二人目解放、そして事件です(前編)
ヴェヴェル様が後宮を出された事は、社交シーズンだった事もあり、一気に貴族の間に広まった。
後宮から追い出され、馬車に押し込まれるまでずっと、グレイ様の子供がお腹にいるのだと叫んでいたせいで、ヴェヴェル様も男を引き入れ妊娠し、それをグレイ様の子供にするつもりだったのだと勝手に思われている。
実家に監禁状態で過ごしているらしいが、未だにグレイ様の子供を宿していると思い込んでいるようで、無意識にお腹に手をやり満足げにうっそりと微笑み、「陛下はちゃんと迎えに来ます」と言い張っているそうだ。
想像妊娠中なのであれば、当然次の生理が来るわけもなく、どこかの家に嫁がせるわけにもいかず、かといってどんどん膨らんでくるお腹を抱えさせたまま、グレイ様が言ったように修道院に押し込めるわけにもいかない。
そんなわけで、ヴェヴェル様のご実家も彼女を監禁してはいるものの、もてあましているそうだ。
いっそ、薬を飲ませて強制的に流れたと思い込ませるというのも手だと、ご両親は思っているようだけれども、折角後宮に入れた自分の娘が追い詰められて帰って来たのに、ひどくない?
そんな事を考えつつ本日参加しているのは、わたくし達にとっての社交シーズン最大イベントである、リアンの誕生日パーティー。
わたくしはリアンに、養殖で採れた真珠を惜しみなく使った髪飾りをプレゼントした。
これ、実はクロエとリーチェ、そしてわたくしで色違いのお揃いにする予定の物なのよね。
けれども、そこで事件は起きた。
リアンの誕生日パーティーだというのに、ルーカス様は誕生日の贈り物をしないのはもはや当たり前のようにしつつ、あろうことか、ファーストダンスをリアン以外と踊っていた。
しかもリアンに「おめでとうございます」と一言言っただけで立ち去り、その後も令嬢に強請られるままにダンスを踊って行き、踊った令嬢がリアンの元に来ては馬鹿にしたように嫌味を言っていった。
政略的な問題で結ばれていた婚約ではあるものの、ここまで馬鹿にされてしまえば、リアンの堪忍袋の緒も切れるという物。
リアンはあえてオーケストラに曲を止めるように指示を出すと、ルーカス様の方に歩いて行き、扇子で顔の半分以上を隠しながら、ことさらはっきりとした声を出した。
「婚約者の義務以前に、貴族の子息としての義務を果たせぬとは、流石に呆れて物が言えぬ。兄上の為の婚約ではあるが、『代わり』が出来たため、もうよいであろう」
「は?」
ずっと微笑を浮かべているリアンの言葉に対して、ルーカス様は眉間にしわを寄せた。
「ドルアス、ガリティン。こちらへ」
リアンの言葉に、前国王の弟君のご令嬢であるドルアス様と、ルーカス様の弟であるガリティン様がリアンの横に立つ。
その背後には、宰相閣下と、ドルアス様のお父様も立っているね。
それを確認してから、リアンは少し離れた位置にいるグレイ様に向かって頭を下げる。
「せっかく兄上が開いてくださる妾の誕生日パーティーを台無しにする事、どうか許して欲しい。しかし、この機会にいっそのこと様々な発表を行うべきかと思うのじゃ」
その言葉に、グレイ様は優雅に微笑み、ゆっくりと頷いた。
それを見て、リアンはルーカス様に視線を戻す。
「ここに、妾、メイベリアン=ジャンビュレングはルーカス=フォルヴァンに婚約の解消を言い渡す」
「なっ」
リアンの言葉に、会場の空気がザワリと揺れた。
「妾達の婚約に代わり、『病弱な兄』を支えるべく勉学に打ち込んでいるガリティンと、妾の父上、前国王陛下の弟であるディーシャル女公爵夫君である叔父上の娘、ドルアスの婚約を正式に結ぶ事をここに新たに宣言する。これは、王家が決めた婚約じゃ」
「そして、私からもう一つ発表しよう」
そこで、いつの間にかリアンの横に立っていたグレイ様が、外用の内面を読ませない微笑みを浮かべながら口を開く。
「この度、法務大臣が体調の悪化により退任することになった。ああ、本当に急な事だったから皆、驚いただろうが、あの者も、娘がとんでもないことをしたおかげで精神的にも参ってしまったのだろう。次の法務大臣は、私が信頼を寄せている叔父上、ディーシャル女公爵夫君に任せる事となる」
その言葉に、一部の貴族が悲鳴を上げる。
「よろしいな、ディーシャル女公爵」
「もちろんです陛下。我が夫が陛下のお役に立てるのであれば、ディーシャル公爵家としてこれ以上の喜びはありません。夫、そして子供共々、今後も陛下に変わらぬ忠誠を誓います」
そう言って、ドルアス様の後ろにやって来たディーシャル女公爵がことさら丁重にカーテシーをしたので、そのご夫君も、令嬢であるドルアス様も礼をする。
今ここではっきりと、ディーシャル公爵家がグレイ様の後ろ盾に付くことを表明したのだ。
「な、こんな事、許されると? 長年、この婚約に耐え抜いて来た私を蔑ろにするのですか!」
ルーカス様が叫ぶけれども、そのお父様である宰相閣下がルーカス様に向ける視線は冷たい。
「そ、そうです。旦那様、ルーカスはこれまで必死に我が家の当主となるべく努力をしてきたではありませんか。望んでいないのに、旦那様の為だとメイベリアン様との婚約も我慢しているのです。それを、こんな恥をさらされる形で裏切られるなどっ」
ルーカス様のお母様が必死に宰相閣下に言うけれども、宰相閣下はそちらには目を向けもしない。
「よかったな。今後は『家の為に我慢』しなくていいぞ。『病弱』なお前を支えるべく勉学に勤しんでいるガリティンは政治に関してもすでに『意欲的』で『優秀』で『常識がある』からな。ルーカスがいつ、病に苦しむ事になっても立派に支える事だろう。ドルアス様と共にな」
「私は病弱などではありません!」
「おや? これは不思議な事を言うものだ。メイベリアン様への『不義理』を許されていたのは、『病を持っているから』だというのに」
あ、そういう方向性で行くのか。長子継承の穴をつくわけね。
婚約者をちゃんと扱えない。それが『病』のせいであるのなら、家への傷も少なくて済む。
すでに後釜として優秀になるように、そして性格も歪まないように、宰相閣下とグレイ様が直々に初期から厳しい教育を施した『予備』がいるのなら、いつでも『静養』させる事が出来る。
やだねぇ、貴族って怖いわ。
「必要な手続きは、このパーティーが終わったらまとめて今日中に処理をしよう。メイベリアンの次の婚約者だが、私に考えがある為、不用意な事はしないように」
つまり、リアンにここぞとばかりに婚約を申し込むなっていう意味だね。
「お待ちください陛下!」
「おや、法務大臣。先ほども聞いたが、娘を家に放置して、このようなパーティーに出席していいのか? そなたの体調も思わしくないのだろう? そなたの退任の手続きも早急に済ませよう。案ずる事はない、そなたには優秀な部下を付けているからな、そなたが動けずとも、引継ぎに問題はない」
「わしは体調などどこも悪くありません。お考え直し下さい!」
「おや、ヴェヴェルの気の病が発覚した際に、『ここ最近仕事が忙しく疲労がたまり、体調が思わしくなく娘の事に気を回せなかった』、と言っていたはずだが」
グレイ様の言葉に法務大臣の顔が青くなる。実際にそう言い訳をしたんだろうな。
「で、ですが、今後は今まで以上に陛下に尽くすとっ」
「私が言ったことを忘れたか? 『無理をせずに、今後は家庭を大事にし、ゆっくりと休め』と言ったはずだ」
「それは……」
「そなたもしっかり『承諾』したはずだな」
微笑みを崩さないグレイ様に、法務大臣の顔が青から白に変わっていく。
「『幸いな事』に後任がすぐに『決まった』からな。そなたも、娘共々ゆっくり静養するといい」
ガクン、と法務大臣が膝から崩れ落ちた。合わせるように、会場のあちらこちらで青ざめ、ふらつく貴族の姿がある。
前国王の弟君であるディーシャル女公爵夫君は、権力争いを嫌い、早々に『自らの意思』で継承権を放棄し、婚約を決め王家を出て、学院に在学中の時点で、後宮で与えられた離宮を出て公爵家で過ごしていたそうだ。
しかも、その行動から分かる事から、貴族特有の権力争いをよく思っておらず、『真に』実直で公平な人であると有名だ。
今までこっそりと法務大臣に便宜を図ってもらっていた貴族にとって、これは大ダメージになるだろう。
混乱に包まれるリアンの誕生日パーティーだが、当のリアンはこれで婚約から解放されるという満足感からか、扇子で隠しているとはいえ、にんまりと口角が上がっている。
「兄上、妾の次の婚約者については、準備が整い次第発表という事でよいのじゃな?」
「もちろんだ。あの者は血筋的にも、今までの功績的にも、今後の期待値も問題ない。準備が整い次第『すぐに』婚約の発表を行う」
これで、リアンには次の婚約者が『ちゃんと』用意されている事が周知された。
しかもグレイ様に認められているとなれば、下手に横槍を入れる事も難しいだろう。
意気消沈した法務大臣や、納得がいかないと顔に出しているルーカス様とそのお母様を除き、後ろめたい所のある貴族は、そっと会場を抜け出していっている。
証拠を消しに走っているのかな?
グレイ様が、クスっ、と口の端を持ち上げた瞬間、会場内に居た数人の使用人が会場内から姿を消した。
この機会に法務大臣関連の膿を出す気かな?
そんな事を考えていると、出て行く人とは逆に、会場に入ってくる人の姿が見え、瞬時にグレイ様がわたくしの前に移動した。
「陛下! お会いしとうございました!」
実家に監禁されていませんでしたかね?
そもそも、王宮で開催されているリアンの誕生日パーティー会場にどうやって入って来たの?
衛兵は何をやっているの?
近づいてくるヴェヴェル様の前に、会場内に配置されていた使用人に紛れた護衛が立ちふさがる。
「陛下の御子を宿している私に何という態度です! そこをどきなさい!」
叫び声を上げるヴェヴェル様は、幾分痩せたように見えるけれども、その瞳には以前はなかった狂気めいた物が見え、わたくしは思わず目を細めてしまう。
実家に戻された事で、思い込んでいた幸せが狂い始めて、また別の形で追い込まれているという感じかな。
わたくしは庇ってくれるように前に立っているグレイ様の服を掴んで引っ張ると、大丈夫だと視線で言って、グレイ様の前に立ち位置を変えた。
リアンとクロエ、そしてリーチェが護衛に守られる位置にしっかり移動したのを確認して、ヴェヴェル様に視線を戻す。
グレイ様の傍にわたくしが居る事に気が付いたヴェヴェル様は、その目に更なる狂気と憎悪の炎を宿らせた。