婚約者『様』だよ
メイジュル様が浮気をしていて、しかも枕を共にする関係にあるという噂は一気に広まった。
これは大人の社交界でも同様らしく、グレイ様はハウフーン公爵家から正式に婚約解消願いを出されたと話してくれた。
グレイ様としてはすぐに承認の返事を出したいのだけれども、ルシマード公爵が毎日のようにハウフーン公爵家に訪問していて、婚約解消を考え直すように言っているそうで、ルシマード公爵家から簡単に承認しないで欲しいと言われているそうだ。
もっとも、婚約継続の条件にしっかりと『子種をばらまかない』と記載されており、グレイ様とメイジュル様のサインがある。
メイジュル様がクロエ以外の令嬢に手を出しているというのは、先日のパーティーで暴露してくれたのも同然なので、今から挽回するのは無理だ。
グレイ様はあえて婚約解消願いを承認しない事で、ルシマード公爵家が焦って何かボロを出さないか待っている所だそうだ。
それに関してはハウフーン公爵も承諾していて、グレイ様に協力しているそうな。
クロエは婚約解消についてはお父様に任せているのか、話題に上る事はない。
わたくし達が聞いても、「任せているので分かりませんわね」と言うだけだ。
クロエの性格からして、いくらなんでも今回の事を任せっぱなしにするとは思えないので、何かしら関わっているとは思うのだけれども、わたくし達には言わないって事は、口止めをされているのかな?
クロエの婚約は、王族のメイジュル様の婚約とは言え、根っこはルシマード公爵家が自分の家の権力拡大を狙った物だからなぁ。
でも、建前上は王族が婿入りするって事になっているから、国王であるグレイ様が最終的にはどうにかするしかないんだよね。
さっさと婚約解消を承認して欲しいんだけど、クロエがわたくし達に言わないっていう事は、泳がすのに賛成しているっていう事なのかなぁ?
乙女ゲームのようなメイジュル様からの冤罪ぶっこみの婚約破棄は、王族が貴族を蔑ろにしているという評判が立つ危険があるけれども、今回の場合は今まで積み重ねた物があるし、クロエの実家からの婚約解消なので、まだ体裁も保てるはず。
このまま婚約を続けても、王族は貴族を軽んじているって思われるだけだしね。
貴族を大切にしているってアピールするためにも、グレイ様としてはクロエの婚約解消を認める一択なんだよなぁ。
ルシマード公爵家も諦めて尻尾を出すか引き下がってくれればいいのに。
そんな事を考えつつ、長期休暇に入る準備をする為、学年末テストに向けてクラスメイトがそれぞれ勉強に勤しんだり、わたくし達も分からない部分を教師に質問しに行ったりと忙しくしていた。
そんな、ちょっとだけいつもよりも緊張感が漂う教室に、決して大きくはないけれども咎めるような厳しい声が響いた。
「貴殿の行動は、あまりにも目に余る。王族としての自覚があるのなら、少しは自重しては如何ですか」
「ファシェン様、突然なんです?」
「私だけではなく、皆が思っていますよ。他のクラスメイトが年末の試験に向けて努力をしているというのに、貴殿は何一つ努力する様子もなく、他クラスの生徒と適切ではない関係を続けて、少しは恥ずかしいとは思わないのですか」
この国に留学して来て、クロエに一目ぼれをしたというちょっと男装に近いドレスを着こなすファシェン様が、メイジュル様に苦言を呈している。
「貴女には関係が無いでしょう。俺が何をしようと俺の自由です。そちらは、留学生という立場を理解した方がいい」
「どういう意味です?」
「貴女の行動一つが、両国の関係に影響を与える可能性があるのですよ」
「両国の関係を円滑にするために、私は留学してきたのですが?」
「だったら、弁えるべきでしょう」
何言ってくれてるんだ。相手は同盟国の王女様で、交流を深めるために留学して来てるのに、喧嘩売るような事言うなよ。
ファシェン様は特にクロエのファンだから、普段のメイジュル様の態度が気に入らなくて、テスト前のストレスもあって爆発したのかな?
いや、さっき教室にクロエ以外の令嬢といちゃつきながら入って来て、別れを惜しむように親密に接して令嬢が出て行ったのを見て、耐え切れなくなったのかも。
そんな事を考えたのはわたくしだけじゃないようで、教室の雰囲気が先ほどまでとは違った意味で緊張感に包まれる。
これはリアンの出番かなぁと思っていると、迷いなくクロエが動いた。
「ファシェン様」
「クロエール様」
「無駄な事に時間を使う必要はありませんわ。こちらの方が評価を下げてしまうのは事実ですが、それに巻き込まれるようにこちらまで評価を下げる必要はありませんのよ。この手合いは、放置が一番ですわ」
「それでよろしいのですか? 仮にも婚約者ですよね?」
「かまいませんわ」
クロエが微笑んで言うので、ファシェン様は軽く肩を竦め、クロエの手を恭しく取る。
「それではご令嬢、席までエスコートいたしましょう」
「まあ、ありがとうございます」
大した距離ではないのに、わざわざこうすることで話を終えるという意味なのだが、理解していないのが一名。
「待て。勝手に割り込んできて勝手に引き上げるとは、何様のつもりだ」
「まあ、メイジュル様。わたくしに何か御用でしょうか?」
「王族同士の会話に勝手に入り込んだ無礼を謝ったらどうだ」
「そうですわね。こちらからお声をかけ申し訳ございませんでした、ファシェン様」
「いえ、私は気にしませんよ。クロエール様にはいつでも気軽に声をかけていただきたいぐらいです」
「お気遣いありがとうございます。では、謝罪も済みましたので参りましょうか」
「まて。俺に謝罪をしろ」
メイジュル様がイライラしたような声を出した。
クロエはクスリと笑うと、扇子を開いて口元を隠しメイジュル様を見る。
「わたくしは婚約者としてメイジュル様を思って行動したのですが、何か問題でもございましたか? どうぞ無知なわたくしにご教授していただきたいですわ」
「ふざけるな。俺達は王族同士の会話をしていたんだぞ。お前がした事は明らかに分不相応だ。望まない婚約者に出しゃばった真似をされる覚えはない」
「望まない婚約者ですか?」
「ああそうだ」
「では、ルシマード公爵にその事をおっしゃっていただけますでしょうか? 正直、我が家としてはこの婚約にしがみつかれて迷惑しておりますの」
「は?」
メイジュル様がキョトンとした顔をする。
クロエはにっこりと微笑んだまま、追い込むように言葉を重ねて行く。
「陛下にはすでに我が家から婚約解消願いを出しておりますのに、ルシマード公爵家の方が『出しゃばって』この婚約を継続したいと言っておりますのよ。わたくしだけでなく、陛下もお父様もホトホト困っておりますわ」
「なんだと」
「わたくしとしては、今すぐにでも『喜んで』婚約解消をしたいのですが、本当に困っておりますの」
「ふざけるな! この俺にそんな事を言うなんて、何様のつもりだ!」
自分で令嬢を邪険に扱ったり振る事はあっても、こんな風に振られる経験が無いメイジュル様、パニックになってるな。
クロエはお前の婚約者『様』だよ。
「今は婚約者ですわね。本当に、早く解消していただきたいのですが、困りますわよね」
「くっ、いいだろう! 俺から兄上に婚約解消を承諾するように言ってやる! 後悔するなよ!」
「あら、ルシマード公爵におっしゃらなくてよろしいのですか?」
「黙れ! お爺様は俺がちゃんと言えば、お前なんかよりも俺に相応しい相手を見つけてくれる!」
「そうですの、どうぞ頑張りあそばせ」
クスクスと笑うクロエを真っ赤な顔で睨みつけ、メイジュル様は王宮に帰ると言って教室を出て行ってしまった。
あっけに取られたルーカス様だったけれども、大きくため息を吐き出すと何事も無かったように自分の勉強に戻る。
ラッセル様は、もう最初から関係ないという態度だったか。
側近とは何なのか聞きたくなるよね。一時期あった側近を変えるっていう話も、今では厄介者をまとめておくためにそのままにしておけっていう感じだし。
ファシェン様と一緒に戻って来たクロエは、優雅に手を離されたファシェン様に笑顔でお礼を言って席に座る。
眩しいものを見るように目を細めたファシェン様がわたくし達にも軽く頭を下げてから離れて行くのを目で追って、わたくし達はクロエを見た。
「珍しい行動に出たものじゃな」
「相手があまりにも尻尾を出しませんので、陛下もお父様も、もう構わないとおっしゃいましたのよ」
「長期休暇中に手続きをするのですか?」
「そうなりますわね」
「それなら、クロエは今年の長期休暇は王都に?」
「いいえ、わたくしは婚約解消の書類にサインをするだけですので、事前に用意した物に先にサインをしておきますわ。もし条件の変更などがありましたら、そうですわね、戻ってきてからになりますわね。婚約解消はお父様にお任せしておりますもの。もっとも、大幅な変更、例えば婚約破棄になったら、また話は別ですわね」
美しい笑顔でそんな事を言うクロエに、わたくしは思わずため息を吐きそうになった。
この分だと、本当に婚約解消に関しては親とグレイ様に任せていそうだ。
クロエがそれで納得しているのならいいけど、なんだかなぁ。