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第五話 非現実な襲撃事件

 昼食後。絶品の珈琲を味わう。この雰囲気溢れるカフェで、目の前には現実を喪失するレベルの美人、左隣にはちょっと性格はキツイけど委員長風の美少女。……おいおい、僕の生活はどうなっているんだ? 最高に贅沢な時間じゃないか。思わず自分が大学院で学生生活を送っている事を忘れてしまう。この異空間は危険だ。僕の喫緊(きっきん)の課題は研究テーマを見つけることだ。流されちゃいけない。


「さて、私は自室に戻るが何か質問はあるかね?」


 本当は景織子さんには聞きたいことが山ほどある。でもこれは個人的な興味だ。研究や学業のこととは関係ない。でも……


「じゃあ一つだけ。景織子さんは本当に電磁波アレルギーで外に出られないんですか?」

「プッ」


 岩倉さんが僕の質問を聞いて噴き出していた。そんなにおかしな質問だったかな。うーん……


「瑞流君、そんなアレルギーあるはずないじゃない。私達から研究室の情報が漏れないようにするためのウソよ」

「どうして?」

「……鈍いわね。変な噂が立ったらやりにくくなるからに決まってるじゃない」


 あっ! そういうことか。スマホや個人用パソコンを取り上げるための口実だったのか。確かにあの怪しげなジャーナリストのような奴らが群がってきたら研究がやりにくい。この大学は新聞やテレビ、ネットでもいろいろ書かれている。


 特に学術棟は目立つ存在だ。あらぬ報道をされて研究発表を妨害されたり、不当な評価をされるよう仕組まれたりするかもしれない。世間を味方にしなけりゃ研究成果も活かせないもんな……。景織子さんはそこまで考えていたんだ。ということは出不精なのは単なる方便ってことで、実際はアレルギーでも何でもないんだな。


 景織子さんは片目をつぶって首を傾け、「参った参った」とばかりに表情をくしゃっとさせた。こういう何気ない仕草も美人がやると目の保養になる……ああ、今日は良い日だ。


「すまんな、学生君。電磁波アレルギーは嘘だが、外に出られないのは本当だ」

「なぜですか?」

「私は皮膚が弱いんだ。陽の光が苦手なんだ」

「陽光アレルギーね。アルビノの人達なんかがよくニュースになるわ」

「私はアルビノではないがね、生まれつきメラニン色素が薄くて生成もされ難いらしい。だから私が出られるのは夜だけなんだ。本音をいうとなるべく外出は控えたい」

「……すみません、プライベートな事を聞いてしまって」

「いや、いずれ学生諸君には話しておかなきゃと思っていたしな」


 美人教官が出不精な理由(わけ)。それは意外な理由だった。そしてあっさりと解決してしまった―――


 ――― かのように思ったけれど、実はこれこそが偽理由(フェイク)で本当の理由はもっともっと深いところにあった。僕がそれを知るにはもう少し時間が必要だった。


 僕は岩倉さんと論文の話をし、彼女の研究内容を聞いた。……まぁもちろん僕の方は素人だったので、小学生にもわかるレベルまでかみ砕いて話をしてもらった。その点、実に岩倉さんは説明が上手だった。おかげですっかり話し込んで、気が付いたら辺りは夕闇に包まれ始めていた。


「あっ、いけね。そういえば自転車のライト壊れてたんだっけ。早く帰らなきゃ」

「あらそう、大変ね。あたしはまだ少し論文を整理していくから」

「わかった。じゃあまた来週!」


 僕は慌ててカバンを抱えて学術棟を出た。キャンパスの周りは田園地帯。街の灯はもちろん街路灯もない。つまり夜になったら真っ暗だ。ライトがあっても自転車で走るのは危ない。せめて主要な歩道に街路灯くらいは設置して欲しい。せっかくこれだけ大きな大学ができたんだから、市の方でも少しは考えて欲しいよな。


 まだかろうじて道路が見える。夜の(とばり)が降りないうちに家に帰ろう。自転車を速めに走らせる。息が切れる。やっぱり運動不足かもしれない。最近スポーツしてないからなぁ。


 路肩を走っていると車が後ろからやって来て、僕の進路を塞ぐように止まった。ここは田園地帯の真っ只中だ。店も人家もない。他には僕しかいない。明らかに用があるのは僕にだろう。道にでも迷ったのかな? とりあえず自転車から降りて(バン)へと近づいた。


 すると助手席側のドアが開いて、僕と同じくらいの身長の男が降りてきた。夕暮れ時だというのにサングラスをかけている。そして全身黒ずくめの服装。靴までもが黒い。田舎じゃ怪しすぎて逆に目立つと思う。それに、そっちの筋の人だと思われても仕方がないほど見事なパンチパーマだ。正直、怖いな。


「あのーどうかされたんですか? 道にでも迷ったんですか?」

「おまえ……常盤井の所の学生か?」

「え? ええ、そうですけど……」


 あれ? こんなやり取りちょっと前にもしたような。もしかしてこの怖い人もジャーナリスト?


「ジャーナリストか新聞記者ですか? だとしたら何も話すことはありませんよ。失礼します」


 そういって僕は自転車に跨ろうとした。すると今度は運転席の方から誰か降りてきた。小柄な女性だ。暗くて顔はよく見えないけれど雰囲気は僕よりも若い。まだ少女の面影が残っているから、高校生か大学入学したばかりってところだ。でも車を運転してたんだから十八歳は超えているはずだ。


 その彼女が僕の自転車を掴んだ。動けないようにしている。


「あたいらはジャーナリストでもなけりゃあ、新聞記者でもないんだよねぇ」

「じゃあ何なんですか? 何か用ですか?」

「うるさい小僧だ。ちょっと黙らせるか」


 僕はこの時、想像以上の危険にまきこまれている事に気が付いていなかった。だけどトラブルの香りだけはプンプンしている。早く逃げなければ。僕の防衛本能が猛烈な勢いで警告音を鳴らしている。


 サングラスの男が拳を握って僕の方へ近づいてきた。次に何が起きるか予測できない方がおかしい!


 男は僕の正面に立つとパンチを浴びせてきた。素人のパンチじゃない。腰の入った速く重い一撃だ。狙いは顔じゃなく腹だった。とっさに顔を(かば)ったせいで綺麗にもらってしまった。腹に激痛が走る。メキメキと骨が(きし)む音がした。苦しすぎて立っていられない。農道の路肩に倒れ込むと気が遠くなっていった。吐きそうだ。


「最初から大人しくしておけばいいものを」

「コイツ、どうする? 人質にしてもいいって命令だったし、とりあえず連れて行こうっか?」

「そうだな。本部に監禁しておくか」


 薄れ行く意識の中で僕は二人の会話をしっかり聞いていた。”監禁”だって?! 冗談じゃない!!! コイツらジャーナリストじゃない。いくらネタが欲しいからって、拉致監禁までするなんて普通じゃない。クソッ、ここで意識を失ったら僕は終わりかもしれない。もうあの景織子さんとも話ができなくなってしまう。


 景織子さんの顔を思い浮かべながら、僕は何とか意識を保っていた。しばらくすると痛みで逆に頭が冴えてきた。意識を失ったフリをして、隙を見て逃げ出す。幸い周囲は暗い。田んぼの中に身を潜めながらスマホで警察を呼べばいい。


 地面に転がっていた僕をサングラスの男が抱えている。車に乗せるつもりのようだ。それにしても凄い腕力だ。薄目を開けてちらりと見ると、岩のような拳には大きなタコができている。間違いなく格闘技経験者だろう。不意を突いたところで、まともに戦ったら敵うわけがない。やはりここは逃げの一手だ。


 僕は男の手を必死で振りほどき、全力で田んぼの方へ走り出した。捕まったら終わりだ! 運よく田んぼにはまだ水が張られていない。堅い地面がある。よし、これなら闇に紛れることができるぞ。脇腹の痛みに耐えながら必死で足を動かす。怖い。脚を前に出すたびに恐怖が募る。


 ふと後ろを見ると、二人は微動だにしていない。――― どうして追ってこないんだ?!


「おい城之内、逃がすんじゃないぞ!」

「はーい。わかってますって」


 のん気な会話が聞こえてきた。ぐんぐん奴らとの距離が開く。この距離まで離せば、地理に明るい僕には逃げ切る自信がある。


 よし! スマホで警察に110番…… あっ! ここまで逃げておいて絶望感に包まれた。というのも、肝心のスマホを研究室のチェストに忘れてきてしまったからだ。恨みますよ、景織子さん。


 でもここまで離せば何とかなるだろう。辺りはどんどん暗くなっている。逃げる側の僕が圧倒的に有利だ。


 息を切らせて走り続ける。こういう時、本当に運動不足なのを後悔するよ。田んぼを抜けて反対側の農道に出る。人家のある方へ走ると前方に灯かりが見えてきた。車が止まっている。この辺りの農家の人だろうか? 助けを呼んでもらおう!


 車に近づいて声をかける。


「すみません! 警察を呼んでもらえませんか?」


 声をかけてみて背筋が凍った。今まで生きてきて、恐怖というものをこれほどリアルに感じたことはなかった。そう、全力で逃げて辿り着いたのは、僕を誘拐しようとした二人組の車の前だった。


 一体何がどうなってるんだ!? 方向感覚がおかしくなって、僕はグルリと回って戻ってきてしまったのか?!


「おっつかれさーん」


 小柄な女がのん気に声を掛けてきた。サングラスの男の方は、車に寄りかかってタバコを吸っている。逃げる僕を捕まえるそぶりなんてまったく見せてない。


「くそっ!」


 僕はまた田んぼの方へと全力疾走した。あばら骨が(きし)む。今は痛みを感じている暇すらない。それほどまでに気が動転している。いや、落ち着け。大丈夫だ。方向は間違ってない。ちゃんとあいつ等から離れる方向へ逃げている。


 スピードを上げて田んぼの土手を駆け上がり、あぜ道を抜けて反対側の農道へ出る。


「はぁ、はぁ、はぁ……逃げ切ったか」


 と呟いて顔を上げてみると、そこはまた車の停まっている農道だった。


「おーい、まだランニングする気ぃ? まぁいいけどさ。好きなだけ走ってみたらぁ」


 あり得ない! 恐怖のあまり僕は頭がおかしくなってしまったのだろうか?


「おい、城之内。あまり時間がない。さっさとこいつを連れて行くぞ」


 サングラスの男がタバコを投げ捨てて言った。黒いジャケットを脱ぎ捨てている。やる気だ。牽制攻撃だったさっきとは違う。本気で僕を痛めつけるつもりだ。


 恐怖で足が動かなくなった僕に、ゆっくりとサングラスの男が近づいて来る。


 まずい、まずい、まずい、まずいっ!!!


 次の瞬間、僕は顔に火のような熱さを感じていた。その後に激痛。パンチかキックか。どうやら男の攻撃を顔に受けてしまったみたいだ。ぬるりと鼻から血が垂れる感覚がある。途端に口の中が鉄臭くなる。だけど痛みはない。というか痛みを感じる回路が恐怖と驚きで麻痺してしまっている。段々、自分がやられているという現実感すらなくなってくる。


「耐えたか。ならもう一発だな」


 男はまだ僕を痛めつけるつもりらしい。このままじゃ殺されてしまう!


「おいおい……私の学生に手を出すとは身の程知らずな奴らだな」


 その時、ちょっと鼻にかかるクールな声が聞こえた。山の稜線を照らす残光をバックに、場の空気を一変させる神秘的なシルエットがそこにあった。途端に僕は安心感に包まれた。影だけでも十分わかる。景織子さんだ。


「学生君、すまなかったな。私のせいで君を危険な目に遭わせてしまった」

「き、景織子さん、……どうしてここに?」

「君がスマホを忘れたことに有紀が気付いてな。少し心配になって追いかけてみたんだ」


 景織子さんはいつもの優しい口調で話す。クールだけど温かい気持ちにさせてくれるこの心地良い声。いつまでも聞いていたい。だけど景織子さんは警察を呼んでいるんだろうか? 来てくれたのは嬉しいけれど、このままじゃあのサングラス男にやられてしまう。アイツは格闘技経験者だ。二人揃って誘拐されてしまったら元も子もない。


 僕の顔に景織子さんはそっと触れてきた。


「ひどい怪我だ。少しだけ時間をくれ。直ぐにカタをつける」


 肋骨も痛いけど、熱さしか感じなかった顔面もだんだん痛さを感じるようになってきた。正直、むちゃくちゃ痛い。段々と痛みの恐怖が襲ってくる。


「まさか常盤井 景織子本人が出てくるとはな……よほどその学生が大切らしいな」


 サングラス男がぼそりという。


西塔(さいとう)さぁん、どうする?」

「撤退する。相手はドクターだ。敵うわけがない」

「そぉ? あたいは一度手合せ願いたいんだけどねぇ。ドクターがどんなもんかねぇ」

「城之内、止めておけ。命がなくなるぞ」


 西塔と呼ばれているサングラス男と口の悪い小柄女の意見が割れているらしい。それにしてもドクターって何だ? そりゃあもちろん景織子さんは大学教官だから博士号(ドクター)だけど……。


「城之内、とか言ったな。おまえ学士(バチェラー)か?」

「はじめましてぇ、常盤井お嬢さま。バチェラー見習いの城之内でぇ~す」

「貴様、空間歪曲(くうかんわいきょく)の原理原則を使ったな?」

「さすが常盤井センセ。もうわかっちゃったの?」


 空間歪曲? 原理原則? 一体何のことだ? 会話の内容がさっぱり理解できないぞ。


「私と力比べしたいなどと思わない方がいい」

「ふふん、ドクターの実力とやらを見せてもらおうかしらぁ!」


 小柄女が景織子さんに向かって正対している。目付きが好戦的だ。逆にサングラス男の方は身じろぎ一つしていない。さっきまでの殺気や勢いはまったくない。


 ―――パチン。


 景織子さんが親指と中指を合わせて軽く指を鳴らした。こんな時に指パッチン?! 何をしようとしているんだ?


 小柄女の方を見ると、さっきまでの余裕顔が変貌していた。恐怖が顔面に貼り付いている。まるで動く死人(ゾンビ)を見てしまったかのような……そんな表情だ。


 次の瞬間、僕は自分の目を疑った。きっと小柄女と同じ表情をしていると思う。


 二人組が乗ってきた車が消えていた。今の今まであったはずなのに、景織子さんが指を鳴らしたと思ったら綺麗さっぱりなくなっていた。まるで最初からそこには何もなかったかのように……。


「空間の原理原則というのはこういう風に使う。使ったら勝負は一瞬だ。分かったか未熟なバチェラー見習い」

「て、てめぇ……!」

「城之内、相手が悪すぎる。さっさと逃げるぞ!」


 その台詞を聞いて景織子さんは半身の姿勢になった。右手を前に出すと、何もない空間を掴むような仕草をした。


「私の学生を散々痛めつけておいて、逃げられると思うのか?」


 すると今度は消えたはずの車が、暴力二人組の頭上から降ってきた。そう、文字通り降ってきた。このままだと小柄女とサングラス男は車に潰されてしまう。


 まさにファンタジーか魔法の世界を見ているみたいだった。一度に起きた非現実的な光景に、僕は夢を見ているんだと思った。きっと本当の僕は、サングラス男に殴られた時に気を失っていて、今は夢を見ているんだ、と。


 ……だけど夢じゃない。この非現実的な光景こそが僕に突き付けられた現実だ。


 小柄女がチッと鋭く舌打ちして、掌をパンパンパンと三度叩いた。その後、サングラス男の背中に触ると車に押しつぶされる寸前、二人の姿が消失していた。瞬間移動(テレポーテーション)……そう表現するのが一番しっくりくる。景織子さんがファンタジーならあの二人組もファンタジーだ。


「逃げ足だけは一人前だな」


 僕と景織子さんの前には壊れた車が一台。ゆっくりとすべての風景が夜の帳に隠されていく。


「学生君、大丈夫か?! どれ、傷を見せてみろ」


 心地良い声が遠くなる。景織子さんの姿がどんどん見えなくなる。安心した途端に気が抜けて僕は視界が真っ暗になるのを感じた。


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