勘違いのすれ違い
Side マルドニア
領地視察に来てから、具体的に言えばその前日からクロエール様の様子がおかしい。
僕に対してよそよそしいというか、以前のように視線を合わせてくれない。
その事はとてつもなく悲しく、何か至らない事をしてしまったのかと思ったが、もしかしたらやはり僕を新しい婚約者にするのが嫌なのかもしれない。
ハウフーン公爵は、クロエール様なら家の為に決められた婚約を拒否する事はないと言っていたが、急に自分の意思とは関係なく婚約者を決められるのは、やはり嫌なのだろう。
それでも、領地視察は続いていき、優秀なクロエール様は状況を確認していっては見事な采配を行っていく。
ハウフーン公爵がクロエ様に陛下から実質個人領を与えられたのをきっかけに、元々持っている領地の視察も任せるようになったが、クロエール様は見ている方が驚くほど堂々となさっている。
その姿を見るたびに、この方に一生を捧げようと思える。
そうだ。僕はクロエール様の傍で、クロエール様を支える事が出来ればそれでいい。
婚約者などにならなくとも、クロエール様のお役に立ちたい。
この領地視察が終わったらハウフーン公爵に、僕がクロエール様の婚約者に相応しくはないとちゃんと伝えよう。
そして、婚約者に関してはクロエール様の意見を反映してもらうよう、歎願しよう。
不興を買って家を追い出されてしまうかもしれないけれども、クロエール様がこのまま苦しい思いをするよりはずっといい。
そう思ってクロエール様の領地視察に随行していると、クロエール様付きのメイドがこっそり手紙を渡してきた。
内容は、クロエール様が寝た後に二人で会いたいという物だった。
なんだろうと思いつつ、その日の夜、僕は呼び出しを受けた場所に向かう。
「お待たせしました、マルドニア様」
「リズリーさん。何かありましたか?」
リズリーさんはクロエール様付きの中で最も長いメイドで、乳母の手を離れた時からずっとクロエール様をお世話していると聞く。
もしかしたら、僕には気が付けないクロエール様の不調に気が付いて進言しに来たのかもしれない。
「いつまでこんな状態を続けるつもりですか?」
「え?」
「こんな状態を続けていて、クロエール様に申し訳ないと思わないのですか?」
「どういう? 確かに、このまま婚約者で居ることはクロエール様にご迷惑かもしれませんが」
「はあ、全くこれだから男は。……ご自分の想いをはっきり告げるべきです。クロエール様は誤解していますよ」
「誤解? 何を誤解するというのです」
「クロエール様は、マルドニア様がご自分の元を離れるのだと思っているのですよ」
「それは……。僕がハウフーン公爵に婚約者になることを考え直すように言えば、そうなるかもしれませんね」
「なぜそんな事を言う必要があるのです?」
「クロエール様の意思を無視しているのですよ。良くない事でしょう」
「たしかに、お嬢様のご意志を無視するのはよくありませんが、それ以上にちゃんとはっきりと伝えないのはよくありません」
リズリーさんの言葉に思わず首を傾げてしまう。
僕ははっきりとクロエール様に伝えている。
ずっとお傍に居て支えたいと。あの言葉だけは、どうあっても勘違いなど出来ないはずだ。
「ちゃんと、愛しているとお伝えすべきです」
「なっ」
「その一言が無いゆえに、誤解が生まれているのですよ」
「誤解?」
「クロエール様は」
リズリーさんがそう言った瞬間、扉の向こうで何かが動く気配がして、その後にパタパタと足音が聞こえた。
誰かが居た?
訝し気に眉を寄せていると、リズリーさんが顔を青くしている。
「どうしました?」
「まさか、今の話を聞かれて……。いえ、扉越しだからちゃんとは……いえ、もしかして最悪の状態に?」
「リズリーさん?」
「マルドニア様」
「はいっ」
「明日のご予定は一日書類仕事でしたよね?」
「はい」
頭の中に浮かんだスケジュールを確認して、相違ないと頷く。
明日は来客も無く、視察も無く、純粋に書類整理をする予定だ。
「私は今から花屋を叩き起こしてきますが、マルドニア様はクロエール様をどれほど想っていらっしゃいますか?」
「それは、ずっとお傍で支えたいと」
「そうではなく、どれぐらい愛しているかという意味です。例えば結婚したいとか」
「それはもちろん叶うのならしたいですが」
「したいんですね?」
「え、ええ」
「わかりました。明日の朝、お嬢様の部屋に行くよりも早くマルドニア様のお部屋にお邪魔させていただきます」
「はあ?」
「そこで告白に必要な物をお渡ししますので、しっかり活用してください。では、これで失礼します」
「ちょ、リズリーさん?」
言うだけ言って部屋を出て行ってしまったリズリーさんを茫然と見送って、なんだったんだ? と眉をひそめてしまう。
告白に必要な物って、なんだ?
いや、そもそも婚約者になることが嫌だと思っている相手から告白されたら、クロエール様が迷惑だろう。
◇ ◇ ◇
Side クロエール
今夜も寝付けずにいて、ベッドの中でもぞもぞしていたら、扉が閉まる音が聞こえ、リズリーが部屋から出て行った事が分かりました。
王都にある屋敷では、寝る時でも寝室の外に夜番がいるけれども、領地の屋敷ではそれが居ない為、リズリーはわたくしが寝室に入ったのを確認すると、明日の準備のために自分に用意されている部屋に戻るのですわ。
もっともこれは他のメイドにも言えますけれど、一番最後まで残っているのはリズリーですので、今の扉の音もリズリーのものですわね。
なんとなく、リズリーにならわたくしが今思っていることを話してもいいかもしれないと思い、後を付けることに致しました。
部屋に戻るのかと思っていましたのに、リズリーが向かったのは空き部屋で、どうしてこんなところにと思いつつ、扉の前で悩んでいると話し声が聞こえ、無作法とは思いつつその場で耳を傾けましたけれど、こんな思いをするのならあの時部屋に戻っておくべきでしたわ。
「いつまで……ですか?」
「え?」
「……状態……、クロエール様に申し訳……」
「……確かに、このまま……はクロエール様に……ませんが」
「……はっきり……べきです。……誤解……」
「……何を誤解……です」
「……マルドニア様……離れる……いるのですよ」
「それは……ハウフーン公爵に婚約者になる事を……に言えば……」
「……必要がある……」
「クロエール様の……良く……でしょう」
「たしかに、お嬢様の……よくありませんが、……伝え……せん……愛して……です」
「なっ」
「その一言……に、……生まれ……ですよ」
そこまで会話を聞いて、リズリーが話している相手がマルドニア様だとわかり、カタカタと体が震えてしまいます。
まさか、マルドニア様はリズリーと付き合っているのでしょうか?
お父様に婚約者になりたいと言い出すほどに覚悟を決めている?
今まで言わずにいたのは、わたくしに遠慮しているからだったと?
わたくしは知らないうちに二人の愛の邪魔をしてしまっていたのでしょうか。
今確かに『愛して』と聞こえましたもの、気遣いの出来る二人の事ですから、わたくしの婚約問題が片付くのを待って居るのかもしれませんわ。
けれど、もしかして、と思ったところで、リズリーの『生まれて』という言葉が頭に蘇りましたわ。
まさか、もう体の関係を結んでいて、子供が出来ているのでしょうか?
まさか、お父様はそれに気が付いてマルドニア様をわたくしの侍従見習いから外そうとしている?
そんなっ、密かに情を結んで主を裏切ったとなれば平民であるリズリーも、今後平民になるマルドニア様も無事ではすみませんわ。
そう考えると、居てもたってもいられず自室に向かって駆けだしていました。
部屋に戻ってすぐにわたくしは机に向かって座ると、アイテムボックスからレターセットを取り出し、お父様に向けて手紙をしたためます。
どうかマルドニア様とリズリーの仲を認めていただき、今後も変わらず二人をハウフーン公爵家で雇っていただけるよう認めていただかなければ。
あの二人の主として、出来る限りの手を尽くすことこそ、今わたくしに出来る主としての仕事ですわ。