23
―――女帝選定戦四日前
学園のグラウンドで、ラニアとレスターは向かい合っていた。
「今から教える魔術は、対エリーゼ用だ。他の奴には使うなよ」
「何故ですか? 別に、二回でも三回でも使えばいいじゃないですか」
「やれば分かるが、一回きりの魔術なんだよ。しかも使えばそれ以降戦う術を失う。だから、最後の局面まで取っておけ」
ラニアは腑に落ちなかった。
一度きりしか使えない魔術なんて聞いた事が無い。消費する魔力が膨大で、連発できないと言うなら分かるが、ラニアは自然魔力を使って魔術を行使しているので、そもそも消費する魔力が無い。
「あと、失敗するとお前も普通に死ぬからな。練習も一人ではやるなよ」
「そ、そんな危険な魔術なんですか?!」
唾を出して喚くラニアに、レスターが首肯する。
「半端な魔術じゃ《創剣魔術》の剣で無効化されるし、そもそも《神眼》で見切られて当たらないからな。こちらもリスクを負わないと倒せないんだよ」
魔術を無効化する剣と、動きを見切る眼。
これらを超えても、《エリダスの治癒魔術》が控えている。つまりは、一撃で終わらせる必要があるということだ。
「一挙一動間違えるなよ。俺も死にたくは無いからな」
自分の命を落とす可能性のある魔術に、ラニアは息を飲んで剣を構えた。
ラニアが息を整えて剣舞を開始する。
少しでも間違えれば暴発してしまう繊細な魔術だ。ラニアは自ずと薄目になり、外界の情報を遮断する。ロアンヌの事など気にもしていなかった。
「ナニをスる気?!」
ロアンヌが声を張るが、ラニアは返事もせず剣を振るばかりだ。
「クっ!」
怒りで顔を赤くするロアンヌ。鼻孔が膨らみ、口内からぎりぎりと歯軋りが聞こえる。
ロアンヌは、ラニアが何をするかは分からないだろう。だが、彼女から漂うただならぬ雰囲気を、魔術師としての感性で察知している様子だ。
「私の質問二答エろっ!」
怒りを爆発させ、ロアンヌが走り出した。
触手が強ばり、ランスのような形を形成する。その構えは、一撃でラニアを仕留めようという決意の表れだろう。
「右下二回……、頭上で一回……」
ロアンヌが触手を携えて迫るも、ラニアは慌てる様子も無く呟き通りに剣を打ち振る。
ラニアの視界には、スローモーションで近づいてくるロアンヌの姿が映っていた。
―――その魔術は、未完成だ。
こんな童話、もとい事実がある。この世界には真っ暗闇しかない“裏側の世界”があり、そこには、白銀色の大きな竜が住んでいると。
その竜は何も無い真っ暗な空間を泳ぎ、その空間を食べて生きている。
大地が揺れるのは、その竜が怒っているから。
海が荒れるのは、その竜が泣いているから。
誰かに見られている気がするのは、その竜が“裏側の世界”から君を覗き見しているから。
そんな嘘か誠か分からない話を語る人もいるが、事実、白銀の竜はいるのだ。
そして、そんな竜を“こちら側”に召喚しようとした魔術師がいたという。
その魔術師が何の目的で竜を呼び出したのかは分からない。兵器として利用するつもりだったのか、契約を交わして自らの糧とするつもりだったのか、それともただ一緒にお茶が飲みたかっただけかもしれない。
唯一ハッキリしているのは、もう確かめようが無いという事。
ある日を境に魔術師は姿を消したのだ。彼女の作業場には魔術を行使した後と、未完成の魔術だけが残されていた。まるで、嵐が通り過ぎたように半壊した家屋に、詠唱文がしたためられた紙が散乱していたのだ。その魔術は類を見ないものであり、彼女の功績を称え、未完成ながらも彼女の名前が付けられた。
その名を、《ルナーラの召喚魔術》。現在も第一級の禁忌魔術に数えられている。
ラニアは、最後に左手で釣り竿を引き上げるように剣を振る。そして、腕を返して剣先を迫り来るロアンヌに向けた。
「―――《召喚魔術》」
ラニアが呟く。
ロアンヌの触手が、ラニアへ触れる数秒前の事だった。
それは攻撃を目的とした魔術では無い。あくまでも《召喚魔術》だ。
自然魔力を、臨界と繋がる門に変換し、固有の目印をつくることで、対象を“こちら側”に呼び出す。
ここまでの理論は、ただの《召喚魔術》と同じ。ただこの魔術の開発者であるルナーラには二つ誤算があった。それは、“対象”があまりに巨大で、頭しか呼び出せなかった事。そして、“対象”が頭だけでも十分に脅威だったという事。
ラニアとロアンヌの間にある空間に生じる、歪み。
音が恐怖し、息を潜める。それは嵐の前の静けさとでも言うべきだろうか。
次の瞬間、静寂を突き破る雄叫び。
錆びた歯車が無理やり回転する嫌悪感と、稲妻が目の前で炸裂した迫力を合わせたような怒号。
空間の歪みから飛び出したのは、深紅の瞳と純白の鱗。そして、ナイフで無理やり裂かれたように開いた口。―――その姿は、正しく空間を喰らう白銀の竜の頭部だった。
「ナニ……これ」
絶対的な存在を前に、ロアンヌは呆然と巨大な口を見るしかできない。
白銀の竜が怒号と共に、巨大な口を閉じようとする。ロアンヌの半身に、竜の上顎の影がかかった。空間そのものを喰らう竜の前には、魔術を無効化できる触手など無いも同じだ。
竜が口を閉じた瞬間爆風が吹き、ラニアとロアンヌの間を純白の頭部が遮った。
口を閉じた竜の頭部が空間の歪みの中に消えていく。
竜により喰われた空間には、何も存在しない漆黒の闇だけが広がっていた。その傍らで、倒れ伏すロアンヌ。触手ごと右半身を失い、断面が光の粒子となり空気に溶けていた。
「何よ……あれ」
ロアンヌは辛うじてある意識で、ラニアへ顔を傾けた。
―――《ルナーラの召喚魔術》。
“裏側の世界”より、白銀の竜を召喚する魔術だ。開発者の想定より白銀の竜が巨大だった故に、頭部しか呼び出せず、行使した後には、空間を抉った竜の歯型だけが残される。
ロアンヌは触手ごと右半身を喰われたのだ。開発者であるルナーラ自身も、呼び出した頭部に空間ごと食べられたとされている。
「あれが、貴方の本気だっていうの?」
触手が消え、ノイズの混じらないロアンヌ自身の声で訊いてくる。
その問いにラニアは声を出さず、小さく首肯した。
「私がプライドを捨ててまで得た力を、貴方は軽々超えてくるのね」
ロアンヌが自嘲し、ラニアから顔を逸らす。
ラニアは、決して軽々ロアンヌを超えられた訳では無い。優勝できなくなってもいい。それでも彼女に本気で応えたい。という思いから《ルナーラの召喚魔術》(奥の手)を使ったのだ。
しかし、それをロアンヌに伝えることはできなかった。弁解など馴れ合いだ。彼女が消える最後の瞬間まで、ラニアは好敵手としていたかった。
「さぁ、トドメを刺しなさいよ」
ロアンヌが顔を逸らしたまま急かす。
しかし、ラニアは立ち尽くすしか無かった。
不思議に思ったロアンヌがラニアを見る。彼女の右手に握られた剣が目に入り、ロアンヌは鼻で笑った。
「貴方も、タダじゃ済まなかったってことね」
ラニアの右手にある長剣。
その剣身が、まるで何かに喰われたように折れていたのだ。
白銀の竜を呼び出す為の門は剣先を中心に開かれる。竜は空間そのものを抉るため、当然剣身も一緒に持っていかれる。
これが、《ルナーラの召喚魔術》を一度きりの奥の手とする所以だ。
剣が折れれば、それ以降に行使する魔術の威力が格段に落ちる。最後の候補者に使うならば問題は無いが、まだ他に三人も候補者が残っている現状では、後の勝負を放棄するのと同じだ。
「馬鹿ね、貴方も……」
そう言い残すと、ロアンヌの身体がすべて光の粒子となる。
ラニアはサイズの合わなくなってしまった鞘に、折れた刃を収めた。
『ロアンヌ・ベッドレイク 退場
場所:西校舎 食堂
討伐者:ラニア・パラダム』




