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テリトリー

作者: 青原匠

 機銃掃射の様な鋭い雨が、耳を劈く轟音をあげて僕の身に突き刺さり、厚いねずみ色の雲と鬱蒼とした木々は僕の体に重く伸し掛る。砂利を含むぬかるんだ地面は決して僕のことを逃がしてはくれない。

 白いオーバーサイズのポケットTシャツにロールアップされた黒スキニーという夏の服装も、この状況ではただただひたすらに寒い。いつもは明るい気分へと導いてくれる真っ白なスタンスミスも、薄汚れた今では一層気分を億劫なものへとしてくる。細やかに鳴り響く夏の風物詩でもあるひぐらしの鳴き声も、まるで僕を嘲笑うかのようだ。


「なんでこんなことになったんだ……」


 喉を震わし、思わず口から吐露されたその言葉は、どんなに難しい漢字を用いた言葉よりも僕の今の心情を表すのに相応しい言葉だった思う。だって、僕はただ、ただ好奇心で来ただけなのに……

 高校2年生である僕は、夏休みの真っ只中であった。とはいえ、帰宅部活動に勤しみ、友人関係も乏しかった為に青春の一欠片も探せない夏休みを送っていた。

 そんな時、ふと見つけてしまった。いつも通り何の目的もなくツイッターを開き、タイムラインを監査していた時のこと。○○県○○市○○郡に来ました!といういくつかの写真が貼付されていたツイートを見つけたのだ。

 これだけではよくあるツイートなのだが、その写真をよくよく見ると投稿者と思しき人の後ろに、裸で槍を携えた、まるでアフリカの部族の様な人物が写っていたのだ。

 これによってこのツイートは瞬く間に拡散され、僕の目に入ってきた。

 率直なところ、その写真はなんとも滑稽なものであった思う。探索し尽くされた現代国家である日本に、時代錯誤も甚だしいそんな人物がいるなんて言うのはどうにも受け入れ難く、ツイートの返信欄も「これは加工だ!」「嘘をついてまで売名ですか?」「これは面白いww」などと言った懐疑的だったり、ふざけたりしたもので溢れかえっていた。

 でも僕は、そんなこと、つまるところことの真偽なんて歯牙にもかけなかった。退屈な日々を送っていたから、そんな日々から連れ去ってくれるには話題性としてはもう十分だったのだ。そして僕の家がこの話題の写真の撮られた場所と同じ県にある、というのもあったかもしれない。

 そんなこんなでその写真が撮られた場所に行こうとしたら、森の奥深くを目指していたからであろうか、迷ってしまった。オマケにここ最近連日続いている悪天候を楽観視し、軽装で来てしまっていた。斯くして僕はこんなことーー傘すら強風によって飛ばされ、殆ど遭難していると言っても過言ではないーーになっている訳だが……

 足が疲れ、倦怠感が体のありとあらゆる所を占領し、立つ気力もが葬られた僕は四肢を地につかせる。

 とぐろを巻いた雷鳴が鳴り響き、僕の鼓膜を掠める。そこに希望はない。

 数多の雨粒が頬を撫で、その内の幾分かが口元に乱雑な様で侵入してきた刹那ーー



「△△◇◇〇〇」



 何か、人間の声が、でも聞き取れることの無い、そんなものが聞こえてきた。

 その声の主をみつけようと地面に肉薄していた顔をやおら上げると、僕は絶句した。

 何故なら、僕の眼には例のインターネット上を賑わした写真に写りこんでいたあの人物がいたのだから……

 驚きのあまり一瞬の沈黙さえもが永遠に感じられる。

 そして、そんな中でもその人物をまじまじと観察してみると、身長はおおよそ180センチ後半辺りであろうか、高く見える。勿論男だ。また、肉体は一般的な黄色人種である我々日本人が日焼けしたような感じで、黒人ほどではないが黒い。そしてその黒さはその人物、というか彼の屈強な筋肉を強く強く主張している。更に、その屈強な筋肉で覆われた手元には、先端に鋭利な石器のようなものが取り付けられている槍が構えられていた。だから僕は生命の危機を感じた訳である。まったく、槍の現物なんて展覧会くらいでしか見たことがない、ぬくぬくした温室育ちな人間なんだから、こんな眼前に槍の現物が現れてきても驚くな、という方が無理な話だろう。

 はぁ。と、嘆くように僕は溜息をついた。


「○○□□◇◇」


 そんな風に焦燥に駆られた僕の様子に気付いていないのか、はたまた気付いた上で無視しているのかは知る由もないが、相変わらず彼は日本語と高校生レベルの英語しか知らない、そんな僕には聞き取れる言語ではない言葉を投げかけてくる。

 しかし、その口調は何だか敵意を含ましたようなものではないニュアンスに聞こえた。寧ろ僕のことを気遣ってくれているかのような、そんなトーンだった。

 もっとも、彼の話してる言語は知らないし、突然のことで腰を抜かした僕には体をめいいっぱい使ってコミュニケーションをとるなんてことも出来ず、ただただこう呟くのが精一杯だった。


「えっと……」


 と、吃った声で。

 すると、この返答を彼がどう解釈したのかは知らない。が、彼は手を招きながらこっちに来い、と身振り手振りで表してきた。少なくとも否定的、敵対的に見られているということではないのであろう。

 もしここで逆らったら、相手が逆上して肯定的に捉えられてる今の状況がひっくり返る、なんてことも十二分に考えられる。だから元から貧弱だったが、遭難によって更に著しく損なわれた体力を何とか振り絞って重たい腰を上げ、僕は彼の言う通りに近づいていった。その時、不思議と恐れ、というよりは畏れ、という感情に僕は支配されていた。


 それから幾分かの時間が経った。相変わらず篠突く雨の止む気配は、僕を前に照れたのか現れてこない。そんな雨で舗装されたびちゃびちゃな道を歩いてきた。泥に塗れたスタンスミスはへたりを極め、靴の中に容赦なく泥水は顔を覗かせる。そんな時、


「○○□□」

 

 再び聞き覚えのない言葉を投げけかけられ、俯いていた顔をおもむろに声の主、彼へと向ける。すると、その主たる彼は何だか感情の汲み取りにくい顔をしながら、癖の強い指毛に包まれた左手の人差し指を真っ直ぐに指していた。そしてその指していた先を見てみると、大きな口を開けた洞窟があった。更にその先には、


「家だ……」


 そう家だった。と言っても、コンクリートでも、レンガでも、建築用の小綺麗な木で出来たものでもない。茅葺きなどで出来た、何とも貧相なものである。そしてそんな家が一軒でも二軒でもなく、数十軒にも及ぶ数が、洞窟の中でひしめきあっていた。光源は仄かに燃える松明くらいしかない。その様は、さながらアフリカ諸国やオセアニア諸国で見られる、文明の行き届いてない民族の住む集落のようだ。というか、僕をここまで案内した人物である彼の身なりなどからここはまさしくその集落なのだと察せるから、さながらという比喩表現は些か適切性に欠くかもしれない。

 と、冷静に状況を俯瞰してみたが、全く意味がわからない。何故、この近代化された日本にこんな集落が?何故、僕はここにいる?

 何故?なぜ?なにゆえ?

 堂々巡りの思考思索は結論に至らず、結局彼に案内されるがままにその集落へ、土地へおずおずと足を踏み入れた。そう、奇々怪々な、何も勝手の分からない土地に。それで生じた不安は、僕の体を雑巾のように絞って水分を汗として放出させてくる。僕のことを正座して待ってくれている運命を前に、もう何もすることはできなかった。

 しかしーー

 僕のそんなネガティブな考えは一蹴された。何故ならば、僕は手厚く歓迎を受けたのだから。彼等のテリトリーに足を踏み入れた瞬間、僕の案内人である彼は大声をあげ、それに呼応したかのように集落に存在するあらゆる家から住人と思しき人達が一斉に出てきたのだ。住人達は性別問わずに彼と似たような肌をしていた。しかし、1つ違和感が。住人達は彼とは違って屈強な筋肉で体を覆われてない。というか、寧ろ逆だ。ろっ骨であったり脛骨であったり、多々ある骨は皮膚の下に潜り込んでいたとしてもハッキリと形がわかる。つまり、痩せていた。痩せ細っていたのだ。彼との対照的すぎる体型を前に、違和感が鎌首をもたげる。彼がリーダー的な存在で特別だから、とかそんな感じだろうか?とか思ったりもした。ただ、別に言葉も通じないし、他人の文化はよく分からないしずかずかと足を踏み入れていいものでもないとも思い、特に口にしたり行動にしたりとはしなかった。それに、住人達もそれを特に気にする様子はなく、僕のことを囲いこんで見覚えのない楽器を鳴らしたり、それによく分からないメロディーの歌をのせたりと歓迎の儀式らしきものをしてくれてどうでもよくなっていたから、というのもある。


 その後はもうよく分からない料理ばっかりではあったが、酒池肉林の宴を催してくれたりしたものだから、先ほどの違和感も、そもそもこの集落が何なのか、なんていった前提条件ですらもどうでもよくなった。僕が家を飛び出してここに来たから、今頃親が帰ってこない僕の身を案じている、なんて思考にすら辿り着かなかったわけだ。


 曇天模様は続き日が没する頃、喧喧囂囂とした宴が終わりを告げた。僕は家の事などを始めとした現実的なことは忘却の彼方に追いやり、出された飲み物に酒でもあったのか、相変わらず降り続く雨は意に介さずに意気揚揚と暗い集落を歩いていた。


「あぁ、何だか楽しかったなぁ」


  ふとそんな言葉が自然と出た。冷静に考えれば今置かれている状況なんて狂逸に他ならないのだが、先程も述べた通りそんなことを考える冷静さは幽々たる空に吸い込まれていたのだ。

 だから……

 そう、だから。

 気付かなかったのだ。

 集落のある洞窟の外には凶猛な雨によって荒らされていた、集落の人達に食料を供給するための能力が失われているであろう畑が、

 麻布が敷かれていて何かの儀式が行われた痕跡のある祭壇が、

 まだ形の残っている人骨のようなものが、

 存在していることを。

 そして、

 例え衛星写真などでは気付きにくい洞窟内部に集落があったとして、それが長い間発見されなかったのは集落の人達が余りにも排外的で、そこに近づいた人は全員殺されるのではないかという疑念。

 この近郊では最近行方不明者が出たと夕方のニュースで小さく取り扱われていたという事実。

 何か烈烈な災害などに瀕した際、文明から隔離された集団は何か非科学的なものーー例えば生贄などーーに頼るという一般的なイメージ。

 これらに気付かなかったのだ。いや、目に入ったり、少し考えたりはしたが、どうでも良くなったという方が正しい。それに集落に入って真っ先には、全員が痩せ細っていたこととかに対しての違和感とかだってしっかり持っていた。でも、それは消えた。だって、集落に到達して直ぐに手厚く歓迎を受けたのだからーーーー





 グサッ





 余りにも陳腐な音がぴったりと当て嵌る、そんな鈍い音が微かに響く。そしてそれと同時に、僕のうなじには唐突な、そして強烈な痛みが押し寄せた。

 暁闇の暗さでもハッキリと分かる鮮血が少し視界に入る。僕の血だ。

 そうか、

 そうか。

 僕は生贄になったのだ。彼等の生贄に。だからせめて僕の最後の晩餐くらいは、ということで豪勢な食餌を振舞ってくれていたのか……


 痛みは次第に失踪していき、僕の意識は微睡みの中に落ちて行く……







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