第三話 フェンリル
薄暗い地下牢。蝋燭の火がぼんやりと照らすその場所に信長はいた。後ろ手に縄をされた信長は衛兵に槍で刺されたときの事を振り返る。
(あのとき、儂は確かに死んだはずだ。意識が遠くのも感じた。だが、痛みすらなく生きている。それに儂の体を貫いた槍は消し炭の様になっていた……。やはり、あの物の化の女の言葉……)
信長の頭には『アナタニお力お貸しします』という本能寺で出会った女の言葉が響く。
(これが物の怪の女の言った“力”と言うことか……)
信長はそこまで思うと、ニヤリと口元を歪ませ口を開いた。
「……面白い!」
見張り番をしていた兵が文句を言いたげな顔で信長を一瞥する。
(しかし、もし本当に儂が摩訶不思議な力わ手に入れたとして、それはどの様なものなのだ……)
信長は目をつむり、考え始めた。一分、二分と時が過ぎ信長はある事に気がつく。
(物の化の女は炎の中から現れ……刺された槍は炭の様になっていた……。とするならば、儂の得た力はあの物の化の女の様に“炎”を使役する力……なのやもしれぬ)
そのとき、一人の衛兵が地下牢へやってきた。衛兵は見張り番の兵達にコソコソと耳打ちを始める。
「戦争ぉ!」
見張り番の一人が目を見開いて叫んだ。それに対しもう一人の見張り番がおいっと小突く。その後も少しの間衛兵と見張り番達はコソコソと話し合い、地下牢を出ていった。
(戦か……。準備の為に見張り番も担ぎ出されたか、これは運がよい。儂が本当に物の化の女から力を得たなら、見張りが居ぬ間にここを出られよう。まずはこの両腕の縄をどうにかせねばな……)
信長はうーんと唸ったあと「出でよ炎よ」と呟く。しかし静寂が続くだけである。その後も理由もなく部屋の中を徘徊してみたり、自らの身の危険が鍵かと思い壁に頭をぶつけてみるが一向に炎が出ることはなかった。改めて床に座り直した信長はふーと息を吐くと目を閉じ意識を集中させ始める。
(よくよく考えれば己の中の力を使うのだ。刀や弓等の武術の修行と同じと考えよ……。意識を集中し、神経を尖らせ、そして丹田に力を込める……)
信長は自分の意識を深く深くへと集中させていく。そのとき両手首にあった違和感がなくなっていくのを感じた。もしやと思った信長は後ろで縛られていた両腕を勢いよく体の前持ってくる。信長の腕は彼の意思に従いなんなく信長の眼前へと現われた。
「どうやら、予想が当たったようだな」
信長はそうい言うと立ち上がり、眼前に広がる鉄格子の一本を握る。両腕の縄と同じ要領で鉄格子へと意識を集中させていく信長。彼の掌に冷たい感触を与えていた鉄格子は徐々に熱くなっていく。そして信長の触れていた部分からはボゥと音を立て炎がひらめいた。炎に焼かれ鉄格子はみるみる内に溶けていく。信長はその調子で何本かの鉄格子を炎で焼ききると牢の中から脱出した。
地下牢の階段を登り終えた信長は慎重に城の一階へと歩を進める。城の中は地下牢と違い戦いの準備で慌ただしく、兵達があっちこっちと駆けていた。
(戦支度の喧騒に紛れ、早くこの城を出たい所ではあるが……できれば刀の一つでも持っておきたいものだ)
兵達から身を隠しつつ、できるだけの部屋の中を探っていく信長。そして、いくつ目かの部屋の中を探りようやく一本の剣を手にいれる。
「両刃の直刀、西洋の刀と似たような形だな。この形の刀はあまり使ったことがないがしかたあるまい」
信長はそう言うと腰に剣を差す。そして兵の往来がないことを確認した信長は急いで城の外へと駆けていった。
城を出てると信長の眼前には最初に見て回った街が広がっている。信長は街の左手に広がる森の中へと身を隠し、先へ進むことにした。
森の中を進むこと数十分がたった頃、木にもたれ休息をとる信長。彼はあがった息を整えながら、ポツリと独り言を漏らした。
「魔族の者達の口ぶりでは、この世界にも人間はいるようだ。どうにかそこまでたどり着きたいものだが……」
再び口を閉じた信長は辺りの異変に気がつき、城から持ち出した剣に手をかける。信長は全身の神経を尖らせ、周囲に気を配りはじめた。彼は近くに何者かの殺気を感じていたのだ。息をひそめる信長、そのとき彼の後方からザッという物音がなった。
「後ろかっ!」
信長は後方へ身を翻す。彼の視界に入ってきたのは、大きな口を目一杯開き飛びかかってくる一匹の人間程の大きさの獣であった。
「狼かっ……!」
剣で信長が応対すると、狼は信長の剣に噛みつく。信長はすかさず狼の腹へと蹴りをいれる。すると狼は信長から少し距離を取り、彼を睨み付けながら言った。
「おぉ、おぉお前が噂の人間か。風に乗ってお前の臭いが数キロ先まで届いてたぜ」
「フン、喋る狼か……。儂としたことが油断した」
「オレたちゃただの狼じゃないぜ……。誇り高きフェンリル族だっ!」
狼は再び信長に襲いかかる。それに対し信長は剣を待たぬ左手を狼へと伸ばした。狼の牙は信長の腕へと食い込んでいく。
「バカな野郎だ。自分がどっちの手に剣を持っているのかもわからないのか?」
狼の言葉に信長は口元を怪しく歪ませ、震える左手で狼の顔を撫でた。
「敵の力も知らずに飛び込んでくるとは、バカはお前だ」
狼には信長の言葉が理解できなかった。だがすぐにその意味を体で知ることになる。
「熱っ!」
狼は信長の腕から口を離し、再び距離を取る。狼の右顔の一部は焼けただれている。
「中々上手く扱えぬものだな。本当は貴様を焼き殺してやろうと思ったのだが」
そう言った信長は自らの左腕を見つめていた。彼の左手からは煙がたち、狼に噛まれた場所はみるみる傷が癒えていく。
「やはりか、礼を言うぞ狼。貴様のおかげで、儂の体に傷を治す力が証明できた。この痛みの礼は痛みで返すとしよう……」
左腕に向けていた視線を狼へ向ける信長。その眼光の鋭さに危険を感じた狼は雄叫びをあげる。すると信長の後方からさらに二匹の巨大な狼が襲いかかってきた。
「ちっ! 増援かっ!」
信長は剣を降り応戦する。だが、一匹の狼を牽制することはできたが、もう一匹からは右肩に攻撃を受けてしまう。
(三体一か……。まだ、まともに炎を操ることもできぬ……引くしかあるまい)
右肩の痛みに顔を歪ませながら、その場を駆け出す信長。しかし三匹の狼はすぐに信長を追う。
「いいか、あの人間を逃すな!」
一匹の狼の言葉に他の二匹はおうと返事を返す。信長は必死で逃げながらも剣を振るい牽制をはかった。そうしてしばらくの間走り続けると視線の先から光が差し込んでくる。
(しまった、森から出てしまう。平原では狼共から逃げことはできぬ……)
危機を感じた信長はチラリ後ろへ目を向ける。すると彼の目に飛び込んできたのは、徐々に追跡の速度を下げていく狼達の姿だった。
(なんだ、奴ら。なぜ、速度を落とした……)
信長の頭に疑問が浮かぶ。そのとき後ろに意識を向けていたため、信長は足元の石に気がつかず転倒してしまう。地面に横たわる信長の顔に光が指す。信長は追ってくる狼達に気をとられ、自分がすでに森の出口についていたことにやっと気がついた。
「くっ……」
急いで姿勢を起こす信長であったが、眼前に大きな陰があるとこにすぐに気がついた。ユニコーンに跨がる魔王ディアスと兵の一団である。
「捕まえるのに時間がかかったようだが、三匹共怪我はないか?」
魔王ディアスの言葉の後に聞こえてきたのは、パキっという乾いた木の枝が折れる音だった。信長が音のなった方を向くとそこにいたのは三匹の狼達。狼達は魔王ディアスに頭を垂れながら言う。
「命に関わる様な怪我はございません」
その言葉を聞いた魔王ディアスはゆっくり信長へと視線を移し口を開く。
「やはりアナタは普通の人間ではないようですね」
信長は焦燥を隠すようにわざと笑ってみせた。