7.ついつい構ってしまいます。
あまりに驚いてしまうと、人だろうがドラゴンだろうが固まってしまうようです。
元王子様が娘を凝視したまま硬直していると、彼女の方が先に口を開きました。
「……ドラゴン!」
しかしやはりこの娘はどこかおかしいのです。
元王子様がかつて竜に姿を変えられてしまった時、彼を目にした人々は誰もが負の感情をありありと顔ににじませました。
ところが彼女の目はきらきらと輝き、あろうことは元王子様の方ににじり寄ってくるのです。
「うわあ、すごいすごい……本当にいたんですね!」
(な、何だ貴様、寄ってくるな!!)
ぺたぺたと触りだしそうな勢いに、慌てた元王子様ががっぱり大きな口を開くと、ずらりと並んだ鋭い牙が輝きます。
娘はさすがに悲鳴を上げ、慌ててとてとて駆けていって木の後ろに隠れようとしました。
そしてその途中で躓いて、ぐえっと聞き苦しい音を立てて転びました。
(本当にこいつどんくさいな)
思わず口を閉じた元王子様が見守っていると、娘は呻きながら体を起こし、振り返ってぴゃっと飛びました。
「も、もしかして人の味をご存知でいらっしゃる……!? やるならひと思いにやっていただけると嬉しいです! 痛いの嫌なので! あっでも私、正直全然食べる所ないとは思うのですが、これも自然の摂理というものなのでしょう……!」
(誰も貴様なぞ食わんわ、馬鹿め)
さめざめ泣きながら身を横たえる様を冷たくじとっと眺めていると、覚悟を決めたように目を閉じていた娘は恐る恐るあの緑の瞳を向けてきます。
(そんなことよりさっさと朝飯を済ませてしまえ! そしていつまでもこんな所で遊んでいないで、どこかへ行ってしまえ!)
「あっ……も、もしかして、毎日食べ物を持ってきてくださったのはあなただったりします……?」
イライラと元王子様が持ってきた果物を押しやると、びくびく受け取りながら娘は上目遣いに見上げてきます。
元王子様がふんっ! と大きく鼻息を吐き出すと、ぱっと顔を輝かせてから、なぜかまた泣き出しそうになります。
「あの、それはその、もっと太ってから食べてやろうって事なのでしょうか……?」
(食わんと言っているだろうが!!)
「ひええ、ごめんなさい、ごめんなさい、大人しく食べます、食べさせていただきます!!」
がおおお、と大きく口を開けて吠えると、娘は逃げていき、今度はちゃんと木までたどりつけました。
神妙な顔で果物を囓り始めると、みるみるうちに、頬が落ちそうな表情に変わっていきました。
(…………)
つい娘の顔をじっと見つめてしまうのは、人間だった頃、元王子様はこのような食事を取った記憶が終ぞないからでしょうか。
遙かに洗練されていて、手の込んだ美食の数々を、特に何の感慨もなく口に入れていたような気がします。
娘と同じ物を食べても、そんなに感激するような味とは思えません。
(わからん。つまらん毎日のはずなのに、なぜこの女はいつも幸せそうなのだ)
「はあっ……甘酸っぱくて、本当に、ごちそうさまでした……! このご恩はいつ返せるかわかりませんが、必ず……!」
食べ終わった彼女は深々と、ドラゴンに向かって恭しく頭をこすりつけました。
うっかり食事が終わるまで同席していたことに気がついた元王子様は、はっと我に返ると今度こそ飛び立とうとします。
(ご恩? そんな余計な物はいらん。つい、この妙ちきりんのペースに巻き込まれてしまっていたが、それも今日まで。姿を見られてしまったことだし、今度こそこれきりだ。住処を移して、忘れよう――)
しかし思うように空に帰ることができません。
何しろ翼を広げて飛び立つポーズを取ると、「ああっ!」と娘が絶望的な声を上げるので、ついびくっとやめてしまうのです。
ドラゴンが声に驚いて踏みとどまると、彼女はぱああっと顔を輝かせました。
そして彼が去って行こうとすると、「あああっ!」と再び苦悶の叫びを押し殺すのです。
(その奇声をやめんか! 調子が狂うではないか!)
「ひゃああごめんなさい、でも行かないで!」
キシャー! と元王子様が怒ると、娘は体をすくませますが、その割になんだか図々しいことを言うではありませんか。
すっかり毒気の抜かれた元王子様は、飛ぶのは諦めて、ふて寝することにしました。
どうせ連日の見張りであまり寝ていないのです。
ドラゴンの体は必ずしも睡眠を必要としませんでしたが、起きっぱなしでも特にやることがないので手持ち無沙汰です。
それどころか、昔の事など余計な事を考えてしまったり、自分が化け物になってしまったことをまざまざ突きつけられたようでもあって、元王子様は娘がやってくるまでは毎日欠かさず眠るようにしていました。
なので、この数日分寝てもいいだろう、と自棄気味に体を横たえたのです。
寝る姿勢に入ると、たちまち娘がそうっと近づいてきそうだったので、威嚇して遠ざけました。
すると彼女は怒られないギリギリの所で腰を下ろし、キラキラした目で元王子様を見つめます。
「ドラゴン……本物のドラゴン……!」
(本当に変な奴だ)
ため息を吐いた王子様は、薄目をやめて今度こそしっかり瞼を下ろします。
その気になればいくらでも逃げることも、倒すこともできると思える相手だからでしょうか。
それとも彼女があくまでも、憧れるような熱い視線を送ってくるからでしょうか。
居心地が良いわけではありませんでしたが、かつて人間達と対峙した時よりは遙かに穏やかな気持ちで、元王子様は奇妙なむずがゆさを感じながら眠りにつきました。