再会
ギルドを出た日向は東の方角へ登ってきた坂道を下っていた。その手にはミミから受け取った魔獣の資料や神語の辞典などがある。鞄がない日向には文字通り手に余るそれらを、少し顔を顰めて運ぶ。
「ありがたいけど、少し邪魔だよね~」
坂を下った日向はそうボヤいていた。そんな、手に余る荷物を抱えて、不思議な装束を纏って、神秘的な雰囲気の剣を腰に携えた、一言でいえば『異質』な日向に街を歩く人々の自然に目が集まる。
人々の様子を気に留めず、ミミに教えてもらった東門へと向かって歩き続けると、既視感のある大きな門が見えてきた。森精と小人に絡まれた門近くの広間のようなところもある。間違いないようだ。
「あの~、すみません」
日向は門の前に立つ騎士の元へ駆け寄り、話しかける。
「どうかしましたか?」
最初に面を確認された時より、随分と優しい口調で騎士は受け答える。
「あの~、今から街の外に出るので、しばらくの間この荷物をここで見ていてもらえませんか?」
日向は神語の辞書とその他不必要な資料諸々を騎士の元へ差し出す。
「ああ、それくらいならお安い御用ですよ。私が預かっておきましょう」
騎士は優しい口調と笑顔で日向から荷物を受け取った。
「ありがとうございます。何時間かすれば戻ってきますので、地面に置いていてもらえばいいですから」
「そう言っていただけると、こちらも助かります。私も業務がありますので。では、私の足元に置いておきますから、時間になったら受け取りに来てください」
日向は頷いて、再び足を動かしだした。城門に立つもう一人の騎士に頭を下げて、巨大な門を通り過ぎる。
街から一歩出ればそこは大自然だった。茫洋と広がる大地には遮るものがなく、草花が燦燦と輝く太陽に照らされている。そこには巨門に一続きになるように整地された土の道が大地を貫き、そこを通って人々が街と外を行き交っていた。
巨門を有する街を囲む巨大な壁は街と外界を断絶する、差し詰め結界ともいえる風格を放っていた。
「こんなにきれいだったんだ。こんなところに魔獣なんて呼ばれるものがいるとも思えないけど……」
日向はミミからもらった手書きの地図を参考にして、整備された土の道とは別の方角へと向かう。舗装されていない草花を踏みつけながら数百メートル進むと、唐突にそれと遭遇した。
草原に姿を隠すのに適した玉虫色の体表と人間の子供に満たないほどの小さな体躯、体の一部のように両の手に携えられた小刀と小盾の魔獣の武器は、ゲーム等でよく見かける『ゴブリン』そのものであった。
「ほんとにいたぁっ!」
日向は咄嗟に腰に携えた剣に手をかける。柄を握り引きあげると装飾された鞘から、白銀の刃が姿を現す。
その銀閃に目を移した『ゴブリン』は黄色の双眸を鋭くする。
シャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!
『ゴブリン』は叫びをあげて、日向へと肉薄する。華奢な足で高く飛び上がった『ゴブリン』は日向の顔の前で横に一閃する。
「うわっ!」
寸でのところで刃を顔近くまで上げて、『ゴブリン』の一撃を受け止める。鳴り響いた金属の重低音が日向に与えたダメージを物語った。日向は手に伝わった、鳴動するような衝撃に苦悶の表情を浮かべる。
「痛いっ! こんな小さいのにどんなパワーをしているんだ」
日向は震える手を、剣を握りしめて無理やり押さえつけて、『ゴブリン』を睥睨する。
シャァァァァァァァァァァァァァァァァァ!
『ゴブリン』は再び肉薄する。真正面から突撃する『ゴブリン』に日向は両の手で剣を握りしめ、銀光を放つ切っ先を『ゴブリン』へ向ける。ちょうど、日本剣術の面のような形である。
『ゴブリン』は日向より2メートルほどの距離で先ほどより高く飛び上がり、170センチはある日向を軽く見下ろすぐらいまで跳躍する。小刀を日向に向けて、逆に面を取られそうになった日向は、正面に向けていた切っ先を斜めに向けて、右斜め上方に切り上げる。『ゴブリン』の小刀より数瞬早く捕らえた銀閃が、『ゴブリン』の腹部を真っ二つに切り裂く。
気色の悪い紫紺の血が飛散して、『ゴブリン』は灰塵に変わった。そして、『ゴブリン』の残滓から橙光色の石の欠片のようなものが落ちる。
「危なかったぁ。……で、これがたぶん『宝珠』だよね」
一息息をついて、日向は魔獣の体より産み落とされた神秘的な欠片をまじまじと見つめる。魔獣の核である『宝珠』は、いわゆる魔力と呼ばれる『魔法』の源泉のようなものの塊であると人々に認識されている。
この世界において――まぁ、どこでも変わらないかもしれないが――『魔法』というものの存在は著しく高い。日常生活に一つ存在するだけで、その不思議な力がどれほど効率的になり、どれほど有意義になるのか、言わずもがなである。さらに、こういった『魔獣』というものが存在する以上、身を守ることのできる要素はいくらあっても無駄ではない。そういった要因が組み合わさって、『宝珠』の価値は非常に高いのだ。
「これ一つでどれくらいになるかなぁ? あまり戦いたくはないけど、お金にならなかったら意味がないからな~。さて、どうしよう?」
日向はとりあえずトテポの入っていた布袋に『宝珠』を詰めて、どうしようかと考える。そして、危険は突然襲い掛かった。
シャァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!
先ほど何度も聞いていた『ゴブリン』の呻き声が日向を囲むように幾度もこだまする。その輪唱が間違いなく、ゴブリンが一匹ではないということを証明していた。
「……ちょっと、待って。これは色々とやばそうじゃない、かな?」
日向の嫌な予感は見事に的中していた。草花の影に隠れていた『ゴブリン』の群れは一匹の同胞の死をもって、一斉に姿を現す。まるでそれは、同胞を殺した敵に復讐するかの如き人間らしさを感じさせていた。
日向を円状に囲んだ『ゴブリン』の群れは容赦なく、躊躇なく、日向に肉薄する。
「いよいよまずい。どうしたら……」
日向は『ゴブリン』の接近に頭を回す。正直、何も解答は見えてこなかった。質で劣った自分が量で押してくる『ゴブリン』に勝ち目などなかったからだ。
ディルエールでは魔獣の強さに応じてランク付けされている。一体のみであれば最低ランクである1である『ゴブリン』も、現在進行形で日向に襲い掛かる10体以上になれば、ランクが一つ上がる。現在の日向の実力から考えても、これは非常に危険だった。
(何か、何かあるはずだ。起死回生の何か、が)
そんな思いも虚しく日向に容赦なく接近した『ゴブリン』は魔獣の武器の小刀を日向に向けて、襲撃する。
――瞬間、日向の剣が煌々たる光を放つ。と、同時。美しい少女の叫びが、戦場に鳴り響いた。
「六花の氷槍!」
日向を囲む『ゴブリン』の群れを的確に、正確に、凍える氷柱の槍が貫き、駆逐していく。声の主の方へと日向が向くと、そこには美しい白雪の髪をした少女が立っていた。
「えっ、嘘。あれは……」
日向は瞠目した。彼女の力以上にその美しい顔立ちと華奢な体つきに。
「氷雨、ちゃん?」
日向はそう呟いていた。