想像力が逞しい
それは、社交シーズン真っただ中。リアンが主催した大規模お茶会の帰り、クロエやリーチェと後宮エリアを後にしようとした時に声をかけられたことから始まった。
グレイ様のお妃様の一人であるヴェヴェル様は、グレイ様の後宮に最初からいるお妃様の二人のうち一人で、爵位はもう一人より上だ。
つまり現時点で、グレイ様のお妃様の中で最も身分が高い人。
わたくしとの面識は、リアンの離宮で名乗られもしなかった一度切りだったのだけれども、今回は個人的に話があるという事を強調したいためか、しっかりと名乗ってくれたのでわたくしも名乗る事になった。
もちろん、流れ的にクロエとリーチェも名乗ったのだけれども、ヴェヴェル様はわたくし『だけ』を自分の離宮に招待してお茶をしたいと言ってきた。
もちろん、急なお誘いであったため、準備が出来ていない事、今しがたリアンが主催したお茶会を終えたばかりである事を理由に一度断ったのだけれども、ヴェヴェル様はほんの少しの間だけだと譲らず、心配するクロエとリーチェと別れ、お付きの護衛とメイドを連れてヴェヴェル様の離宮に向かった。
お茶会を、と誘ってきただけあり、おもてなしの準備は完璧のようで、程よく日差しの差し込む一室に案内され、アンジュル商会で売り出しているお茶菓子を出している。
「本日のお茶は、ローズマリーのハーブティーですの」
「ヴェヴェル様はハーブティーをお召し上がりになるのですか?」
「最初は抵抗がありましたが、最近は好んで飲むようになりました」
「そうですか」
「何よりも、陛下がお召し上がりになっているそうですから」
うっとりと話すヴェヴェル様は、完全に恋する女っていう感じ。
婚約者を捨ててグレイ様のお妃様になったから、権力目当てかとも思ったけど、これは本当にグレイ様に恋をしちゃってるパターンかなぁ。
メイドがハーブティーを淹れると、ふわりと香りが漂う。
「ツェツゥーリア様とは、是非ともゆっくりとお話をしたいと思っていたのですよ」
「そうですか」
「以前は私も若かったこともあり、無作法を働いてしまいましたからね。その節は申し訳ありませんでした」
「いえ、お気になさらずに」
いきなりの謝罪に、何を企んでいるのだろうと微笑みの下で眉をしかめる。
グレイ様のお妃様を数年やっているだけあって、仕草や作り出す表情は完璧に近い物があるし、今のところ不快な視線も投げられていない。
ハーブティーを飲みながら失礼にならないようにヴェヴェル様を見ていると、ふと視線が合い、微笑みを向けられた。
「ツェツゥーリア様には、申し訳ない事をしていると思っています」
「どういう意味でしょう?」
「私が長年、陛下のお子を授かれなかったばっかりに、ツェツゥーリア様が妃になるのではないかと言われているそうですね。そのせいで、他の家からの婚約の申し込みも渋られていると聞きます」
いや、そんな事ないらしいよ? お父様が全部断っているだけだって言われたよ。
確かに、グレイ様の寵愛を受けているっていうので、触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに尻込みする家もあるのは確かだけどね。
「けれど、ご安心なさってください。陛下は毎夜私のもとに通っていらしています」
「そうですか」
「それに、先々月から月の物が来ていないのです」
ヴェヴェル様の言葉に、ピクリと眉が動きそうになる。
ほんのり頬を赤く染めて、今まさに幸せの中にあるという表情で、少なくとも嘘をついているようには見えない。
「陛下には今朝お伝えするよう手配しましたが、今宵いらした時にきっと喜んで私の事を褒めてくださいます」
「お医者様にお見せしなくてよろしいのですか?」
「もちろんそのつもりです」
妊娠しているかどうかは、『塔』が作った魔道具で妊娠初期から判断することが出来る。
それにしても、生理が二ヶ月来てないのか。
「ご体調は如何ですか? 子供を授かると、体調が悪くなると聞きます」
「それが、私は幸いな事に母子ともに健康そのものなのです。これも陛下の愛の賜物ですね」
つわりと愛は関係ないわ。
「他の陛下の妃は、いえ、元妃もそうですが、陛下を裏切っているようですけれども、私は陛下以外にこの体を許していませんのよ」
自慢げに言ってるけど、それが当たり前だからな?
後宮の離宮に男引き入れる方が、常識はずれで頭おかしいんだからな?
しかし、どうしたもんかね。
グレイ様は絶対に手を出していないし、かといってヴェヴェル様の表情や目を見る限り嘘を言っている様子もない。
可能性としては想像妊娠。もし本当に妊娠しているのなら、意識のない間に襲われたっていう所だよね。
「それで、ツェツゥーリア様」
「なんでしょう」
「私は無事に陛下のお子を授かりましたので、遠慮しなくてよろしいのですよ」
「申し訳ありません。おっしゃっている意味が分かりかねます」
「陛下に、後宮に入る気はないとおっしゃいなさいな」
うっそりと微笑んで言われた言葉に、わたくしは表情を変えずにまっすぐにヴェヴェル様を見る。
「ご安心ください。わたくしは元々『後宮に』入る気はありません」
「まあ、そうでしたか。それならなおさら、陛下にはっきりと今後はお手を煩わせないとおっしゃいませんといけませんよ」
「申し訳ありませんが、わたくしはヴェヴェル様に命令される覚えはありません」
「……少し、陛下に気に入られているからといい気になるのもいい加減にした方がいいですよ? 私はゆくゆくは陛下の『正妃』になるのですから」
「それは初耳ですね。陛下は確かに誰を正妃にするか決めているそうですが、それがヴェヴェル様とはおっしゃっていませんでした」
「きっと、まだ子供であるツェツゥーリア様に気を使って言わなかっただけですよ」
「いいえ、ヴェヴェル様ではない事は『絶対に確か』です」
わたくしがそう言うと、ヴェヴェル様が先ほどまでの表情とは一変してギロリと鬼のような形相でわたくしを睨みつけてくる。
「戯言が聞こえた気がします。まるで、誰が正妃になるか知っているような口ぶりですね」
「そうだとしたら、なんだというんですか?」
「まさかとは思いますが、ツェツゥーリア様が正妃になるとでもいう気ではありませんよね? ふふ、子供の戯言とはいえ、それはあまりにも不敬ですよ。今なら聞かなかった事にしてあげましょう。訂正、なさいますよね」
睨みつけたまま、声音だけは優しく言ってくるので、わたくしは表情をずっと微笑みから変えないまま、わざとらしくグレイ様の個人紋の入った扇子をパチンと音を立てて開き、見せつける。
わたくしが使う事を許されていると見せつけているグレイ様の個人紋に、当たり前だけれどもヴェヴェル様は視線を向ける。
「わたくし、どなたかと違って妄言を言ったりはしません。それに、わたくしは陛下に単純に『寵愛』されているだけではありませんよ」
わたくしの言葉に、ヴェヴェル様の視線がゆっくりと扇子の個人紋からわたくしの顔に上がってくる。
「未来を見据えて、『寵愛』されているのです」
微笑みから一切表情を変えずに、けれども、声音はことさら嬉しそうに甘く出して言えば、ヴェヴェル様がギリっと歯ぎしりをした音が聞こえた。
「とにかく、妊娠している事も含めて、お医者様にちゃんと見ていただいた方がよろしいですよ。どなたの種か分かりませんし、そもそも『本当に』妊娠しているかどうか分かりませんからね。勘違いという可能性もあります」
「なにをっ! 私は陛下の御子を授かったのです!」
「それはおかしな話だな」
元々半開きにされていた扉が、完全に開かれ、そこにはグレイ様の姿があって、ヴェヴェル様は一瞬驚いたようにビクリと肩を震わせたけれど、すぐに鬼のような形相からうっとりとするような笑みを浮かべてグレイ様を見た。
「陛下、お聞きになって夜を待たずにいらしたのですね。長年待たせてしまいましたが、やっと『陛下の』御子を授かりました」
ゆっくりと立ち上がってグレイ様の方に近づいて行くヴェヴェル様と、その奥に居るグレイ様を見つつ、わたくしは一歩たりとも動かない。
「褒めてくださいませ、陛下」
もう少しでグレイ様にヴェヴェル様の手が届くと言う所で、グレイ様の護衛がその手を阻み、グレイ様はその横を通り過ぎてわたくしの所に来ると、そのまま隣に座る。
「へい、か? 相手を御間違いですよ? せっかく陛下の御子を授かったのです、陛下の隣に相応しいのはこの私です」
「私の隣に立つにふさわしい女性は、後にも先にもツェツィだけだ。それに、私の子供を身ごもったなどという妄言を吐く女を傍に置くわけがないだろう」
「妄言などではありませんっ」
「だったら、先に一緒に来た医師の診断を受けるんだな」
「分かりました。陛下、楽しみにしていてくださいね。……ツェツゥーリア様、『私の代わりに』陛下の御相手をお願いします」
そう言って部屋を出て行くヴェヴェル様を見送って、わたくしはハーブティーを飲もうとしたら、手にしていたカップをグレイ様に取り上げられた。
そのまま飲むのかと思えば、連れて来た護衛にカップごと渡したので、僅かに目を細めると、グレイ様は「気にするな」と言ってきた。
その後、しばらくして何度か会ったことのある四十代ぐらいの男性、確か王宮に所属しているお医者さんの一人、が部屋に入ってくると、座らずに立ったままグレイ様に向かって「お子は宿っていません」と言った。
「アレは?」
「嘘だとしばらく叫んでいましたので、強制的に眠らせています」
「想像妊娠という物ですね」
「まあ、無くはない話だな。いっそ、本当に子供を妊娠していれば面白かったのだが」
「無理では? ヴェヴェル様は本当にグレイ様を慕っているようです」
「アレだけが尻尾を掴ませないと思っていたが、しかたがない。先にあの者から出すか」
「よろしいのですか?」
「まだあと三人残っているからな。どれも曰く付きだ、出そうと思えばいつでも出せる」
ヴェヴェル様、後ろ盾もしっかりしていたし、浮気もしていなかったのに、グレイ様の子供を妊娠したっていう想像をしただけで後宮から追い出されるとか、ぶっちゃけひどいと思うんだけどなぁ。
「アレは脱走不可能な修道院に送るように命じておく」
「それは……」
酷いのでは? と目で訴えればグレイ様はため息を吐き出す。
「思い込みの激しい後のない人間というのは、何をしでかすか分からないものなんだ。ツェツィを守るためであるし、この処置はこの国を守る為でもある」
「後ろ盾になっている家は大丈夫なんですか? 法務大臣のお嬢様ですよね?」
「問題ない。想像妊娠をするほど気がふれたとなれば、流石に擁護はするまい」
好きな人の所に折角嫁いで来れたのに、一回も相手にされなくて、追い込まれて想像妊娠して、そのせいで追い出されるとか、貴族の世界って、こういう所がいやだなぁ。
「ただ、陛下」
「まだ何かあるのか?」
「ヴェヴェル妃様ですが、非処女でございました」
男の人の言葉に、グレイ様も僅かに眉間にしわを寄せた。
「男を招き入れたという報告は受けていないが? こちらに来る時は確かに処女であったはずだな?」
「それは間違いございません。ただ、現時点では既に……」
「どういう事だ?」
グレイ様が離宮の使用人に視線を向けたが、使用人は顔を青ざめさせて首を振るばかりだ。
まさかとは思うけど、処女膜だけで非処女かを判断してるのかな。
あれって、激しい運動をしたり、何かのきっかけで結構破けちゃったりする物だった記憶があるんだけどな。
私はグレイ様とお医者さんに、処女膜は激しい運動や、自慰、最近だったらタンポンの使用で破れる可能性がある事を伝えた。
二人だけじゃなく、使用人にもその事は衝撃的な事だったようで、大分驚かれたけれども、それであるのなら納得も出来ると最終的には理解してくれた。
ただでさえ理不尽に追い出されるのに、更なる追撃をするとか、鬼の所業をして欲しくはないんだよ。
だって、ヴェヴェル様の今回の行動って、グレイ様を好きすぎて追い詰められた結果なんだよ? グレイ様も大分悪いと思うんだよね。