珍しく落ち込む
覚悟を決めてお父様の執務室に入ったわたくしは、お父様が防音結界を張ったのを確認してから、自分が前世の記憶がある事、今までしてきたことは全て前世の知識によるものである事を伝えた。
わたくしの話を難しい顔をして聞いていたお父様達だったけれど、深く息を吐き出して、「わかった」と言ってくれる。
「信じてくれるの?」
「そうでなければ、説明がつかないことが多すぎるからな」
そりゃそうだけど、もっと疑うものじゃないの?
「ツェツィがこの状況で私達に嘘をついても仕方がない。賢いツェツィなら、このまま都合のいい言い訳をして、口を割らない場合の事も考えているはずだからな」
「それはそうだけど」
「しかし、前世か。前世の記憶を持ったものが居ると言うのは、稀にあることだが」
「そうなの!?」
「それでも、異世界の記憶というのは聞いたことがない」
「そう……」
それもそうか。もし異世界の記憶があったら、この世界の食事事情はもっと改善されてるはずだもんね。
「この事を陛下に報告してもいいか?」
「えーっと、流石に内緒には出来ないわよね?」
「この数ヶ月、お前の行動については報告されている。今のところ何も言ってきていないが、隠し通すことは難しいだろう」
でーすーよーねー。自分でもやり過ぎたっていう自覚があるもん。
「わかったわ。グレイ様に報告をするのよね。わたくしも自分でお手紙を書くわ」
せめて我が家に責任が追及されないようにしなければ。
その後、部屋に戻って早速グレイ様宛に手紙を書く。
文字を書くのはまだちょっと苦手だけど、一生懸命書いて、今まで黙っていた事の謝罪と、わたくしだけが悪いので、お父様達を怒らないで欲しいと言う事をお願いした。
報告書と一緒にお手紙を送って一週間後、グレイ様から返事が返って来て、詳しく聞きたいので王都に来るように、と王命が下った。
去年とは違い、気分はドナドナされる子牛だ。
お父様は大丈夫だと言ってくれたけど、ただでさえモブなのにありえない加護を貰っちゃって、挙句の果てに前世知識チートは、やりすぎたかもしれないと、今更ながらに後悔する。
でも、わたくしの話も聞いて欲しい。前世での恵まれた生活に慣れ切った思考には、この世界の常識がつらい。
貴族の云々に関しては、お約束あるあるとしても、食事に関しては譲れない。断固として譲れない。
説明して納得してもらえるかなぁ。してもらえなかったらどうしよう?
泣き落とし? 幼女の必殺泣き落とし? でも、中身がアラフィフだってわかったら効果が薄いかも。
はぁ、気が重い。
王都について、屋敷であてがわれた部屋に入っても、わたくしの心は晴れず、何度も深いため息を吐き出してしまう。
乳母やメイドが心配そうに視線を向けてくるが、今はそれに小粋に返す余裕もない。
頭の中は、いかにこの家の者への被害を少なくするかについて考えるのでいっぱいいっぱいだ。
『ツェツィがそんなに気負う事はない』
「ヴェル。でも、わたくしのせいで家に迷惑が掛かったら困るわ」
『いざとなれば、王の所に行けばよいのだ』
「そうなの? でも、それだと……」
前世なら、こんな気分の時はゲームをしたり、料理をして気を紛らわすのに。
どちらも出来ない以上、思考の泥沼にはまってしまうだけだ。
「……ナニー」
「どうなさいました、お嬢様」
「今すぐに、掃除道具を持ってきて」
「どういう事でしょうか?」
「ゲームも出来ない、料理もまだ禁止。そうなったら後は掃除ぐらいしか残ってないじゃない」
「辺境侯爵令嬢ともあろう方が掃除などなさるものではありません」
「でも、気がめいっているんだもの。気分転換がしたいわ」
「それでしたら、淑女らしく本を読んだり、刺繍をなさったり」
「集中できないから無理」
日も暮れはじめている為、いくら屋敷の中とはいえ、庭に出るのも止められてしまうだろう。
「夕食の前にお風呂に致しましょう。飛び切りの香油をご用意いたします。気分も少しは晴れるでしょう」
「でも……」
「長旅でお体が疲れているから、碌な考えにならないのですよ」
乳母に言われ、そうなのかもしれないとも思う。疲れている時は、とにかく思考がマイナスに行きがちだ。
少しでも気分転換がしたいので、頷くと、既に湯船の準備は整っているのか、浴室に連れていかれ、ドレスを脱がされた。
まだ五歳の上、辺境侯爵令嬢なので、一人でお風呂に入ると言うわけにはいかない。
前世の記憶が戻って数回は恥ずかしく感じたが、今では誰かの手を借りてお風呂に入ることに何の抵抗感も湧かなくなった。
むしろ、最高級のエステに行っているのだと思えば得をした気分になる。
貴族の令嬢らしく髪を伸ばしているので、自分で洗うのが面倒くさいと言うのもあるが、ヘッドスパに行っているようで、人に髪を洗ってもらうのは気持ちがいい。
乳母が言ったように、上質の香油を使われているのか、お湯はいい匂いがした。
ラベンダーかな、と考えているとかけ湯をされて、メイドの手を借りてお風呂に入る。
わたくしが小さいだけではなく、普通に考えても大人二人は入れるであろう大きさのお風呂は、この体で使うのはちょっと大変で、浴槽の中に椅子を用意してもらっている。
「はあ……」
全身をお湯に浸らせると、思わず口から息が漏れてしまう。
温泉とかこの世界にはないのかな? あったら行きたい。絶対に行きたい。
そんな事を考えていると、少しだけ気分が晴れた気がする。
いざとなれば、聖王や魔王を頼ってわたくしだけこの国を出ればいいのだ。
一からやり直したり、なんの伝手も無いのに食材を集めたりするのは大変かもしれないけれど、絶対に無理と決まったわけでもない。
家族と離れるのは寂しいけれど、迷惑をかけるよりはよっぽどいい。
「わたくし、がんばるわ」
ぐっとお湯の中でこぶしを握り締めてそう言うと、世話をしてくれているメイドがほっと息を吐き出したように感じた。
わたくしが気落ちしていたせいで、思った以上に心配をかけていたのかもしれない。
うぅ、厨房に立てればお礼にお菓子でも作るのにっ。
本当にこの幼女の体で居ることが悔しい。
生活魔法で一時的に体を成長させるとか出来ないかな? そんな魔法、どの本にも載ってないけど。
領地から食材を取り寄せて、今のわたくしでも指示するだけで作れるようなお菓子とか……。でも、バターとかはともかく、卵や牛乳はアウトだ。
うーん、和菓子系とか? 流石に練りきりとかは作れないけど、おはぎとか羊羹なら作れるし、小豆とかを取り寄せればいけるかな?
そんな事を考えているうちに髪を洗い終えたようで、一度湯船から上がって体を洗ってもらう。
お湯はその間に浄化され、もう一度香油が落とされた。
体を洗った後、もう一度浴槽に入って体を温め、湯冷めしないように髪を乾かされ、髪と体に香油を揉みこまれる。
あまりべたべたと香油をつけるのは嫌だと言ったので、貴族の令嬢にしては使われる香油が控えめな代わりに、丹念に手入れをされている。
「領地から小豆とお米、あとはもち米をこっちに送ってもらってちょうだい」
「そちらでしたら、こちらに来る際の荷物に加えてございます」
「そうなの?」
「はい。お嬢様がお米などがお気に入りのご様子でしたので、こちらでも召し上がりたいと思いまして」
「でかしたわ!」
そうと決まれば、明日は早速何か作ろう。
おはぎ? 羊羹? あんころ餅?
うーん、おはぎかな。
そうと決まれば、張り切っちゃうぞ。
「お嬢様が元気になられたようでよかったです」
「心配をかけてごめんなさい」
「いえ。私共にはわかりませんが、何か重大な事なのでしょう。お嬢様のお心が晴れればそれで何よりです」
その言葉に胸が熱くなる。
わたくし、絶対にこの家に迷惑をかけるような真似はしないわ。
その後、おはぎを作るだけならともかく、小豆を煮るという作業に時間がかかる為、先に王宮に行ってグレイ様に一切合切を話すことになって、上がっていたテンションがちょっぴり下がったのは言うまでもない。