星空の下の約束2
「名前がない? だって、君にはアイシアって名が……」
アイシアの発した矛盾の言葉に日向は取り乱したように言い繕う。けど、アイシアは首を横に振った。
「確かに私の名前はアイシアよ。……けれど、彼らは……他の『疎外の紅眼』達は違うの」
「それは、どういう?」
「生まれた時に呪いをかけられると言ったでしょ。それには、まだ続きがある。……生まれた瞬間に、『疎外の紅眼』を生んだ両親は人生の命運をかけるような選択を迫られる」
「……命運をかけた選択?」
アイシアは日向の相槌に首を縦に振って応える。
「『疎外の紅眼』を生んだ両親は子供の名前を剥奪し、人権を放棄して、ディルエールに安全に住み続けるか、親から名前を受け継がせる代わりに国から追放あるいは死をもって、罪として罰せられるか、その二択を迫られる」
その選択はどちらも全く容赦なく、過酷な運命を辿らせるものだった。
『疎外の紅眼』は唐突に生まれる。何の前触れもなく、突然。親の遺伝子や家系などは一切関係ない。それは突然変異に近いものである。
そんな少年少女が見つかった瞬間、それを生んだ親は一度国に捕縛され、拷問じみた追及によって自白を強要させる。そして、全てを認めた父と母に究極の二択が迫られるのだ。
自分の命あるいはディルエールの権利を取るか、あるいは大切な子供の名前だけを残し、国にいられなくなるか。その二択を。
この選択の暴論はどちらを選んでも、『疎外の紅眼』の安全を保障することはできないということだ。生まれた瞬間に人権など剥奪されている『疎外の紅眼』にはディルエールにいることすら端からできないと決まっているのだ。
「……無茶苦茶だよ。そんな選択を強要するなんて」
日向は憤激した。日本ではありえないというより、人として考えられない行動・思想の数々。そんな、ディルエールのあり方に自分の怠惰を重ねて、憤激した。
「……選択と言っているけれど、ほとんど一択のようなもの。日向、わかる?」
日向は頷いた。それくらい、誰でも答えられる問題だと、怒りに震えながら。
実際のところ、自らの安全を取る方が圧倒的に多かった。自らの名前を残したところで、『疎外の紅眼』に安寧は未来永劫訪れることなどない。ならば、子供よりも自分の幸せを取るべきだと、そんな観念に皆押さえつけられてしまうのだ。
そこに良心の呵責による迷いはあるものの結局諦めるという結論に至ってしまう。『疎外の紅眼』の両親もそんなことをしてしまった自分に、ディルエールでのうのうと生きている自分に、『疎外の紅眼』である我が子に何もしてあげられない自分に、ずっと苦しめ続けられるのだ。
そして、残された方も当然苦痛を与えられる。
名前も、人権も、全て剥奪させられて、呪いによって『義務』を強いられるのだ。
「……だとしたら、本当の名前がない『彼ら』の今の名前は?」
「そう、仮の名前。私達がともに決めた仮の名前……」
告げられた真実、日向を信じたからこそ伝えた真実だった。
「ルークも、レナも、マロンも、私達が家族であれるようにつけた名前。これからも、短くても一緒に生きられるように懸命に考えた名前なの」
アイシアは感慨深そうにそう語った。そして、どこか寂しそうに顔を曇らせた。
「でも、私は違う。私の両親は違った。私のために自ら国から追放を望んで、名前を託した。『アイシア・フローレンス』それが私の名前。私の苗字。確固たる私の両親が残してくれた誇らしい名前。……けれど、今となっては申し訳もなく思ってる。両親にも、皆にも」
そうアイシアは異端者だった。『疎外の紅眼』の中でも。特別だから……だからこそ、アイシアは辛くも感じていた。両親をどこか知らない場所に行かせてしまったことに、名前のない彼らと差ができてしまったことに。
「あなたは……日向はどう思う?」
アイシアの問いかけに日向は最大限の笑顔で応えた。
「『アイシア・フローレンス』とてもいい名前だよ。そんな名前を受け継げた君は本当に幸せだよ。確かにルークさん達に負い目を感じるのはわかる。でも、受け継いだものが誇らしいものなんだったら、大切なものだったら、しっかりとそれを喜んであげなきゃ。そうしてあげることが、君の両親にも、ルークさん達にもきっといいことなんだと僕は思うんだ。だから、今はそれをしっかりと受け止めてあげよう」
必死にもがいて足掻いて考えた日向なりの思いだった。
「……そんなことを言ってくれる人なんて、誰もいなかった。あなたに会えたことは本当に幸せなのかもしれない……わね」
アイシアは笑っていた。こんなに自然に笑えたのはいつの日以来かと、思うほどに。
「僕も、何ができるかわからないけれど、とにかく強くなって、君達に何かできるようになるから。だから、今は笑っていよう」
「あら、随分と傲慢なことを言うわね。私達みたいな強さに慣れると思っているの?」
クスリと笑って、アイシアは問いかける。
「……なれないだろうね。地の力がそもそも違うから。けど、僕ができる最大限まで強くなるつもりだよ。君達を守れるくらいまでは、強く」
それは、単なる台詞であって、そして、誓いのようであった。アイシア一人のためと言ったら……それは、間違いだけれど、アイシアに何かすることが彼の言う氷雨のためになるこだと信じて、自分の心の中心に立てた誓いであった。
「なら、日向にお願いを一つ」
人差し指を一本立てて、アイシアは日向に願う。
「この景色を何も考えずに、ただのほほんと見ることができるようにしてほしい」
立てた人差し指を頭上に掲げて、空を仰ぎ見る。都会の光源などないこの世界、しかもディルエールから少しばかり離れたこの場所からは星々は美しく輝いていた。
一等星のような光量の強い青や赤の星やその周りを囲む煌めく星たち。それらを繋ぎ合わせようとしても、地球のそれとは違うから思うように星座は完成しない。でも、その満天の星々の美しさは地球で見るそれと何ら変わりはなかった。
「確かに絶景だ。君が望むなら、僕はいつどんな場所であろうとこの景色を見ることのできるようにするから。だから、それまでは生きていて。死んでは意味がない。だから、生きていてくれ」
それは、懇願だった。いつの間にか左目に映っていた彼女の残りの命の灯。以前、ほんの少しだけ見た時より、その値はずっと減っていた。
——D10。
アイシアに残されていたのはそれだけの命。だから、日向は彼女に懇願した。もう少しだけ、待っていてくれと。僕は何もまだできていないのだから、と。
「……ええ。あなたがそう望むなら、善処するわ」
アイシアは日向の言葉をしっかりと胸で受け止めて、そして答えた。微笑を浮かべて。
星々に照らされた腰にまで伸びた白雪のような髪は幻想的に輝いていて、その光は二人の『約束』の言質のようであった。




