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剣術が魔術より有利だったのははるか昔、詠唱文の省略技術がまだ発展していなかった頃だ。
当時は、炎を相手に飛ばすだけでも数分間詠唱する必要があった。そんな悠長なことをしていれば、当然剣士に斬り伏せられる。
パワーバランスが変わったのは、刻術や紋章術が発展してからのことだ。身体に魔術の詠唱文や紋章と呼ばれる魔法陣を刻むことで、詠唱を省略する。この技術により魔術師は詠唱する時間が無くなり、剣で斬られるよりも速く、魔術を行使できるようになった。
現代では純粋な剣士は絶滅危惧種であり、剣術を志す者でも多かれ少なかれ、必ず魔術を使用している。刻術と紋章術は道具にも応用できるため、自らの武器に紋章を施すことが多い。
しかし―――
ラニアが今振っている剣には、紋章も詠唱文も施されていない。純粋な、正真正銘ただの剣なのだ。
「まっ! たく! なん! なの! よ!」
語気を強めながら、ラニアは剣を振り回す。型や構えは知らないので、完全な我流だ。
「ラニアちゃん、ここにいたんだ!」
聞き馴染みのある声に、ラニアは首を回す。見ればプリッツが駆けて来ていた。
「全然戻ってこないから心配したんだよ? ……なんで剣なんて振ってるの?」
「あの男の口車に乗ってみたのよ……!」
大きく刃を振り抜き、ラニアは息を吐いた。
プリッツの格好は普段の制服とは違い、実技用の動きやすいローブを纏っている。たしか、この時間は魔術応用だったはずだ。きっと実践練習でもするのだろう。
その時ふと、ラニアの脳裏に嫌な考えが巡った。プリッツがここにいるということは、当然他のクラスメイトもグラウンドに来るはずだ。
「あら、朝からいないと思えば、こんな所にいたのね」
紅蓮色のツインテールをなびかせ、ラニアの天敵とも言える少女、ロアンヌ・ベッドレイクがいつもの取り巻き二人を従えて現れた。
「てっきり、退学したのかと思っていたわ」
ロアンヌがくすりと嘲り、背後の取り巻きも含み笑いを浮かべる。
「聞いたわよ。貴方、昨日の男と手を組んだそうじゃない」
どこから聞いたのかとラニアは思ったが、今朝の校内放送を聞けばそんな噂も流れるだろう。
「いいんじゃないかしら? 貴方みたいな出来損ないと、どこぞの馬の骨。きっと“女帝選定戦”では大いに笑わせてくれるのでしょう」
ラニアは無視を決め込み、剣の素振りを再開する。
相手にするだけ時間の無駄だ。反抗したところでその反応を笑われるだけ。どうせもう暫くすれば授業が始まるだろう。そうなれば、ロアンヌはこの場を去らないといけない。
ラニアにとっては慣れたことだった。少し耳を塞いでいれば辛い時間は終わる。しかし、彼女の友人はそうもいかない。
「ラニアちゃんは、出来損ないなんかじゃありません!」
声を上げるプリッツ。
思わぬところからの否定に、ロアンヌは怪訝な表情を浮かべる。しかし、その顔はすぐに冷笑に変わった。
「誰かと思えば、プリッツ・ハートレイ。……出来損ないの金魚の糞じゃない」
「ら、ラニアちゃんはとても優しいんです! 貴方みたいな冷酷な人とは違います!」
「貴方……、私を馬鹿にするの?」
ロアンヌの口元は笑っている。しかし、その声は氷柱のように冷たく、威圧を孕んでいた。
詰め寄るロアンヌに、小柄なプリッツは為す術なく後ずさる。
「―――やめなさいよ」
その時、ロアンヌの目の前を剣閃が煌めいた。
ロアンヌはすかさず立ち止まる。彼女の首元に、ラニアの振りかざした剱が肉薄していた。
辺りに静寂が広がる。
その中でラニアとロアンヌの視線が交差した。
「剣を握っただけで、随分気が強くなったみたいね」
首元に刃があるにも関わらず、ロアンヌの声は変わらず冷たい。恐怖を押し殺しているのかもしれないが、外見からは一切それを感じさせなかった。
「私を馬鹿にするのも、手を出すのも構わない。でも! プリッツに何かしてみなさい。タダじゃおかない!」
ロアンヌは鼻を鳴らす。
「タダじゃおかない? なら、貴方は何ができるのかしら?」
ロアンヌは、ラニアが口だけで結局は何もできないと思い込んでいるのだろう。しかし、ラニアの決意は固まっていた。
「二人で決着をつけましょう! 今日の放課後、闘技場で」
ロアンヌの取り巻きを含め、彼女達の騒動を静観していた人間から驚きの声が上がる。
「貴方が勝ったら、私は候補者から辞退する。でも、私が勝ったら、選定戦まで私とプリッツには手を出さないで」
射抜くような鋭い目と、震えの無い凛とした声。それだけで、ラニアがどれだけ本気かが伺える。
ロアンヌは一瞬だけ視線を泳がせるが、いつもの高慢な態度は崩れない。
「決着ですって? 貴方知らないのかしら。“女帝選定戦”まで候補者同士の私闘は禁じられてるのよ? 認めなくないけれど貴方は候補者で、私もそう。決闘はできないわ」
「勘違いしないで。私闘なんてものじゃない。私達がするのは、昨日の校舎裏の続き。片方が一方的に甚振るだけよ。―――それとも、私に負けるのが怖いの?」
その台詞は、彼女のプライドを傷つけるには十分すぎた。
ロアンヌは首元の刃を振り払うと、高らかに宣言する。
「いいわっ! その勝負受けてたつわ。せいぜい辞退する準備でもしておくことね!」
授業の開始を告げるチャイムが鳴り響く。
ロアンヌはグラウンドの中央へと向かう。その後ろ姿から、ラニアは一瞬たりとして目を逸らさなかった。