第12話 代償
俺は言い争う冒険者達を睨み付け、考え付く限りのそれらしい言葉を並べ詠唱を開始した。
「深淵よりいでし闇の精霊達よ、夜の帳は降ろされた。かの醜き者達をーー」
誰か1人でもいい、殺傷能力は皆無でも誰かが攻撃したと誤解させられれば、この状況何とかなるはずだ。
そう思った瞬間、ドンッと鈍い音と共に身体を何かが揺らした。視界にはあの弓使いがこちらを見てニヤリと口を歪めている。
「ヘル!!」
突然の激痛と同時に身体から力が抜け、思考が追い付く時には俺は膝を着き、そこで初めて気が付いた。心臓の僅か上を矢が貫いている。
「ふぎゃぁああああ!! ふぎゃああああ!!」
アビスの泣き声に消され、フィアが何を叫んでいるのか分からなかった。想定外の事態で無意識にお包みに力を入れ過ぎたのかもしれない。
ジワジワと焼けるような痛みが広がる中、この子に当たらなくて良かったと何故か不意にそう思った。
少し離れた場所では「当たったぞ!!」「やっぱり妖精がいる!!」などと冒険者達が騒ぎ出し、いよいよこちらに近付いて来る気配がある。
せめて盾にでもと、ギュッとアビスを抱き締め冒険者に背を向けた。視界には涙を流す2人が映り、呆気ない幕切れに不思議と死の恐怖よりも、悔しさで胸を掻き毟りたくなった。
そうか……過去も今も、また俺は同じものを失おうとしていて、だからこそこんな現実を受け入れたくないのだ。
あぁ……出来るならこいつらだけでも守りたい。
もうあんな想いはしたくないから……なぁ、もしもこの世界に俺を転生させた何者かがいるなら、神様でも悪魔でも何でもいい、こいつらを守るだけの力を俺にくれ。
「その為なら、何だってくれてやる」
ギュッと目を閉じて願ったところで、何か起こるはずもない、か。
「何……この光」
フィアの驚き声で我に帰った時、アビスの身体から薄っすらと七色の光が漏れ出し、その光は俺の中にゆっくりと流れ込んで来る。
「アビスたんから魔力が移動してる?? でもこの魔力はーー」
フィアもよく分かっていないようだが、確かな事は魔法を使った時とはまるで逆で、満ち満ちていくこの全能感とも呼べる感覚だけだ。
彼女が言っていた魔力を上乗せする方法は獲得してはいない。でも、今なら何となく出来そうだと分かる。
「それ以上は駄目、身体が持たないわ!!」
あぁ分かってる。鼻から血が流れ、呼吸もし辛いし、耳や目からも出血が止まらないのは、この力は俺には過ぎた力なんだろう。だが、せめて今やれる事をやるしかないんだよ。
俺は持っていけるなら好きなだけ持っていけと念じ、詠唱の最後を紡ぐ。
「いま、暗黒の世界へ」
黒い雨が降り出した。
やがて雨は地面を黒く黒く染めていき、やがて生き物のように蠢くと壁や天井を呑み込み、全てを黒く染め上げた。
全てを吸い取られた俺は、アビスを抱え地面に倒れ込み、ただ呆然とそれを眺める。冒険者達も動揺しているのか、何やら叫んでいる事は分かった。
いつからだ……気付いた時には夥しいほどの瞳が有り、ギョロギョロと不気味に動くそれらは、辺り一面を埋め尽くす。
恐怖の宴が始まった。
未だ経験した事のないこの恐怖は、細胞1つ1つが怯え震えだし、本能の全てが逃げろと悲鳴を鳴らしたが、やがて死んだ方がましだと思考が変化していく。
動揺の最中、無数の中の1つと目が合いそうになったが、フィアが俺の顔に必死にしがみついて来た。
「見ちゃ駄目!!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
「ぎゃぁああああ!!」
「や、やめて!! や、や゛め゛ぎぇ!?」
詰まった耳でも聞こえる程の断末魔は暫く続き、俺はただ震える手でアビスを抱き締める事しか出来なかった。
次第に音が消え、耳が痛くなるような静寂となって張り付いた瞼を開けようと、そう考えた刹那だった。
ゾクリと全身の毛穴が広がり、滝のような汗が噴き出す。
『ずぅっと見ていたわぁ』
心臓を鷲掴みにされているかのような息苦しいプレッシャー。頭に直接聞こえて来る声は、一言一言がナイフで脳を突き刺すかの痛みを伴い、今にも気が狂いそうだった。
『こんなつまらない事で呼んだのだから、代償として何を貰おうかしら……命、はもう無いも同然だし、目の前でその子を引き裂いて血と肉をしゃぶるのもーー』
「ぐぅ、こ、こいつ……らは、やら、ない!!」
『ぎゃぎゃぎゃぎゃ!! はぁはぁ!! いけない、いけないわぁ……興奮しちゃって思わず殺しちゃうところじゃない。世界の呪いに、残りカス、そしてチグハグなゴブリンとか、面白いイぃ゛』
度重なる重圧と頭痛で意識を手放しそうになったが、舌を噛んででも必死に耐えた。何故かは分からない、が、今耐えないとまずいと直感がそう叫ぶ。
近寄りたくないその気配が背後に近付いて来ると、耳元でそれは囁く。
『決めたわ、今回は貴方の未来を頂くことにする。ぎゃぎゃ!! 大丈夫よ、痛くしないわ。ちょっと縁を結ぶだけだもの』
言い終わるや否や、背後から異物が体内に入る感覚と、身体が、いやもっと根幹的なものも含めた俺という全てが悲鳴を上げる。
「がぁああああああ!!」
こ、こいつ、俺の身体に何をーー
『あらあら、可愛い声で鳴いたら壊したくなるじゃない。もぅ痛がりやさんねぇ!! ギャハ!! はいお終い。はぁ貴方の未来、うま、美味しいわぁ。やっぱり、イ゛マ゛!! はぁはぁ、駄目ヨ、一番は残しておいたもの、育ってからにしないと、ね??』
「な、に、を言って……」
『残念、もう戻らないと。最後に予言しておくけど、貴方はまた私を呼ぶわぁ間違いなくねぇ。それまではせいぜい無様に生き足掻いて、私を楽しませて。あ、そうそう、私を呼んで冒険者を殺した事になっているから、もう進化出来るわよ?? それが、貴方に取って望む未来かは知らないけどねぇ。ギャハ、ギャハハハハーー』
身の毛がよだつ笑い声が遠退くも、全身から噴き出す汗は止まらない。
顔面には未だに震えてしがみつくフィア、何とか掴んで剥がしたがそれが残りの力の全てだった。
何かフィアが怒りを含め叫んではいるが、直ぐに両手を覆い泣き崩れてしまう。
今のはいったい何だったのか。分かっている事といえば辺り一面がびっしりと紅に染まった惨状と、ボロ雑巾のように絞られた冒険者だったであろう残骸だけが残されていた。
いや、今はそれよりも生き残る事を……あれが言っている事が本当なら進化出来るはず。不気味な意味合いを含んではいたが、もはや選択肢などありはしない。
視界はもう朧気で、はやる気持ちを抑え頭にシステムオープンと念じ画面を開く。画面中央には新たに横文字で『進化しますか?』と表示が出現していた。
震える指で『はい』を選択すると、ズラリと進化先が並んだ、が、可怪しい。
ゴブリンナイト、ゴブリンシーフ、ゴブリンプリースト、ゴブリンアーチャー、ゴブリンマジシャン、ゴブリンファイター、ホブゴブリン、ダークゴブリン(変異)、ゴブリンスピリット(特殊)
これら全ては灰色で表記されており、それはまるでショップでDPが不足している時と同じ状態だった。ただ1つ、不気味なほど黒く輝くものを除いてーー
悩んでいる時間は無かった。
意識を手放す前に唯一の進化先を押すと、遠のく意識の中システムが話し始める。
『これ……よ……進……を……始します』
『ロスト……の……因子……ます』
『システム……干渉……エラー』
『サブ……システム……開……エラー』
『外…………侵……クリ……』
その時の事はよく思い出せない。ただ、最後の一言だけは記憶に残っている。
『完了、【餓鬼】に進化しました』




