傍に居てくれるから
Side クロエール
家に帰れば、学院の課題を終えて、お父様のお仕事の手伝いをしながら領地経営の勉強をしていきますわ。
流石にこの年齢になりますと、基本的な事は教わり終えていますので、実戦的な物を踏まえながらの物になりますけれども、お父様はわたくしが学院を卒業したら、すぐにでも誰かと結婚させて、自分が隠居をなさりたいそうですので、ある意味詰込み教育ですわね。
それでも構いませんけれども、問題はわたくしの結婚相手ですわ。
メイジュル様とは絶対に婚約を解消するとしても、お父様は次のわたくしの相手は誰をと考えているのでしょう?
あのお父様が、次の相手を考えていないとは思えませんけれども、わたくしに釣り合う年齢の子息で優秀な方となると、そのほとんどは埋まっていますわよね。
やはり、年齢が釣り合わない、けれどもわたくしが学院を卒業してすぐに結婚となると年上の方でしょうか?
すでに平民に下っていたり、士爵の位に居る方を家の籍に戻して結婚をという可能性もありますわね。
そこでふと、わたくしの手伝いで書類仕事をしているマルドニア様を見て、何となく声をかけてしまいましたわ。
普段でしたら、仕事の内容以外の話はしないのですけれども、本当に何となくですの。
「マルドニア様は、どうしてわたくしの侍従になろうと思いましたの? お家の為、とおっしゃっていましたけれど、養子に入りましたし、どうにも根拠が微妙になっていますわよね」
「そうですね。確かにあの時は家の為だと言いましたが、全てではありませんでした」
「そうですの?」
「はい」
書類から目を上げて、真っすぐにわたくしを見てくる視線は真摯なもので、そこには濁ったものはなく、今後もわたくしが信頼を置いて傍に居て欲しいと思える物ですわ。
学院に通って男性と接触する機会もありますけれども、やはり公爵家でもわたくしの周囲にいるのは同性が多いですし、わたくしの中では男性は、自分の欲望に忠実というイメージがどうしても出てしまいますので、必要以上に異性を傍に置きたくないのですが、公爵家の当主となるのなら、侍従を付けないわけにもいかず、それがマルドニア様であるのなら問題はないと思えますわ。
ええ、最初は本当にお父様に言われたから仕方なくでしたが、最近ではちゃんと受け入れる事が出来るようになっておりますのよ。
やはり優秀で実直、向き合っていて嫌味が無いというのがよいところなのでしょうか?
気遣いも出来ますし、侍従としての素質は十分ですわね。
「他の理由は、なんですの?」
「……言わなければいけませんか?」
「言えない事でして?」
思わず眉を寄せてしまうと、マルドニア様は困ったように微笑んで「そんな事は」とおっしゃいましたので、重ねて話して欲しいと言いましたわ。
「お役に立ちたいと思ったんです」
「……わたくしの?」
「はい」
「ツェツィではなくて、わたくしですの?」
家の為というのであれば、主家であるツェツィの為と考えるのが一番ですけれども、わたくしの為?
「はい、僕はクロエール様のお役に立ちたいと思っています」
まっすぐに見つめられ、わたくしはただ一言「そうですの」とだけ返事をして、手元の書類に視線を戻しましたわ。
けれども、文字をうまく追う事が出来ず、密かに胸がいつもよりもトクトク高鳴ってしまい、内心混乱をしてしまいます。
いえ、きっとこれは予想外の言葉を聞いてしまい動揺しているのですわね。わたくしもまだまだですわ。
ふいに、向けられていた視線が外れるのを感じて、こっそりとマルドニア様を覗き見ると、真剣な表情で書類に向き合っていますわ。
養子に入ったとはいえ、結局は次男で平民になる事が決まってしまっているのに、面倒な手続きをするなんて、何を考えているのでしょうか?
わたくしの侍従としての箔を付けるために、後ろ盾となる家の格を上げたと言われましたが、そこまでする必要があるのでしょうか。
マルドニア様には、わたくしが陛下より頂いた領地の経理も見てもらっていますし、確かに伯爵家の次男よりは、侯爵家の次男であったと言った方が影響力はありますわ。
でも、わたくしが当主になれば実力主義派になりますので、家の身分をひけらかす事は逆効果になってしまいますのに、そのような事に気が付かないはずがありませんわよね。
マルドニア様は何を考えていらっしゃいますの?
優秀な方ですので、わたくしが思いつかない事を考えているのかもしれませんけれども、いずれ主人となる者として、家人の考えをくみ取ることが出来ないのは問題ですわよね。
マルドニア様には、わたくしの侍従として今後活躍していただかなくてはいけませんもの。
そのまま視線を書類に戻しても、頭の中はマルドニア様の事ばかり。
ふう、駄目ですわね。このような事で仕事が進まなくなるようでは、優秀な当主にはなれませんわ。
「クロエール様」
「なんですの? 何か不明な点でもありまして?」
「いえ、こちらの書類に問題点は今のところありません。収穫高も上がっています。現地の作業員が、作物を植えている面積を増やしたいという申し出はありますが、これは長期休暇の際に領地に行った際に実際に視察をして結論を出してもよろしいかと思います」
「そうですか」
「しかしながら、クロエール様の方は書類作業が進んでいないようですので、気分転換にお茶でも召し上がっては如何ですか?」
「……そう、ですわね」
マルドニア様の言葉に、わたくしは小さくため息を吐き出しましたわ。
すぐにマルドニア様の指示で、メイドがハーブティーを淹れてくれました。
ペパーミントティーで味はちょっとまだ慣れませんけれども、頭はすっきりしますわね。
もう一杯、とメイドに指示を出そうとすると、マルドニア様が飲み過ぎては眠る時に支障が出るとおっしゃったので、二杯目はカモミールティーにいたしました。
わたくしの部屋のお花を用意してくださったり、こうしてわたくしの事を気遣ってお茶を用意してくれるところが、本当にツェツィでしたら「出来る男!」とでも言うのでしょうね。
「……マルドニア様は、ツェツィをどう思いまして?」
「え? そうですね、お可愛らしいかと」
「リアンは?」
「気高くていらっしゃいますね、けれども、気遣いが出来るお方です」
「リーチェは?」
「お優しく、広い目をお持ちだと思います」
「……わ、わたくしは?」
「そう、ですね」
そう言って困ったように眉を寄せたマルドニア様に、わたくしは咄嗟にいい所が思いつかないのかと内心ドキリとしてしまいましたわ。
いずれ主となるのに、認められていないようでなんだか、こう、自分の努力不足なのだと思い知らされるようで。
そんな事を思っていると、「僭越ながら」とマルドニア様が口を開きました。
「クロエール様は、とても努力家で、友人を大切にしていて、貴族として誰よりも誇りを持っていて、けれども驕る事も無く、まさに目標にすべきお方です。けれども、自分を追い詰めるような所もあって、気丈に振舞っていますが仕事面でも精神面でも支える事が出来ればと思います。もちろん、紅薔薇に例えられるだけあって美しさは言うまでもありませんが、やはり真の美しさは内面からあふれているのだと思います。もちろん、弱い方ではありません。むしろお強くいらっしゃると思います。しかしながら、だからといって支えが必要ないとは言ってはいけないと思います。そうあろうとなさっているクロエール様で居るからこそ、僕はクロエール様の傍でクロエール様を支えたいと思ってしまうのです」
急に一気に話された内容に、思わず目を瞬かせてしまいましたわ。
そんなわたくしをしり目に、マルドニア様の言葉は止まる所を知らず、わたくしもどこで止めていいのかわからずオロオロしてしまいます。
こんなにマルドニア様が熱く語るなんて、今までなかったですわよね?
おっしゃる内容が、全てわたくしを思っての言葉だと分かって、それを理解していくうちに、先ほどのようにトクトクと胸が高鳴ってしまいますわ。
悪く思われていないとは思っておりましたけれど、ここまで考えてくださっているなんて、わたくしはなんて恵まれているのでしょうか。
「お言葉の途中申し訳ないのですが、マルドニア様」
「はい、なんでしょう」
「わたくし、その、がんばりますわ」
「クロエール様は既に十分頑張っていらっしゃいますよ」
「いいえ。マルドニア様が居てくださるんですもの。わたくし、もっと頑張れると思いますの。これからも、わたくしの傍でわたくしを支えてくださいませね?」
「もちろんです。僕の人生の全てをかけて、クロエール様をお支えいたします」
「嬉しいですわ」
もし今後苦しい状況に陥っても、ツェツィ達には話せない事が起こってしまっても、わたくしにはマルドニア様が居ると思えば、乗り越える事が出来ますわね。
信頼出来る人間を傍に置く事は大切だとお父様もおっしゃっていましたもの。
きっと、お父様はマルドニア様の誠実さを見抜いて、わたくしの為に傍に置いてくださっているのですわね。
微笑んでマルドニア様を見ると、マルドニア様も微笑み返してくださいました。
わたくし、本当に心の底から、良き公爵家当主になれるよう頑張りますわ。