一人目解放(後編)
Side マルガリーチェ
リアン主催のお茶会から帰宅すると、我が家の物ではない馬車が見え、来客の予定があったかと考えましたが、そんな物はなかったと思い直しました。
もちろん、私が知らないうちに急に決まるという事もありますが、少なくとも前日には予定確認を兼ねたお伺いをするのが『常識』ですよね。
馬車から降りるとき、チラリと視線を向ければジュンティル侯爵家の家紋が記されており、ラッセル様のお父様が支援金の無心に来たのかもしれないと当たりを付けました。
ラッセル様が色々やらかしてくれているおかげで、お爺様の代に結ばれた契約はだいぶ見直しをされており、今はもう本当に最低限の支援しかしていません。
今までのように暮らそうと思ったら、すぐにお金は無くなってしまうでしょう。
騎士団長を務めているとはいえ、いいえ、騎士団長を務めているからこそ、ラッセル様のお父様はお給金は多いですがその分出費もかかりますからね。
武具などの消耗品にかかる費用はある程度は国から保証されますが、足りないんですよね。
騎士団長ともなると、部下に稽古を付ける兼ね合いもあって、他の騎士よりも武具を扱う時間が多いですし、その分消耗します。
しかも、騎士団長という身分に居る以上、粗悪品を使うわけにもいかず、使用する物は一級品でなければ威厳が保てないともなれば、お察しという物ですね。
さて、今回はいくら用立てて欲しいと言ってくるのでしょう?
お父様も本格的に関係を断ち切ってくれればいいのに、私が子供を身ごもれば、ラッセル様を亡き者にして当主代理として動き、ジュンティル侯爵家を乗っ取るのも手だなんて言いましたが、面倒ですよね。
私はパイモンドと結ばれたいと何年も言っているのに、そろそろ認めて欲しいです。
パイモンドだって、暫定とはいえ伯爵家の跡取りになりますし。
ため息を吐き出したくなるのをこらえて玄関に入ると、待っていたらしいメイド長が、第二応接室にラッセル様と騎士団長がいらしていると報告してきて、思わず首を傾げると、今はお父様が対応しているので、帰宅した姿のままでいいのですぐに第二応接室に行くようにと言われてしまいました。
お茶会に出席したドレスですので、ラッセル様達の前に出てもおかしな物ではありませんが、騎士団長はともかく、ラッセル様が我が家に来るなんて初めてですね。
どういう風の吹き回しでしょう?
とにかく、第二応接室に行き、扉をノックすると、中から執事が扉を開けてくれたので、カーテシーをしてから中に進んでいき、お父様の隣に座りました。
「おかえり、マルガリーチェ。今日のお茶会はどうだった?」
「ファシェン様やシェルティナ様が、祖国のお話をしてくださったり、他にも、留学していらっしゃった方のお話を聞けて、大変有意義なお茶会でした」
「そうか。メイベリアン様達もお変わりはないか?」
「はい。これといって現状変わりはありません」
「なるほど、我が家が一番乗りか。……それで、ジュンティル侯爵。先ほども話したように、我々の子供の婚約だが、どうにも貴殿のご子息は随分我慢しているようで、こちらとしても、このまま婚約『してもらう』のは心苦しいと思っているのですよ」
「申し訳ない……」
あら、騎士団長の顔色は青を通り越して白ですね。
ラッセル様は状況が呑みこめていないのか、騎士団長を見た後に、お父様やわたくしを見てドヤ顔をしています。
けれど、騎士団長とラッセル様がいて、お父様とわたくしが居て、このような会話の運び方をするという事は、ラッセル様の今までの行いについにお父様が耐え切れなかったのか、突発的に何かをしでかしたのでしょうね。
「お父様。私は来たばかりで状況が分からないのですが、ご説明いただけますか?」
「は? まだ分からないのか? だからお前は駄目なんだよ。この俺が教えてやる。今日という今日は、お前が何も出来ない役立たずで、俺に婚約『してもらっている』立場で、俺を敬い力の限り奉仕する事こそが『生きる意味』なんだ」
「ラッセル、もう黙れっ!」
「何を言うのです父さん。この女は頭が悪いのですから、はっきり言ってやらなければ分からないのですよ」
「ラッセル!」
「はっはっは。構いませんよ。それがラッセル君の素直な気持ちなのでしょう? いやぁ、聞き及んではいましたが、いっそ清々しいものがある」
「そうでしょうとも。男たるもの常に堂々としていなければ」
「騎士を目指しているだけあって、良い心構えですね」
はあ、お父様ったら、私が今まで散々ラッセル様の事をご報告していたのに、もう少し我慢しなさいなんて言っておきながら、手のひら返しがすごいですね。
それとも、お父様なりに我慢していたのでしょうか?
パイモンドの方も準備が出来たので、切り捨てる方向に切り出したと? それが、たまたま今日だという事でしょうか。
けれど、お父様でしたらこのような重要な事は前もって教えてくれるはずですので、こんないきなり話が進むというのは、やはり何かが起きたと考えるべきかもしれません。
やはり説明して欲しいと、お父様を見ると、お父様はわざとらしく困ったように眉を下げると、「実は」と切り出しました。
「ジュンティル侯爵には先に説明しているから、くどく聞こえてしまうかもしれませんが、お許しを」
「いえ……」
「マルガリーチェがお茶会に行っている最中に、ラッセル君が先ぶれも無しに突然訪問して来てね。なんでも、マルガリーチェが画策してジュンティル侯爵家を窮地に追いやっているそうなんだ」
「まあ、そのような事を?」
「私も驚いたさ。しかも婚約『してもらっている』身分なのに、わきまえていない、と言われてしまった」
それ、私がお父様に報告した内容に含まれていますよね?
実際に自分が直接聞くと堪えられなかったという所ですか? 我が父ながら呆れてしまいますよ。
「私としては、ラッセル君にこれ以上負担をかける気はないんだ」
「流石はオズワルド侯爵、話が早い。それに引き換えマルガリーチェは貴方の娘とは思えない愚鈍さだ」
「申し訳ない。このままではラッセル君の為にもならないでしょうね。ジュンティル侯爵、ちょうど当事者が集まっているのです。二人の婚約を見直しませんか」
「っ!」
尋ねるような言葉遣いですが、否定は許さないというような雰囲気ですね、お父様。
けれど、空気が読めていないというか、分かっていない人がいるようですよ。
「それはいいですね。この機会に、徹底的にこの俺に逆らうような真似をせず、従順である事と、ありとあらゆる手段を以てこの俺の役に立つようにするとすべきですね」
「いやいや、それではどちらにせよラッセル君に負担をかけてしまうだろう? もっと根本的に解決する方法があるんだ」
「そうなんですか? それはいったい?」
「婚約の解消だ」
「は?」
お父様の言葉に、ラッセル様はポカンと口を開けて硬直しています。
ふふ、騎士団長は頭を抱えていますね。
「このままではラッセル君に申し訳が立たない。ここまで来てしまったら、この婚約はなかった事にしてしまった方が、お互いの為という物です」
「ま、待ってください。俺は構いませんが、マルガリーチェは傷物になりますよ。ただでさえ取柄のないどうしようもない女なのに、婚約が一度駄目になった傷物なんて、もう貰い手が現れるわけがありません」
「なに、優秀なラッセル君の優しさには感謝するが、所詮は先代の口約束のような物から始まった物だ。君がそこまで気に負う事じゃない。君ほどの男なら、婚約者になりたいと思う令嬢など、それこそ山のようにいるだろう?」
「それは、そうですが」
「だったら、『君が言う』不出来なマルガリーチェの事を忘れ、それぞれの道を歩いた方がいい。もちろん、二人の婚約が無くなるわけだから、これまでのように家同士の付き合いを続けるわけにはいかなくなるが、問題はないさ。私だって鬼じゃない、過去は振り返ったりしない。君だってそうだろう? ラッセル君は寛大な心を持っているのだからね」
お父様の言葉に、ラッセル様はすっかり誘導され、胸をそらしてまんざらでもなさそうな顔をしています。
「か、過去を振り返らないというのは」
「もちろん、言葉の通りですよ、ジュンティル侯爵。今までの事は全て水に流して、無かったことにしましょう。大丈夫です、あくまでも支援していただけですし、支度金や持参金は渡していませんでしたので、それを回収しようなんて思いません」
「そうですか」
今までジュンティル侯爵家に支援していた金額は相当な物になりますが、それでもそれを手切れ金として婚約を解消し、今後ラッセル様が私に関わらないとするのなら、構わないでしょう。
「ああ、もちろん。『婚約解消』ですから、『お互いに』慰謝料は『発生しない』という事でいいですよね」
「もちろんです」
「父さん、今回の婚約が駄目になったのはマルガリーチェに責任がある。慰謝料は貰ってもおかしくはないのでは?」
「ラッセル、黙れ!」
「なっ」
厳しい騎士団長の声に、ラッセル様が息を呑みましたが、お父様は小さく舌打ちをしました。
あちらが慰謝料を請求してくるのなら、こちらからも請求及び、今までの支援金の回収も可能でしたでしょうが、ジュンティル侯爵はそこまで馬鹿ではありませんよね。
「では、婚約解消の契約書を用意してきます。少々お待ちください」
そう言ってお父様は第二応接室を出て行きました。
「父さん、ここはマルガリーチェの置かれた立場を分からせるべきでしょう。相手は同じ侯爵家です、何を臆する事があるのですか。それとも、馴染みのある家に情けをかけているのですか?」
「馬鹿者っ! 情けをかけてもらっているのはこっちだ!」
「は? 婚約してやっていたというのに、恩を感じない家なんて、むしろこちらから関係を断ち切るべきですよ」
あらあら、ラッセル様の言葉に騎士団長が脂汗を浮かべていますね。
ふふ、この場にお父様がいなくてよかったですね。
「ラッセル様」
「なんだ」
「婚約者ではなくなりますし、私共はただの知り合いになりますので、今後は呼び捨てになさらないでくださいね」
「どこまで行っても生意気だな。自分の立場が本当に分からない愚か者だ。お前のような無能を妻に迎えなくてよくなったことは、我が家にとって素晴らしいことだな」
「そうですか。けれど、貴族としての礼儀作法をきちんと身に付けているラッセル様なら、貴族の子息に相応しい態度を取りますよね」
「当たり前だ」
「この事を、婚約解消の契約書に盛り込んでも構いませんよね」
「ふん、細かい事までいちいち面倒だな。好きにしろ」
「ありがとうございます」
その後、騎士団長が色々とラッセル様を責めたり、私に譲歩して欲しいと言ったりしましたが、私はお父様が戻ってくるまで、条件の追加を引き出すような言質は取りましたが、譲歩する言葉は一言も言いませんでした。
お父様は、両家に保管するための二枚と、王家に提出するための一枚、合計三枚の婚約解消の契約書を持ってきましたが、その場でわたくしはお父様が居ない間にラッセル様から引き出した新しい条件を加え、違反する度に罰金を払うように設定してもらいました。
騎士団長は渋い顔をしていましたが、ラッセル様に「守れないはずありませんよね。何といっても優秀なのですから」と言えばすぐに頷いてくれるので楽勝でした。
もっとも、どうせ罰金を設定しても払えないでしょうから、簡単に、私を呼び捨てにしない、必要以上の接触はしない、今後はただの知り合いとして適切な関係を維持する、という物に落ち着きました。
お父様と騎士団長、ラッセル様と私が三枚すべてにサインをして、これを王家に提出すれば晴れて婚約は解消になります。
お父様が恐らくこの後すぐに王宮に行くでしょうね。
あそこは書類の受付は二十四時間していますし、ツェツィの親友という特権で、私達の婚約に関する問題は最優先で処理するようになっているそうですから、陛下もすぐに承認してくれるでしょう。
「これで、晴れて傷物になったな。お前となんか誰も婚約したがらないだろうな。哀れな事だ。この俺に捨てられたことを、せいぜい泣いて悲しめ」
「ご心配痛み入ります。今後の事については、お父様とじっくり話し合います。もちろん、私が今後どうなろうとも、ラッセル様には何の関係もありません」
「負け惜しみか? 哀れだな。いずれ騎士団長になるこの俺に捨てられたという消せない傷を一生背負うんだな」
ニヤリと笑うラッセル様に、私はにっこりと微笑みを返して、ラッセル様の腕を掴んでそそくさと第二応接室を出て行く騎士団長を見送り、お父様が続くように王宮に向けて馬車を出したのを音で確認して、メイドにお茶を淹れてもらいました。
ふふ、明日は緊急女子会ですね。