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11.どうしても一言文句を言ってやらなければ気が済まなくなり、

 これは一体どういうことでしょうか。元王子様は思わず息をすることまで忘れ、目の前に映る光景をただ呆然と見守ります。


「一度ならず、二度までも! 王子様のお慈悲で許されたというのに、お前は何も懲りていないのだね!」

「ち、違います奥様。私は、何も――お嬢様の仰っていることには、覚えが――!」

「お黙り!!」


 娘は自分は正式な家の子ではないが、貴族の端くれなのだと語っていました。

 であれば、呼び戻されたのなら、対面のために綺麗な服と広い部屋、傅く人間達が与えられているはずです。


 けれど赤い髪の彼女は相変わらず粗末なボロ布をまとい、狭くて暗い牢獄のような所に押し込められ、みじめにうずくまって頭を抱えて見下されていました。


 何度も激しく鞭で叩かれたためでしょうか、服は破け、背中には痛々しい痕どころか、うっすら血も滲んでいるように見えました。


 娘を責め苛んでいるのは、いかにも厚化粧で、派手な格好をした女です。

 その横には、同じようなごてごてと目にまぶしいだけのドレスを身に纏った、もっと若い女がいました。


 着ている服に背格好、顔立ちまで似ていますから、この二人はきっと親子なのでしょう。

 彼女達の格好こそ、元王子様が思い描いていた今の娘の姿のはずで、けれどどうしてこんなにも醜悪で下品に見えるのでしょう。


「ひどいわ、お母さま。姉さまったら、しらばっくれるつもりなのよ。この正統な王太子妃になった私に嫉妬して、帰ってきて早々、毒を盛ろうとしたくせに!」


 しゃべり方もねちっこくいやらしく、娼婦だってもっと聞きやすい声をしている、と元王子様は思いました。

 娘のまっすぐ凜とした人なつっこい声とは真逆のようです。


「わ、私は何も――」

「うるさい! 証拠は挙がっているんだ、今度こそ言い逃れはできないよ!」


 すっかり顔色を亡くした娘は何度も訂正しようとしているようですが、その度に鞭を打たれ、うめき声を上げました。


「本当に、何も知らないんです……! 私、だって、戻ってこいって言われたから、戻ってきただけで、まだ私に何かできることがあるならって――」

「まあ、まだ言い訳するつもりなの? 王太子様が妙な優しさを出したから、まだ自分に脈があると思ったんでしょう! 汚らしい姉さまのしそうなことだわ」

「ふん、泥棒猫の娘も所詮盗人女なのですわ。やはり追放程度では生ぬるい、更正の余地もない! 旦那様、この罪人を処罰なさいませ!」


 少し離れた場所に、女達ほどではありませんでしたが、やはり立派な格好をして口ひげをたくわえた男が立っていました。


 彼はヒステリックに叫ぶ女を冷たく見ると、無関心な目で叩かれている娘を見下ろし、そして背を向けました。


「役に立たぬのならもう知らん。好きに処分しろ」

「だ、旦那様! そんな、お願いです、見捨てないで――お父さん!」


 娘が取りすがろうとすると、男は振り返り、思いっきり彼女を蹴飛ばしました。

 地面に赤い髪が散らばり、動かなくなります。


「――決まりですわね。夜明けと共に、火炙りにしましょう!」


 男は一瞥すらせず大股に立ち去り、女達は高笑いし、腕を組んで出て行きました。


 乱暴に重たい鉄の扉が閉まる音がして、灯りもない暗闇にただみじめな小娘だけが取り残されます。



 彼女は元々農民の子で、後で貴族の家に迎えられたという話でした。

 そこで高貴な方に物珍しさで見初められたものの、理想との食い違いで幻滅され、追放されたという話だったはずです。

 そしてその罪はなくなり――追放はやり過ぎだとでも思い直したのでしょうか、それで連れ戻されたはずでした。


 しかし、正式な夫人とその娘は、外の子である娘の事が、今でも不倶戴天の敵として見えているようです。

 だから彼女が戻ってくることが――罪が許されることが、我慢ならず、今新たな罪をでっち上げて、殺そうとしている。そんなところなのでしょうか。


 なんとなく、話は理解できます。けれどどうしても、わかりません。


 元王子様は、殺したいほど誰かを憎んだことがありませんでした。


 大魔女は倒すべき相手だと思いましたが、憎しみはありませんでした。

 自分を間接的に追い出した兄のことは憎んだかもしれませんが、手にかけることはできませんでした。


 人から竜に変じられた時、あの時自分を取り巻いていた人間達に、恨みがなかった訳ではありません。

 そんなに嫌いだったのに、なぜもっと態度で示さなかったのかと理不尽に感じました。


 あるいは元凶たる大魔女のこととて、当然怒りを覚えました。

 ひと思いに息の根を止めず、こんな陰湿な呪い方をして、苦しみを与えた相手に、もしもう一度相まみえる機会があったなら、今度こそ決着をつけてやろうとは思い続けていました。


 けれど、復讐の刃を研ぎ澄まし、憎悪の炎を燃え立たせるより。

 そんなにも周囲から疎まれていたと気がつけなかった、自分自身の愚鈍さこそが。

 あるいは、己の分を過信して、大魔女ごときと思い込んでいた、自分自身の卑小さこそが。

 悲しく、情けなく、悔しく――けれど今更後悔したところで、どうにも何にもならないから。


 いつの間にか、ドラゴンの体を受け入れて、ただただ日々漫然と生きていたのです。



 ――元王子様はわかりません。


 この娘はそんなに憎まれることをしたのでしょうか?

 こんな仕打ちを受けねばいけないほどの悪人だったでしょうか?


 確かに彼女はどんくさくて、危なっかしくて、とても器用とは言えない手つきで、いつも毎回イライラさせられて――でも、どこまでもまっすぐで、一生懸命で、きらきらと輝いていました。


 そんな彼女が、冷たい床に転がされている。



(ええい、本当に、いまいましい!)



 彼が咆吼すると、辺りが震え、夜空に火の柱が登りました。


 わかりません。こんな気持ちなんか経験がありません。

 出会わなければ良かったし、構わなければ良かったし、もっと早くから見捨てて知らんぷりをしてしまえば良かった。あんな何もできない、ただ人の事を引っかき回すだけの、厄介な存在のことなんか。


 いいえ、所詮他人のことなのですし、今からだって、何もしなければいい、ただそれだけのことなのです。



――けれど。


(それだけのことが、どうしてもできそうにない。だから俺は、お前なんか大嫌いだと言うのだ)



 知ってしまった以上、知らなかった頃には戻れない。


 元王子様はついに、辺境の森から飛び立ちました。


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