14
―――女帝選定戦当日。
レスターは候補者とその関係者のみに立ち入りが許された、闘技場の裏方を闊歩していた。
ついに今日だ。今日でレスターの未来が大きく決まる。見事ラニアが優勝し女帝になれば、晴れてレスターも最英智者になれるのだ。
もし失敗すれば、またくだらない魔術学会に所属する羽目になり、名家や富豪の魔術師ばかり優遇される環境に身を置かなくてはならない。
ラニアのいる控え室をノックする。中からラニアの声がし、扉を開いた。
「よう、気分はどうだ」
石壁に囲まれた小さくて質素な部屋。椅子が三脚と、壁にラニアが着る衣装が掛けられているだけだ。
ラニアは部屋の中央で顔を俯かせ、魂が抜けてしまったように椅子へ腰掛けている。もう準備は終えたものだと思っていたが、未だ制服のままだ。
「おい、どうした。緊張してんのか?」
開会式までもう時間が無い。予定ではとっくに準備を済ませているはずである。
「それもあります……。でも、違うの。 プリッツが来ないの!」
ラニアは泣きそうな顔でレスターに訴える。
レスターは嫌な予感で動悸が速まった。
「本当なら、もうここに来てるはずだし……、私の髪を飾ってくれるって」
ラニアは取り乱して椅子から立ち上がる。今すぐにでもプリッツを探しにいってしまいそうだ。
「一旦落ち着け! 最後に会ったのは何処だ」
レスターはラニアの肩を掴み、半場無理やり椅子へ座らせる。今からプリッツを探しに行ける時間なんて無い。
「寮の部屋……だけど、私が出た時には起きてたし、あの子に限って遅刻なんて……!」
プリッツとは殆ど話した事が無いレスターでも、彼女からは真面目そうな印象を得ている。ラニアが言うように遅刻するようなタイプじゃないだろう。
「分かった。何処かで混雑に巻き込まれているのかもしれない。俺が入口で待っててやるから、お前は準備をしろ。失格になったら元も子もないからな」
「……分かった」
ラニアの短い返事を聞き、レスターは部屋から出ていく。怒りに任せて扉を閉じ、髪を掻きむしった。
嫌な予感がする。何者かが謀略を企てている気配だ。
今すぐにでもプリッツを探しに行くべきだろう。しかし、ここでラニアを一人にしては、その謀略の手が彼女自身にまで及ぶ可能性もあった。それだけは避けなくてはならない。
今はラニアを選定戦に出場させる。それが第一だ。
レスターは舌打ちをし、懐から懐中時計を取り出した。
プリッツの不安は消えないが、待ち続ける訳にもいかない。
壁に掛けられた群青のドレス。髪色と合わせたであろうそれを、ラニアは見つめていた。
この選定戦の為に国がラニアへ支給したものだ。
まさか、人生でこんなドレスを着られる日が来るとはラニアは思ってもいなかった。
まるで積乱雲のようにふんわりと広がって、足首を包み込むスカート。履き慣れないハイヒール。肩から背中が露出し、よく見えるようになった項の紋章。
肌が少し透ける青色のドレスグローブ。それを右手に通した時、聲亡者の紋章が目に止まった。今まで何度、この紋章を呪っただろうか。何度無くなればいいと願っただろうか。しかし、今日だけは、ラニアを勇気づけてくれた。敗者の証は今日、勝者の象徴になろうとしている。
開会式の始まる直前、再び扉がノックされた。
ラニアは友人が来てくれたのかと立ち上がったが、入ってきたのはレスター一人だ。
それが何を意味しているかはラニアも分かっている。ラニアは何も言わないで、長髪を自分で纏めた。
「どう……かしら」
ラニアは気恥しそうにスカートを摘んで一度回ってみる。
「ま、いいんじゃないか? 着方はあってるだろ」
レスターは適当に答えた。
控え室を出て闘技場への道を進む。高揚感と緊張が入り交じり、吐き気に似たものがラニアの食道をあがってくる。
「いいか? お前は選定戦に集中しろ。プリッツの事は俺が何とかする」
ラニアは、今プリッツがどんな状態なのか怖くて聞けなかった。その代わり、前々から気になっていた事が、口から出た。
「ねぇ、何で貴方は最英智者になりたいの?」
レスターと会った時から掲げている彼の目標。しかし、何故彼が最英智者になりたいのかは聞いたことがなかった。
「あ? 今聞くことかよ」
「聞かせてよ。何かしたい事とか、変えたいことがあるから、最英智者になりたいんでしょ?」
「ねぇよ、そんなもん。俺はな、この国で一番賢いって称号が欲しいんだよ。今まで俺を正確に評価してこなかった無能連中に目に物見せてやりたいだけだ」
ラニアは呆れて笑いそうになってしまった。最英智者になってまですることがそれかと。
「そういう意味じゃ俺達似たもの同士かもな」
「……そうね」
何気ない会話。しかし、ラニアはお陰で肩の荷が少し降りた気もした。
歓声が徐々に聞こえてくる。狭い廊下の先に半月型の光が見えた。アソコを通れば闘技場だ。
ラニアは振り返ってレスターを見る。
「プリッツの事……頼むわよ」
「任せろ」
彼の瞳から偽りは感じられない。何とかできる、という自信があるからだろう。
「プリッツは俺が何とかしてやる。だからラニア、お前は自分の戦いに集中しろ」
「分かった」
ラニアは廊下を歩みだした。
レスターが初めて自分の名前を呼んだ事に気付いたのは、選定戦が終わってからのことだった。
暗い廊下から闘技場へ出た時、その眩しさに眩暈がした。
耳が壊れそうな程の声援。一面に広がる人の群れ。その全てが今、自分を見ているのだと思うと、立ち竦んでしまう。
闘技場の中心では、既に六人の候補者が佇んでいる。ラニアが最後の一人のようだ。
ラニアは筋肉の硬直した足を無理やり前にだす。ドレスで足が隠れていなければ、ブリキ人形のような動きを晒すことになっただろう。
なんとか六人のいる中心まで足を運び、ラニアは安堵の息を吐いた。
女帝の象徴とされる王冠を中心に、円形に並ぶ七人の候補者。
アナウンスがアテストの歴史から選定戦の成り立ちを語り出す。
六〇〇年前、戦いの女神アルミダと契約した、ソフィア・アテストによって建国されたアテスト。
選定戦はソフィアの死後、次期女帝を決めるために設けられた制度だ。国の神であるアルミダが選んだ七人の候補者を戦わせ、最も強い者が王座に座る権利を得る。国神が戦いの女神であるが故のシステムだろう。
国民なら誰もが知っている国の歴史だ。ラニアは他の候補者へ目を向ける。
皆緊張しているのか、真剣な表情だ。
その中でも、王冠を挟んで向かい合うロアンヌは、ラニアに恨みがましい視線を向けている。
ロアンヌは腹部にある候補者の紋章以外、赤色のドレスで肌を隠していた。
ラニアはロアンヌからの視線に耐えられず、左隣のエリーゼに目を向ける。
エリーゼは心ここ在らずといった様子で、候補者達では無く、観客席の人間を見ていた。誰かを探しているのか、十字の刻まれた瞳が機敏に動いている。
アナウンスが終わり、時が満ちたように青い輝きを放つ王冠。七人の候補者がそれに手を翳す。すると、観客席からの歓声が止んだ。ついに、選定戦が始まろうとしているのだ。
「エリーゼ・フォートエーゼ」
「イルミナ・インロック!」
エリーゼから左回りに自らの名前を名乗る。選定戦へ参加する最後の確認だ。
「ロアンヌ……ベッドレイク」
「レーズン! パロットっ!」
「……ティランダ・ラドール」
「ペルド・ドラグド……」
「ら、ラニア・パラダム」
ラニアが名乗った瞬間、彼女の視界が光に包まれた。




