12
「孤児院……ですか?」
ラニアは敷地内の庭のベンチに腰掛け、隣に坐るエリーゼに問いかける。
「そうです。ここは、セントロード孤児院。私の暮らす家になります。といっても、私はもう年長者なので施設の手伝いに回っていますけれど」
エリーゼはおぶっていた赤ん坊を腕に抱え、ラニアに答える。
「じゃあ、その赤ちゃんも……」
「一昨日来た子ですね。名前はベルベ。血の繋がりこそありませんが、家族の一人です」
ラニアは、エリーゼの子供なのかと驚いてしまったことを恥ずかしく思う。
しかし、赤ん坊を抱くエリーゼの姿は慈愛に満ちており、本物の母親と言われても信じてしまいそうだった。
「この子も私と同じ捨て子でしてね。どうしても他人な気がしないんです」
「エリーゼさん……、捨て子だったんですか」
ラニアはそう言ってから、失礼な事を聞いてしまったと後悔した。捨て子という事実があまりにも意外で、思ったことが口を突いて出てきてしまったのだ。てっきり、何処かの貴族か有名な魔族一家の人間だとばかり思っていた。
しかし、エリーゼは少しも嫌な顔をせず、むしろ少し微笑んでみせる。
「ええ、私も捨て子です。だから、両親には会ったことがありません。といっても、この施設の大半の子がそうですけれど」
ラニアは目の前の庭で遊ぶ子供達へ目を向ける。その中にはプリッツも混じっていた。実家に妹と弟がいるだけあり、小さい子の扱いは慣れたものだろう。
「ラニアさん、この国は他国と比べて捨て子が多いんです。……何故かご存知ですか?」
「何故って……」
ラニアは困ってしまった。捨て子が多いなんて話、聞いた事が無かったのだ。
ラニア達の暮らすアテストは裕福な国だ。農業のできる豊かな土地があり、多種多様な魚介物の取れる海もある。食べ物は十分にあるだろう。貧富の差は多少なりともあるだろうが、子供を捨てざる終えないほど困窮している層はほとんどいないはずだ。
それなのに捨て子が多いとは何故だろうか。ラニアは検討も付かなかった。
「答えはちょっと複雑です。この国は富裕層―――貴族や名家と呼ばれる魔術一家からの捨て子が多いんです」
予想外の答えにラニアは眉を顰めてしまう。
エリーゼは辛そうにしながらも、その顔から笑顔は消さなかった。周りの子供を不安にしないよう心がけているのだろう。
「ラニアさんはよくご存知かと思います。理由は魔力量です」
―――“魔力量”。その言葉に、ラニアは大凡の予想が着いた。
「体内魔力は、生きていく過程で増えることはありません。つまりは、生まれた時点で決定しているわけです」
「……ええ、よく分かります」
ラニアがこれまで生きていて、何百何千と突き付けられてきた事実だ。この世界で、魔力量が増えることはない。ましてや、元々存在しないものが発生する理屈もあるはずがないのだ。
「それ故に、魔力量は重要視されます。富裕層には魔力量の少ない子供が産まれると、捨て子にする習慣があるそうです。将来その家を背負う人間の魔力が少なくては、家の沽券に関わるということでしょう」
「じゃあ、この施設の子も……」
「はい。……大半がそうでしょう。本来なら名のある家で暮らせていたはずの子達です」
子供達へ向けるエリーゼの瞳は、愛情と同じくらいに同情もこもっていた。もしかすれば、彼らを捨てた親達への怒りもあるのかもしれない。
「産まれた時点で一方的に価値を決められる。そんなの、私はおかしいと思います」
エリーゼはベンチから勢いよく立ち上がる。その胸に秘めた決意が身体から溢れたかのように。
「だから、私が女帝になって変えます。魔力の量に縛られない、公平で自由な国。それが私の目標です」
しかし、急に立ち上がったものだから、彼女の胸で眠っていたベルベが泣き出してしまった。
「あぁ……、ごめんなさい」
エリーゼは慣れた手つきで、ベルベをあやす。彼女の顔は、この世のあらゆる悪すら許してくれそうな、とても優しいものだった。
「貴方はどうしいのですか? ラニアさん」
「え?」
エリーゼはベルベがグズるのを抑え、表情を変えないまま、ベンチのラニアを見下ろす。
「貴方は女帝になって、何を為したいのですか?」
「本当に食べていかなくてもいいのですか?」
「はい……、寮で夕飯は用意されているので。あまり遅くなりすぎると怒られますから」
孤児院の中から食欲を刺激する匂いが漂ってくる。
夕飯を食べていくようエリーゼから誘われたが、寮の門限も近いため、またの機会ということになった。
「プリッツおねーちゃんまたねー」
「また今度あそぼーねー!」
「うん、皆またねー!」
プリッツはすっかり子供達と仲良くなったようで、手を振って別れを惜しんでいる。
「では、失礼します」
ラニアとプリッツは生徒会長に頭を下げ、寮への帰り道を踏み出した。
「―――ラニアさん」
ラニアが踵を返したと同時、エリーゼに呼び止められる。
「先程の答え、選定戦で対峙した時に教えてください」
「……はい」
ラニアは誰からも気付かれないよう密かに拳を握った。
『女帝になって、何を為したいのか』
帰路である大通りを歩く中、エリーゼからの問いかけがラニアの頭を巡る。
ラニアには、エリーゼのような偉大で崇高な考えは無い。ただ、自分を馬鹿にしていた人達に一泡吹かせてやりたい、見返してやりたい、という子供じみた思考だけが原動力だ。
この国をどうしたいかなんて考えたことも無かった。確かに、魔力量で価値が決められる現状はよくないだろう。変えるべきだとラニアも思う。しかし、エリーゼと同じ考えならば、それこそ猿真似であるラニアより、彼女の方が女帝にふさわしいと言える。
「ラニアちゃん……どうしたの?」
相当険しい顔をしていたのだろう、プリッツがフードを被った顔でラニアを覗き込む。
「ううん……。ちょっと考え事」
ラニアは考え込んだまま呟く。
自分は一体女帝になって何がしたいのか、答えはすぐに出せそうもない。
その時、プリッツにローブを摘まれた。
「どうしたの? プリッツ」
振り返れば、身を震わせて怯えるプリッツの姿があった。
「前にいるあの人……なんか変だよ」
ラニアの背中に隠れながら、消え入りそうな声でプリッツが呟く。
前方には仮面を被り、黒衣のローブを纏った何者か。確かに視認しているはずなのに、まるで煙を見ているようで捉えようが無い。男か女なのかも分からないし、そもそも人間なのかも不明だ。
気付けば、辺りにはラニア達と仮面の何者かしかいない。まだ夜も更けていないはずだ。帝都の夜道でこれだけしか人がいないなんて有り得ない。
「ラニアちゃん―――!」
プリッツが甲だかい声で、ラニアのローブを更に強く掴む。
ラニアは堪らず、剣の柄を握る。
「な、何の用ですか!」
ラニアが叫ぶも仮面の何者かは声を発しない。
仮面がラニア達に手のひらを向ける。それが魔術師の世界で何を意味するのかは、学生のラニアにも分かった。
「プリッツ! 避けてっ!」
ラニアがプリッツを抱えてその場から飛び退く。
その直後、ラニア達のいた場所からガラスの弾けたような音が響いた。地面から針山のように幾本も氷柱が生えている。氷系の魔術で攻撃してきたのだ。
「くっ……!」
ラニアは皮製の鞘を払い、鋭刃を仮面の襲撃者へ晒す。
今しがたラニア達に放たれた魔術は、明らかに殺意の籠ったものだ。今更話し合いで済むはずがない。
「プリッツ……、下がってて」
ラニアはプリッツを庇うようにして前に立ち、息を吐いて剣を振り始めた。
仮面の襲撃者は、初めて見るラニアの剣舞に警戒しているのか、それとも確実に倒せるようにか、追撃はせずジリジリと距離を詰めてくる。
「―――|《波動魔術》(ハーヴィ)!」
背後のプリッツが叫ぶと同時、不可視の力によって襲撃者がよろめく。
襲撃者がラニアに気を取られているうちに詠唱を終わらせたのだ。
「ラニアちゃん、今だよ!」
「《業焔魔術》!」
その隙に剣舞を完了させたラニアが、よろめいた襲撃者に炎球を放った。
襲撃者は避ける術も無く炎球が直撃し、壁に身体を打ち付ける。
緊張の糸が切れ、安堵の息を吐くラニア。
「……一体何だったのよ」
いきなり襲ってきたと思えば、呆気ない幕切れである。
しかし、ラニアが地面に投げた鞘を拾おうとした時だった。
「―――ラニアちゃん!」
プリッツの叫び声。
ラニアが顔を上げると、彼女の真上にまた別の襲撃者が迫っていたのだ。ナイフの鋒をラニアに向け、彼女の顔に突き刺そうとしている。
ラニアは完全に予想外の急襲に、避けることも声を発することもできない。ただ、街頭に照らされるナイフの刃を視界に焼き付けるしかなかった。
鋒がラニアの顔に触れる直前、頭上の襲撃者を光線が貫く。
「うっ……」
仮面の奥から呻き声が漏れ、体勢を崩した襲撃者が地面に落下する。
「よう、大丈夫か?」
光線の放たれた方向には、レスターの姿。右手に持った短銃型の魔術具を襲撃者へ向けていた。
「ラニアちゃん! 無事? 怪我はない?」
未だ放心状態でへたれこむラニアへ、プリッツが駆け寄る。
レスターは銃口を向けたまま、地面に伏す襲撃者を足で小突いた。
「認識妨害の仮面なんて被りやがって……。誰の差し金だ? インロックか? ベッドレイクか?」
「誰が……答えるか……」
低いか高いかも分からないノイズ混じりの声で襲撃者が呟く。
襲撃者は突然懐から球体を取り出し、地面へ投げつけた。その瞬間、辺り一面を閃光が染め上げた。
反射的にラニア達は目を瞑るが、瞼を開いた時にはどちらの襲撃者も消えていた。
「ちっ……、逃がしたか」
レスターは、地面に残された血溜まりを踏みしめながら舌打ちをする。
「今の……何だったの?」
「言っただろ、選定戦は正々堂々じゃない。裏じゃ今みたいな事が起きてるんだよ。おおよそ、ベッドレイクの連中が仕向けたんだろうな」
「でも、今まで襲われるなんてなかったわよ?!」
「昨日の決闘で、お前も敵として見られたってことだろうよ。そういう意味じゃ喜ぶべきかもな」
レスターはふざけた調子で言い、懐から二丁の短銃を取りだした。
「またいつ襲ってくるか分からない。護身用に持っとけ。魔力が内蔵されてるから、お前でも撃てる」
ラニアとプリッツに一丁ずつ短銃が渡される。
持ち手に紋章が刻まれた魔術具だ。内蔵魔力があるなら、ラニアにも数発なら撃つことができるはずだろう。
「学園内なら安全だと思うが……、万が一もある、肌身離さず持っとけよ」
「は、はい! 分かりました!」
護身用とは言え、人を傷付ける可能性のある魔術具だ。プリッツは恐る恐る短銃を鞄にしまう。しかし、ラニアは短銃を両手で抱えたまま、立ち上がろうとしない。
「私……、女帝になってもいいのかな」
殺されかけたせいか、胸の中に溜め込んでいた気持ちが漏れる。
「女帝になって叶えたい夢も、つくりたい世界も無い。あるのは、見返したいって気持ちだけ。私なんかが、女帝になって何をしたらいいの?」
叶えたい夢も、つくりたい世界も無い。
他の候補者を闇討ちしてまで、女帝になろうとしている人達もいる。そんな中で、何の野望も無い人間がなってもいいのか。ラニアは分からなくなってしまった。
ラニアに、レスターは歩み寄る。そして何の躊躇も無く、ラニアの脳天に拳を振り下ろした。
「ッッ!」
ラニアは頭を抑え、痛みにプルプルと震える。
「な、何するのよ!」
「何もう勝った気でいやがる。自惚れるな、お前は優勝から一番離れた所にいるんだよ」
ラニアを見下ろしながら、レスターは心底バカにしたように鼻を鳴らした。
「行動ってのは、勝った奴にだけ与えられる権利だ。何がしたいかなんて勝ってから考えろ」
そう言い捨て、レスターはラニア達へ背を向け夜の闇に消えていく。
遺されたラニアは頭を押さえたまま地面を見つめる。
「……痛かった?」
「痛かったけど、大丈夫」
確かに、勝たない事には、行動を起こす権利も貰えない。それなら、まずは選定戦で優勝しなければ。ラニアはそう思いながら、立ち上がった。




