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女帝選定戦の会場である、ヴァイオルド闘技場。その真下には、半径数百メートルの巨大な部屋がある。
“制御室”とも呼ばれるその部屋は床一面に魔法陣が刻まれ、選定戦を行うのに必要な魔術が、全てそこに集められていた。
言わば、選定戦の心臓とも言える場所だったが、『一度行使されれば、最後の候補者が残るまで誰にも魔術を中断されられない』という性質故か警備は最小限となっている。
制御室へと続く分厚い扉の前に二人の警備兵が槍を片手に立っていた。
「ほんと、よりによって今日ここかよ……」
右側に立った警備兵がボヤいた。
観客席から歓声が聞こえる。国民の大半が、次期女帝が誕生する瞬間を見られるというのに、二人は警備をしなければならないのだ。
「女帝様に遣える身なんだ、仕方がないだろう」
「しかしなぁ……。選定戦なんて一生に一度あるかだぜ? それを生で見られないって最悪過ぎるだろ」
「確かに……最悪だな。これでも俺達―――」
そこで、左の警備兵の声が止まる。
もう一人の警備兵が不審に思い、左を向くと、そこには倒れ伏す同僚の姿と、仮面を付けた男が佇んでいた。
「き、貴様っ! 何者!」
警備兵が槍を仮面の男に向ける。が、男は躊躇無く手に持った短銃の引き金を弾き、もう一人の警備兵も気絶させてしまった。
「ふぅ……、いっちょ上がりか」
仮面を外したレスターは、ひと仕事終えたように額を拭う。
「れ、レスターさん!」
彼のもとにプリッツが駆けて来た。
「よう。あのガキンチョ達は無事に帰したか?」
「はい! ちゃんと孤児院の人の所まで直接連れていきました」
「上出来だ。流石に選定戦の会場じゃ黒幕も手出しできないだろ」
レスターは制御室の扉に手をかざす。すると、扉が重々しくゆっくりと開いた。
「あ、あの……。何をするつもりなんですか?」
不審そうに、そして不安気にプリッツが訊いてくる。警備兵をわざわざ気絶させたのだ、よからぬ事をすると分かったのだろう。
「お前の安否をラニアに伝えなきゃいけないだろ?」
「それはそうですけど……、選定戦中は外部と連絡できないんじゃ……?」
プリッツの言う通りだ。
選定戦中は候補者と一切の連絡が取れなくなる。それこそ、親が死のうと他国と戦争が始まろうとだ。
「その通りだな」
レスターは制御室の中へ足を踏み入れる。暗がりな部屋で、床一面に広がった魔法陣が青い光を放っていた。
「だから、そのルールごと捻じ曲げる」
「ね、捻じ曲げる……?」
「この部屋の魔法陣をちょっといじってな」
「そんなのバレたら重罪ですよ!!?」
法律はレスターの専門外だが、選定戦の魔法陣を書き換えれば一生刑務所暮しになるだろう。下手をすれば、見つかった時点で一生を終わらせられる可能性もある。
「大丈夫だ。その辺は上手いことやるさ」
その為にわざわざ誘拐犯から《妨害魔術》の刻まれた仮面を奪ってきたのだ。抜かりは無い。
レスターは部屋の外周を周り、目当ての魔術を探し出す。
異空間を創り出す《空創魔術》に、候補者達を転送する《転移魔術》。その他にも約三十種類の魔術が絶妙なバランスで一つの魔法陣に纏められている。これを構想した魔術師は間違いなく天才だろう。
「ま、俺以上では無いな」
レスターは目的の魔術が描かれた箇所を見つけるとそこまで歩いていき、膝を着いた。
「ホントに書き変えちゃって大丈夫なんですか?!」
「安心しろ。そんな大層なことはしねーよ。ほんの少し書き加えるだけだ」
レスターがいじろうとしているのは、《パーダスの立体魔術》。退場メッセージを上空に表示する為の魔術だ。
レスターは指先に魔力を集中させ、魔法陣に新たな文を書き加えていく。稼働中の魔法陣を書き換えるのは、水槽で泳ぐ魚を直接捌くようなものだ。少しでも間違えれば、警報が鳴り響き、警備兵が何十人と駆けつけて来るだろう。それでも、レスターは臆さずに魔法陣へ指を滑らせる。―――とある文字を表示させる為に。
不思議と、触手はスローモーションで迫ってくる。
ラニアは、それを呆然と眺めていた。
脳は動け、と身体に命じている。しかし、指の一つも一向に動こうとはしなかった。
―――魔力が無いにしてはよく頑張った。ここで負けても十分名誉だ。
そんな甘い声が脳裏に飛び交う。
諦めたくない、敗北を受け入れたくない。しかし、避ける気力も、剣を構える力も絞り出せないのだ。―――おしまいだ。
甘んじて瞼を下ろそうとした時、空に眩い光が煌めいた。
《パーダスの立体魔術》によるメッセージだ。しかし、誰かの脱落を伝えるものでは無い。いつもより数倍明るく表示された《立体魔術》は、ラニアの心を一瞬で照らした。
『友人、ガキ共全員無事。―――本気でヤレ! 天才より』
その文章が何を伝えようとしているのか、ラニアには一瞬で理解できた。そして、“天才”の二文字を見れば、差出人が誰かもすぐに分かる。
やってくれたのだ。レスターは無事にプリッツを救い出し、選定戦のルールも捻じ曲げて、ラニアへ伝えてくれたのだ。
「―――ナッ!」
ロアンヌが呆気に取られている。
ラニア以外の候補者からすれば理解し難い文章だろう。しかし、彼女も後ろ盾が無くなったと薄々気付いたようで、額にシワを寄せた。
宿主の集中が乱れたせいか、触手の動きが鈍る。それを好機と見たラニアは湧き上がってきた力で、触手を弾き返した。
「そう……よね」
ラニアは活力を全身に巡らせるように、大きく息を吸い込む。
「本気でやらないとね……!」
まるで、居合抜きでもするように剣を下段に構えるラニア。
ロアンヌは忌々しげに彼女を睨んだ。
「まダ……やる気?」
「ええ。でも、今の私じゃ貴方に勝てない」
ラニアは後に控えるエリーゼの事ばかりを気にして、目の前のロアンヌを見えていなかった。ロアンヌは本気で闘いに来ているにも関わらず、ラニアは手持ちの札を節約して勝とうとするばかりだ。
真剣な相手には、こちらも真剣に応戦しなければならない。それが一枚しかない“切札”だとしてもだ。
「―――だから、私も本気を出す」
一度しか使えない、正真正銘の奥の手。
エリーゼの為に取っておくはずだったそれを、ラニアは行使しようとしていた。




