第51話 ナマズ
煩い虫の音が、熱中症気味な彼の脳内をかき混ぜる。
大量の鉱産資源が積まれた一輪車の作りはあまりにも粗雑だ。
重要な車輪は、車軸がズレてあまりにも進みにくい。
それに加え、荷台は振動を与えるとすぐに外れてしまうような作りだった。
一輪車が壊れてしまうので、ゆっくりと進んでいるのだが見張りの兵が早く進めと急かす。
あぁ……なんでこうなったんだ……
様々な場所に足を運び、好奇心を満たして来た彼には、この閉鎖的な強制労働施設はあまりにも酷だった。
今すぐにこの仕事をほっぽり出して逃げたいのだが、もちろんそれを許してはくれない。
ここは、ヘルナヴィエ聖国の北側に位置する強制労働施設
本来は罪を犯した者が来るような場所
私のような真っ白な人間を閉じ込めるべき場所ではないのだ。
ここから少し北を進んだ場所には『死神の森』が存在する。
”1度入ったら生還は不可能”と言われている森だ。
この聖国と陸続きになっているものの、魔物はほとんど来ない。
なぜなら『死神の森』と私たちの住んでいる大陸の間には数十メートルの大峡谷が存在する。
どっかの地理学者様によると、急激な地殻変動により数百年前に出現したものだとか……
だが、陸は安全なのだが、空が危ない。
かなり前の話なのだが、強制労働施設のはるか上空を龍が通過したことがあった。
お祭り騒ぎだったなぁ……
もし、あいつがここに飛んで来てたら……逃げられたかもしれないが、食われるのは御免だ。
この強制労働施設の外壁の上には、大型のバリスタが設置されている。だが、それは上空を向いている訳ではなく、壁の内側に照準が合わせられている。
どうやら聖国の兵士様は、龍よりも俺達の方がよっぽど恐ろしいみたいだ。
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正午の休憩時間に突入した。
この強制労働施設では、食事はギリギリ働ける程度の量しか貰えない。
こんな状態で脱走でもしたら、施設の周囲を徘徊する魔物に食われてしまう。
今日の配給は芋2つ
数分で食い終わってしまうだろう。
皆奪い合いも、盗みも無く
ここに収容される前は、どんなヤバいやつが居るのか気が気でならなかったが、皆意外と紳士だった。
俺は、彼らが悪いヤツとは思えない。
話してみると分かるのだが、彼らの出身地はバラバラ
だが、出身は違えども、境遇はほとんど同じ。
この施設に収容されているほとんどの人は、旅人か、冒険者か、国境警備隊の兵士さんか……
皆何らかの罪を擦り付けられ、ここの施設に収容されたらしい。
聖国は何を企んでいるのか
まぁ、考えてもしょうがないか。
「くっそ……虫うるせぇ……」
「なんだ、またそれか? 聞こえないぞ虫の音なんて。」
彼らは虫の音を環境音の1つとして、一括りにして見ているらしく、どの音が虫の音か分からない様だ。
「ほらこの音だよ。ジジジジジってやつ」
「……本当に虫の音なのか? 俺にはさっぱりなんだが。」
他の人にこのような質問をしても皆同じ返答を返す。
どうやら彼らの出身地では虫の音をしっかりと聞く文化が無い様で、どれが虫の音なのかちゃんと聞き分けられるのは俺ぐらいしかいない様だ。
「なんかお前変わってるよな……まぁ、俺ら全員変わり者みたいなものなんだが。」
「しょうがないさ。これが文化の違いってやつなんだろうな。今が耐え時……無事にここから出られるようお互い頑張ろうぜ。」
「……あぁ、そうだな。」
実は、目の前の男
面識はあるのだが、名前は知らない。
皆そうだ。
この強制労働施設では、己の名を名乗るのが禁止されている。
監視の兵が労働者の1人を呼ぶ時、
名前が分からないので「おい、お前」と呼ぶのだが、「お前」では誰が誰だか分からないので、いちいち振り返らなくてはならない。
「お前」と呼ばれて皆振り返る光景はあまりにも面白すぎる。
何かのお笑いを見ている様だ。
予め汲んでおいた水を飲み干す。
1度仕事に取り組むと、終わるまで水を口に出来ないのだ。
「午後も頑張りましょうかね。」
「おう。」
そう立ち上がったその時
異様な風が吹き込んで来た。
確信には至らず、誰も口には出していない。
だが、俺の見える範囲の人物は、それを感じ取ったみたいだ。
虫の音は止み、沈黙が周囲を包む。
俺ら労働者そっちのけで、談笑しながらいいもん食っていた監視兵達は何事かと警戒を始めた。
「なぁ」
「……なんだ?」
「今止んだのが虫の音だ。分かるか?」
「そうだな……静かだ。」
恐らく、彼の虫の音は俺の想像しているものとタイプが異なるのだろう。
「ォォォォォォォ……」
爆発の余韻のような音と共に、地面が揺れた。
「そ、それ抑えろ!」
突如の地震で卓上の荷物やら食べ物やらが倒れそうになる。
「これ抑えてるからお前これ頼むわ。」
「任せろ。」
急ぎで抑えたのでコップが倒れてしまったが、飲み干しておいて助かった。中身が無かったので零れることは無かった。
「さっきの地震凄かったな。」
「……」
返答が無い
彼の様子を見ても、何ら変わりは無い
「な……なぁ、どうしたんだ? なんかあったか?」
彼は凝視しないと分からない程度だったが、若干唇が震えていた。
「魔法……か?」




