一人目解放(前半)
Side ラッセル
最近、母さんはあまり社交を行っていない。
社交シーズンも、最低限の物にしか参加せず、古いドレスは以前であれば捨ててしまっていたのに、最近では売りに出したり、リメイクをして着回しをしている。
まったく、伝統あるジュンティル侯爵家の夫人としての自覚がないのだろうか。
父上はここ最近は以前にもまして忙しいのか、朝は早くから家を出て帰りが遅く、食事も王宮にある騎士団の食堂で食べている始末。
我が家での食事も、以前に比べると品数が減っているように思える。
しかも、あのデュランバル辺境侯爵家が後ろ盾になっているアンジュル商会が広めている食事だと言って、わけの分からないものが並び、全くもって嘆かわしい限りだ。
いつ毒を盛られるか分からない立場だというのに、火を通さない野菜を口にしなければいけないなど。そういえば、皿もいつの間にか銀製品が減っているな。
出される料理には香辛料も足りないし、これが流行りの食事など、世も末だ。
しかし、父上がそうすべきだと決めたのなら、家長の言葉に従うのも息子の、跡取りの義務という物だ。非常に不愉快ではあるがな。
そんな日々を過ごしていると、ふと、衣裳部屋に仕舞われている衣装が減っている事に気が付き、侍従に尋ねると、幼いころに仕立てて着る事が出来なくなった物は母さんの指示で売りに出しているらしい。
俺の物を勝手に処分するなど、母さんとはいえ許せんな。早速俺は母さんに抗議をすべく、母さんの部屋に向かう。
母さんの私室の扉をノックをすれば、中から母さん付きのメイドが姿を現したので、母さんに用事があると伝えれば、中に通された。
どうやら母さんは刺繍をしていたようで、手元には扱っていたであろう刺繍の道具が置いている。
「どうしました?」
「どうしたも何もないですよ。俺の服を勝手に処分したとか、あんまりじゃないですか」
「持っていたとしてももう着ることは出来ないでしょう? それであるのなら、少しでも我が家の為に役に立てるべきです」
「はあ?」
「……何も気づいていないのですね。オズワルド侯爵家からの支援は、本当に必要最低限の物にされ、この家は侯爵家としての体面をギリギリ保てている状態なのですよ」
「何を馬鹿な。そもそも、支援などなくとも領地からの税収があるじゃないですか」
「お前は、我が家の領地からの税収額を理解していないのですか?」
「侯爵家として相応しい領地を持ち、相応しい税収があるんでしょう。何の問題もありません」
「旦那様が、あれほど我が家の領地は産業に乏しく、侯爵位を得たのだって、三代続けて騎士団長になったという名誉を鑑みて、前国王陛下が昇格してくださっただけです、侯爵家の序列で言えば、我が家は新参者、最下位に近いのですよ!」
「まさか。それに、父上を入れれば四代連続で騎士団長を輩出、俺だっていずれは騎士団長になるのだから、五代連続ですよ」
母さんは何を言っているのだろうか?
歴史ある我が侯爵家の序列が低いなど、被害妄想に憑りつかれるなど、随分と心を病んでいるようだな。
それもこれも、俺を騙したあの悪女のせいだろう。あの女は母さんのお気に入りだったからな。
しかし、いい年なのだし、壊れてしまったお人形遊びなど忘れて現実を見て欲しいものだ。
「私や旦那様はともかく、ラッセルはまだ成長期です。衣装代も馬鹿になりません。節約出来る所は節約しなければいけないのです。旦那様が騎士団長をしているとはいえ、湯水のようにお金を使えるわけではないのですよ」
「母さん。我が家は上位貴族、侯爵家ですよ。まるで弱者であるような事を言わないでください」
まったく、これだから女は駄目なのだ。自分の立場という物を理解しようとしない。
「そういえば、最近使用人が少ないように見えるのですが、離れでも作ったのですか?」
「少なくしているのです。必要最低限な人数で回しています。どうしても人手が必要な時は、オズワルド侯爵家にお世話になっているのですよ」
「は?」
「食費も抑えるため、旦那様は無料の騎士団での食事を召し上がっていらっしゃいます」
「母さん、いい加減にしてください。情けなくてため息が出てしまいそうです」
「ため息を吐きたいのはこちらです。陛下があんなにもお心を砕いてくださったのに、お前はまったく成長しないで……。私は、社交行事の度に他家のご夫人に、馬鹿にされているのですよ!」
母さんはそう言って、俺を睨みつけてくる。
なんだ、俺のせいだとでも言いたいのか? 母さんが仮に他家のご夫人に馬鹿にされているのが事実だとしても、それは母さんのせいであって俺のせいではないだろう。
責任転嫁も甚だしいな。
「ああ、そういえば夏用の服を仕立てようと思っていたので、来週の休日は仕立て屋に行きます」
「既製品を手直ししなさい」
「は? 何を言っているんですか?」
「一から仕立てるより、ずっと予算がかかりませんからね」
「侯爵家の跡取りともあろう者が、そんな平民が着るような物を着る事が出来るわけがないでしょう!」
「誰のせいだと思っているのです! お前がもっとちゃんとマルガリーチェさんの相手をしていれば、こんな事にはならなかったというのに!」
「なにを……」
そうか、マルガリーチェが何かしたんだな。
俺の婚約者にしてやっているというのに、生意気な女だ。
「母さん、安心してください」
「何をですか」
「俺が、あいつに自分の立場という物を分からせてやりますよ」
「何を言っているのです? もう手遅れです。私は貴方の教育を間違えました。あとはもうこれ以上、貴方とマルガリーチェさんが結婚するまで、あの家を怒らせない事しか出来ません」
「はあ、もう何を言っても無駄そうですね。とにかく、ここから先は俺に任せてください。母さんは、のんきに刺繍でもしていてくださいよ」
「……そうですね。これも売れば少しは生活の足しになりますからね」
ため息を吐きながら刺繍を再開した母さんを蔑んだ目で見て、俺は部屋を出た。
すぐに外で待って居た侍従に、今からオズワルド侯爵家に行くと告げた。
「今からですか?」
あからさまに不服そうな侍従に、いいから馬車を出すように言えば、渋々といった感じに玄関に向かって行った。
さて、婚約者の家とはいえ、相手も一応侯爵家だからな、下に見られる格好をするわけにもいかないし、着替えるか。
自室に戻って、質のいい物を選んで着替えると、そのまま玄関に向かう。
玄関では侍従が待って居て、馬車に乗りこむ直前まで「本当に行くのですか?」と聞いてきたが、なぜ一度決めた事を覆さなければいけないんだ。
そのまま馬車に乗ってオズワルド侯爵家に到着したが、先ぶれが間に合わなかったのだろう、門の中に馬車を入れてもらえずしばらく待たされ、なんとか入れてもらえたものの、マルガリーチェは出かけていると言われてしまった。
この俺がわざわざ来てやったというのに、本当に身の程をわきまえない女だな。
それでも、使用人に案内されたのは、なかなかに見栄えのする部屋だった。
ふん、あの女の家にしてはまずまずじゃないか。
そんな事を考えて出された紅茶を飲んでいると、扉がノックされ、使用人が扉を開けると、マルガリーチェの父親が入ってきた。
「久しぶりだね、ラッセル君。我が家には『初めて』来てくれて嬉しい限りだ」
「マルガリーチェはどこに遊びに行っているんですか? 婚約者の俺が来たというのにいないなど、何様のつもりなんです?」
「すまないね。いかんせん、先ぶれも無しに君が『いきなり』、しかも初めて来たから、娘は出掛けてしまった後なんだ」
「そうですか」
ちっ、婚約者たるもの、いつ俺が来てもいいように家で大人しくしているべきだろう。
そんな簡単な事も出来ないなんて、やっぱりあの女はだめだな。
俺が慈悲深いから婚約者で居てやっているんだ、床にはいつくばって感謝すべきだというのに、ここ最近のあの女の生意気さは本当に腹が立つ。
何が『お互いに婚約者の義務を果たさない』だ。
そのせいで俺がどれだけ恥をかかされたと思っている。
しかも、『義務を果たさないのだから、その分支援も減らす』だと?
支援させてもらっている身で、どこまで傲慢なんだ。
「それで、こんな急に初めて我が家に来るなんて、何かあったのかい?」
「それが、マルガリーチェが余計な事をしているせいで我が家はいわれのない窮地に追い込まれているのです」
「ほう?」
「今日だって、俺がわざわざ来てやったのに留守なんて、婚約者としての自覚が無さすぎる。女は黙って男の言う事を聞いていればいいというのに。所詮は一人では何も出来ない弱者の分際で」
「なるほど」
「きっと、父親である貴方にもわがままを言っているんでしょう?」
「たとえば?」
「俺に振り向いて欲しいがために、我が家を窮地に追いやるよう無い頭を巡らせて、我が家の資産を食い物にしているのでしょう。支援『させてもらっている』というのに、嘆かわしい」
「ふむ」
「嫌がらせに近いようなそんな行為、名誉ある侯爵家の跡取りである俺の婚約者に相応しい行いではありません。父親である貴方からも止めるよう言っていただきたい」
「そうか。婚約者に相応しくない、か」
「ええ。このままでは、この俺の婚約者に『してやっている』のも我慢の限界が来てしまいそうです」
「そこまで言うのなら、私からもしっかり話そう。折角我が家に初めて来たのだし、マルガリーチェが帰ってくるまで、ゆっくりしていったらどうだ?」
「そうですね。出された紅茶もなかなかの味ですし、この茶菓子も平民がよく食べていると噂の物のようですが、たまには悪くないでしょう」
「では、私は一度失礼する」
そう言ってマルガリーチェの父親が部屋から出て行き、俺は達成感で心が満ち溢れていた。
再び紅茶に口を付けて、僅かにぬるくなっていることに眉をひそめ、淹れ直すように使用人に命じれば、当然ながら使用人は眉一つ動かさずに紅茶を淹れ直す。
ふん、紅茶の味だけなら、我が家よりも上かもしれないな。