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翌日、ラニアは寮からの通学路をプリッツと並んで歩いていた。
正門をくぐれば、嫌でも上空に浮かんだ、“女帝選定戦まであと8日”の文字が目に入った。
女帝候補者に選ばれてからというもの、毎朝憂鬱な気分にさせられる。
“聲亡者”である以上、入学当初から浮いてはいたが、候補者に選ばれてからというもの、理不尽な目に合うことが増えた。
それまでは、包帯で“聲亡者”の紋章は隠していたが、ここまで名前が知れ渡ってしまえば意味がないと、しばらく前から紋章を隠すのはやめた。
昨日のロアンヌのように、暴力をふるわれるのはもちろん。知らない上級生から八つ当たりをされることもある。クラスメイトはもちろん、教師陣とですら距離が広がった。
「候補者から辞退しろ」なんて何度言われただろうか。しかし、ラニアは辞退する気など毛頭もない。“女帝選定戦”に出ることが、自分を腫物として扱ってきた人間への一番の仕返しになると思っていたからだ。
「ラニアちゃん怖い顔してるけど……大丈夫?」
隣のプリッツに言われ、ラニアはハッとした。知らぬ間に内に秘めていた感情が表に出ていたのだろう。
ラニアは自らを落ち着かせるように息を吐いた。
「大丈夫よ。ただ、考え事をしていただけ」
「そう? ならいいんだけど……」
フードで顔の大半は見えないが、プリッツが笑っているのは分かった。
皆がラニアから距離をとる中、ルームメイトの彼女だけは変わらず接してくれる。学内で唯一心を許せる相手だ。
「昨日のレスターさん、何だったんだろうね」
「知らないわよ。ペテン師か何かじゃない?」
思い返せば笑ってしまう。
彼はラニアを女帝にしてやると豪語したのだ。ラニア自身、それがどれだけ不可能なことか理解している。
―――しかし、ベッドレイクの紋章を看破したのと、干渉法則による妨害は只者じゃない。ただの嘘つきと片付けるには実力がありすぎる。
「おはよっ!」
見知らぬ生徒達がラニアの背中を叩いて走り去って行く。この学園にラニアへ挨拶する人間はいない。ラニアが背中に手を伸ばすと案の定貼り紙がつけられていた。
雑紙には、ラニアへの心無い言葉が書き連ねられている。
ラニアは、プリッツがそれを覗き込む前に、紙を破り捨てた。
もはやこの程度の嫌がらせは日常茶飯事で、何も感じなくなっている。人間は異分子を嫌う。昔も今もそれだけは変わらない。
ラニアが北校舎に入ると、まるでそれを狙ったかのように、校内放送が流れた。
『ラニア・パラダムに連絡する。西校舎三階の301教室まで来い。以上。あ、学園側には許可取ってるから逃げても無駄だぞ』
ぶっきらぼうにそれだけ告げると、スピーカーは何も言わなくなった。
イタズラにしては堂々としすぎている。そして何より―――
「ラニアちゃん今の……」
「あの男の声ね」
昨日、ラニアに交渉を持ちかけてきた男のものだ。まさか、昨日の今日で現れるとは思わなかった。
「どうするの? 行くの?」
「学園には許可を取った、とか言ってるしね」
それに、逃げたところであの男が諦めるとは思えなかった。ここは一度会って、正式に断りを入れるべきだろう。
「プリッツは先に教室に行って」
「うん。……気をつけてね」
ラニアは苛立ちを隠さず、大きく足音を立てながら西校舎へと向かった。
レスターが301教室の教壇に座っていると、叩きつけるような足音に気付き、資料から視線を挙げた。
「来たみたいだな」
その直後弾けるように扉が開き、顔を怒りで赤くしたラニアが教室に入ってくる。
「どういうつもりですか!」
「まぁ、落ち着けよ。今お前の資料見ていたところだ」
レスターは手に持っていたラニアの個人情報を読み上げる。
「ラニア・パラダム。母親はプリマ・パラダムで、父親は不明。右手の紋章から“聲亡者”に認定。十四の時に母親と死別するが、匿名からの寄付と援助金により、ガンバース魔術学園に入学。へー、親切な人もいたもんだ。
以下成績。魔術基礎 E、魔術言語学 E、……って殆どEかFじゃねーか。マトモなのは体育くらいか?」
「ちょ、ちょっと! 勝手に読まないでよ!」
ラニアはレスターから用紙を奪い取り、団子のように丸めて投げ捨てる。
「私を呼び出してなんの用ですか!」
「昨日、契約の返事を聞きそびれたからな」
「何も言わずに帰ったんですから、それで察してください!」
ラニアはそう喚いて、教室から出ていこうとする。
「じゃあ、断るのか?」
「当然です。貴方に頼るつもりはありません」
「なら、選定戦はどうする? まさかナイフでも持って出場するのか? どうせ、“女帝選定戦”に出場することが仕返しになるとでも思ってるんだろ?」
ドアノブに手をかけたラニアがその場で立ち止まる。どうやら図星のようだ。
「お前らが逆立ちしても立てない舞台に立ってやったぞ、って思いたいんだろ。だが、そんなもの一時の優越感だ。他の候補者に瞬殺されて、見世物になるだけだぜ?」
「なら……、貴方は何ができるんですか?」
「お前を優勝させてやるって言ってるんだ。そしたらお前が女帝になれる。それが何よりも仕返しになるんじゃないか?」
その時になってラニアはやっと振り返り、レスターを見た。まだレスターを疑っているようで、眉をひそめている。しかし、その瞳には微かに期待の色が見えていた。
「ホントに……優勝できると思ってるんですか?」
レスターは鼻で笑う。彼からすれば、呼吸はできるか? と聞かれているようなものだ。
「当然だろ。俺はレスター・アークフィリオ。 この国で一番賢い男だぜ?」
その顔には自信しかない。
ラニアはドアノブから手を離し、レスターへ向き直る。
「そんなに言うなら……、その提案、のってあげます……」
「そうこなくっちゃな!」
レスターはラニアに右手を差し出す。
「改めて、俺はレスターだ。本業は魔術史学者だが、魔術と魔術言語の創作もする。なんたって天才だからな」
「ラニア・パラダムです。……よろしく」
ラニアは少し嫌な顔をして握手に応じた。