われていなくて。
これからも傍に居る事が出来て、本当によかった。
きっと今はクロエール様は混乱していて、僕への想いがどんな物なのか分からないだろう。
でもそれでいい。重要なのは、貴女の傍に居る権利を貰えた事なのだから。