8
ラニアは闘技場から足早に301教室へ向かう。
窓から夕日の射す教室には、教卓に座ったレスターと、窓際に立ったプリッツがいた。
「上出来だったな」
レスターは教卓から、ラニアに拍手を送る。
「思わぬ乱入があったが、十分だろう。ベッドレイクのガキも、公衆の面前であそこまでされればお前には手を出して来ないだろうよ。そういう意味じゃ勝ちだ」
「凄かったよ、ラニアちゃん! まさか、魔術が使えるようになったなんて!」
そう。ラニアはあの時、確かに魔術を行使した。しかも、炎系の中でも高難易度とされる《レッドポンドの業焔魔術》を。
魔力が無いはずなのに、魔術が使えてしまったのだ。
「説明してくれるんですよね? 何で私が魔術を使えたのか」
この教室で。いや、この世界で唯一、その答えを知っている男へラニアは問う。
ラニアは、剣を振ることで魔術を行使するとは聞かされていたが、何故それだけで魔術が使えるのかは知らないのだ。
「ま、いいだろう。初勝利の祝い品として教えてやる」
レスターは顎を上げて、満足気に教卓から降り、チョークを手に取った。
「まずは復習からだ。魔力とはつまり“声”だ。その“声”を使って詠唱することで、世界に願いを聞いてもらう」
「その“声”を持たない私みたいなのが、“聲亡者”って呼ばれるんでしょう?」
「その通りだ。さて、ここからが本題だ。例えば、お前が異国へ行ったとする。言語は当然通じない。しかし、どうしても伝えたい事ができた。そんな時お前はどうする?」
レスターは調子よくチョークを黒板に滑らせる。
「なら、紙に書くとか……。ジェスチャーでどうにか伝えます」
「だろうな、その通りだ」
レスターは上機嫌にチョークの先をラニアに向ける。まるで、種明かしをする手品師のようだ。
「ジェスチャー、ボディランゲージ。はたまた手話。自分が声を使わずとも、正確に、手順通りに体を動かせば物事を伝えることはできる。つまり、あの剣舞は詠唱文と同じ役割があるんだよ」
「で、でも!」
窓側のプリッツが口を開いた。
「仮に、剣舞で詠唱文が代用できたとしても肝心の魔力は何処からくるんですか?!」
プリッツの疑問は当然のものだろう。
ラニアはこれまで何度も練習として詠唱を口にしてきた。しかし、一度として魔術が成立したことは無い。お金が無いと物が買えないように、詠唱が剣舞になったところで、肝心の魔力が無ければ意味をなさない。
「魔力は言わば、この世界を変える力だからな。魔術を行使するなら、何処かから魔力を持って来なければならない。だが、魔力は体内魔力だけじゃないだろ? あるじゃないか、もう一つ。この世界に満ち満ちているのが」
「まさか、自然魔力を使ったんですか?!」
魔力は大きく二つに分けることができる。一つが、体内で生成される体内魔力。そしてもう一つが、空気の如くあらゆる場所に満ちている自然魔力、別名マナだ。
「その通り。天然の魔力を使用して魔術を成立させたわけだ。剣を振るのも、大気中の魔力を集めるのに効率がいいからな」
顎に手を当て、ラニアは噛み砕くように何度も頷く。
つまりは、剣を振ることでマナを纏わせ、本来必要な体内魔力を補填させたわけだ。
理屈は分かった。しかし、まだ疑問は残る。
「でも、こんな技術聞いた事ありないわよ?」
「わ、私も初耳です!」
学園で魔術を学んできた二人だったが、レスターの説明した技術なんて聞いた事すらない。ラニアとプリッツが更に尋ねると、レスターは心底呆れたように、けれども何処か嬉しそうにため息を吐いた。
「当然だろ。天才たる俺が考えたんだからな」
「えぇ?!」
ラニアが驚嘆の声を上げる。プリッツは声も出せないようだ。
「正確には一から創った訳じゃ無い。元々はシャミ族っていう、歴史上なかったことにされた民族の技術だ」
レスターは歴史の中に消えたシャミ族について語りだす。
文明から隔絶された山奥に暮らしていたシャミ族は、独自の魔術理論を築き、詠唱の代用として舞踏、つまりは踊りにより自然魔力を消費し、魔術を行使したそうだ。
しかし、数百年前に起きたアステトと隣国の戦争に巻き込まれると、その正体が公に知られてしまう。当時の魔術学会は刻術も存在しない時代だ。詠唱は世界への捧げ物として深く信仰されており、舞踏による無詠唱など世界への冒涜であり、シャミ族は悪魔の手先だと学会は一方的に断定した。
シャミ族は民族ごと滅ぼされ、あらゆる文献から彼らの情報や技術も抹消されたらしい。
「しかし、当時の魔術学会も全員が詠唱信仰のイカレ野郎共じゃなかったらしくてな。一部の良識人がシャミ族について書かれた本を密かに作ってたんだよ。で、偶然その本を俺が手に入れた。そこから天才である俺が改良に改良を重ねて、現代の魔術でも使えるようにしたわけだ」
「貴方……本当に凄い人だったのね」
最初はペテン師、剣を渡してきた時は狂人とさえ思ったラニアだったが、今説明を受けてやっとレスターが自称するように、彼は天才と呼ばれる人間なのだと分かった。
レスターは自慢げに、自らのこめかみを指でつつく。
「ずっと言ってるだろ。俺は天才なんだよ。お前を“女帝選定戦”で優勝させるんだからな」
彼なら本当に、“女帝選定戦”を攻略できてしまうかもしれない。緊張からラニアの頬を汗が伝う。彼女は希望を持つと同時、レスターに対する畏怖すら覚えた。
「しかし、これでお前も戦える奴だと他の候補者へ示したことになる。良くも悪くも蚊帳の外じゃなくなったわけだ。用心しろよ、選定戦は正々堂々の綺麗事だけで成り立ってないんだからな」
ラニアとロアンヌの対決があった日の夜。
ロアンヌは帝都にある御屋敷めいた自宅の食堂で夕食をとっていた。
シルクのかけられた長机に等間隔で燭台が並べられ、ロアンヌはその末席で魚料理を口に運んでいた。
国で一、二を争うと言われるシェフの料理でも今日は味がしない。長机の上座に座る父親の一挙一動に怯えていたからだ。
「聞いたぞ、ロアンヌ」
大柄な父、バサーク・ベッドレイクがついに口を開いた。緊張からロアンヌのナイフとフォークが止まる。
「今日、他の候補者と決闘をしたそうだな」
「あれは別に―――」
バサークが机を叩き、食器とロアンヌが震える。それだけで彼女は何も言えなくなってしまった。
「口答えをするな。聞くところによれば、負けたそうだな。しかも、相手は“聲亡者”だと?! ロアンヌ・ベッドレイク、お前の使命を言ってみろ!」
「“女帝選定戦”で……優勝する事です……」
「そうだ! それを成就できないのなら、お前に生きている価値は無い。分かっているな?」
「はい……」
ロアンヌは顔を俯かせ、父親の求める返事を吐くしかできない。
ベッドレイク家から候補者が出たのは実に三百年ぶり。今度こそ一家から女帝を排出しようと躍起になっているのだ。
「既に他の候補者へ手は回してある。お前は選定戦で結果を出せ。今後二度と、私を失望させるな」
「はい……」
ロアンヌはそう答えると、食事を残したまま食堂を出た。
自室へ戻り大きく溜息を吐くと、ロアンヌは窓辺のベッドへ倒れ込んだ。
すりガラスから射す月明かりに、《電撃魔術》の紋章が刻まれた右手を翳す。
「こんな家……大っ嫌い」
そう呟いたのは、決して父親から怒鳴られたからではない。彼女が日頃から思っていることだ。
ロアンヌは唇に歯を立てる。
父親も祖母も、そのはるか先祖だってマトモな魔術師なんて一人もいない。初代―――ハーディ・ベッドレイクが築いた栄光に縋るばかりで、皆鳴かず飛ばずの無能ばかり。―――そして、かく言うロアンヌも、その初代が創った《電撃魔術》でいい気になっているだけ。父親達と同類だ。ロアンヌはそれが堪らなく嫌だった。
しかし、こうして手の紋章を見ている時は、自分だけは違うのだと思い込めた。自分は歴史に名を残す魔術師ハーディの血を引く人間なんだと。ロアンヌにとってこの紋章は唯一、自分がベッドレイクの人間でよかったと思えるものなのだ。
女帝にさえなれれば、父親達のような無脳ではなくなる。ハーディのように、歴史に名を残せる。そう信じながら、ロアンヌは右手の甲を額に当てた。




