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第十六話 扉を開けし者

 頭が混乱している。何が起きたのかまだ認識できていない。半ば放心状態の僕を見て、景織子さんは大変だと思ったらしい。直ぐに例の客間のベッドに寝かせてくれた。メイドさんたちがやってきて、体についた涼音さんの血まで綺麗に拭いてくれた。真新しいシャツとズボンが用意されていたので、遠慮なく着替える。頭の中はぐちゃぐちゃしてるけど、少し気分は落ち着いてきた。でも何が起きたのかは全然理解できていない。


「落ち着き給え、学生君。ゆっくりでいい、話してくれ。何があったんだ?」

「旧市街地の方へ向かって歩いていたら紫の……パーカーの男が前から歩いて来たんです」

「うむ、それから?」

「突然涼音さんの左腕がなくなってました。あ、あれは一体?」


 あの光景を思い出して、僕は口の中が乾いて行くのを感じていた。


 ―――恐怖。


 そうだ、その感情で間違いない。


「未知なるものは誰でも怖い。それはおそらく空間操作系の原理原則を使ったんだ。涼音の左腕だけを別空間に飛ばしたんだ。キミのいうそのパーカーの男は哲学者だったんだろう」

「でも僕のせいで涼音さんはあんな酷い目に」

「いや、それはキミが気にする事じゃない。すべて私のせいだ。安易に使いなど頼むべきではなかった」

「涼音さんがたくさん血を流して倒れて……そして僕はあの火球の原理原則を使いました」

「それでどうなった?」

「青い……大きな火球が頭上に出ました」

「……」

 

 景織子さんは少し下を向くと深刻な表情をしていた。


「それを見たパーカーの男は怯えて逃げて行きました。僕はイメージを解いたんです。火球も重力も……で、でも、火球は男を追尾して、そして……火球が着弾して男は蒸発しました」


 蒸発する瞬間がフラッシュ・バックする。人が消える。嫌な感覚とか気持ちが悪いとかそういうものはない。ただ人を殺してしまったんだという罪悪感が重くのしかかる。今まで生きてきた平和で綺麗な世界から切り離された孤独感がある。


「僕は……人を殺しました」


 その言葉を口にした途端、僕の目からは涙が零れていた。恐怖と不安と罪悪感。これから僕はどんな罰を受けるのだろうか。あのパーカー男の家族から一生責め続けられるのだろうか。それとも死刑? 母さんや父さんには何て言えばいいんだろう。勘当されてしまうのだろうか。悪い想像だけが先走って体が震える。


 ガタガタと震える僕の体が、ふいに温かいものに包まれた。気が付けば僕は景織子さんに抱きしめられていた。


「済まなかった。いや、謝ってすまされる問題ではないな。責任は常盤井にある。キミを巻き込んで本当に申し訳ないと思っている。だからキミについては私が責任を持つ。安心してすべて任せるんだ」


 そういうと景織子さんは、さらに強く僕のことを抱きしめてくれた。彼女の温かい感触で、僕の中の恐怖と不安が一気に浄化されていくみたいだった。とにかく安心する。景織子さんの体温だからなのかわからないけど、人の体温(ぬくもり)は安心感をもたらしてくれる。


「キミは自分と涼音を守るために力を使った。正当防衛だよ」

「で、でも過剰防衛でした」

「だが殺されるところだったんだぞ、過剰ではない。適切だよ」

「だ、だけど警察に、い、いえ、裁判に……ほ、法律は」

「原理原則の世界に人間の法律は適用されない。キミを裁ける法律はない。それに証拠もない。警察も動きようがない」

「で、でも目撃証言があったら……」

「青い大きな火の玉が人間を蒸発させた、とでも言うのかい? そんな荒唐無稽な話、誰も信じないさ」

「そ、それはそうですけど……被害者の男性の家族からの訴えがあったら……」

「イデアの哲学者に限ってそれはない。自らの存在を公にするような行動は奴ら自身がさせないさ」

「そう、なんですか……」


 ずっと僕を抱きしめたまま話す景織子さん。耳元で聞く彼女の声はいつものクールでちょっと鼻にかかる風ではなく、もっと穏やかで温かいものだった。彼女が話すたびに耳にかかる息が少しくすぐったい。でもそれが心地いい。


「もしキミが法的な根拠がないと罪悪を感じるなら、明言しておくぞ。原理原則の使用は戦時と同じ扱いだ。法務省も認めている。もちろん表には出ない条項だが」

「戦時扱いって……」

「戦争で兵士が敵兵を殺しても殺人罪には問われないだろう? それと同じだ」


 驚いた。まさかそんな法律が裏で動いていたなんて。もちろん政界に強い繋がりを持つ常盤井家の力でそうなっているのかもしれないけど―――戦時扱い。逆にそうでもしないといけないくらい、原理原則は危険ってことか。そう理解した途端、ふっと僕の心が軽くなった。もちろん人殺しの罪は罪だけど、そこには人知を越えた事情があるんだ。


「それに奴らもこちらを攻撃してくるという事は、自分たちも反撃をくらう覚悟はできているということだ。パーカーの男もそのつもりで来ていたはずだ。キミが後悔することはない」

「わかりました……ありがとうございます」

「フフフ、もう震えは止まったな」


 そう言って景織子さんが僕を抱きしめる力を緩めた。今まで混乱していて気が回らなかったけど、あの景織子さんと僕は密着していたのか。一気に恥ずかしさと畏れ多さが込み上げてきた。しかも正面から抱き合っているので景織子さんの大きな胸が、思い切り僕に当たっている。その感触を僕の胸が全部受け止めている。これはあまりに幸せ過ぎる。この幸せも僕の罪にカウントされてしまうんじゃないだろうかと思った。緊張して心音が速く、そして大きくなっていく。


 景織子さんは僕の変化に気が付いたのか、抱きしめるのを止めてベッドから立ち上がった。


「それで……その後はどうなった?」

「涼音さんの傷を止血しようとして、でもできなくて混乱して……それで……気を失って夢を見ていました」

「どんな夢だ?」

「見渡す限りの青い草原に立っていました」

「……城、古城は現れなかったか?」

「はい、朽ち果てそうな古い城が建っていました」

「そこには誰かいなかったか?」

「いました。長い黒い髪の女性で、白いワンピースを着ていました。どことなく景織子さんに似てました」


 僕はストレートに夢のイメージを伝えた。すると景織子さんの表情がみるみる硬くなっていった。すごく深刻な顔をしている。僕は何かまずいことを言ったのだろうか?


「どんな話をした?」

「……扉を開けるか開けないか聞かれました。開ければ何かが変わるって。だから僕は涼音さんを助けたいと答えました。そしたら扉を開ける方を選択されました。実際には扉なんて一つもありませんでしたけどね」

「そうか」

「それで目を覚ましたら、涼音さんの左腕が元通りになっていました。これって原理原則の力が何か働いたってことなんでしょうか?」


 景織子さんが目に手を当てて考え込んでいる。もしかして凄くまずい事をしてしまったのだろうか? でも涼音さんは無傷で助かったんだ。たとえ景織子さんに怒られたとしても僕は満足している。


「扉を……扉を開いてしまったか」

「一体何なんですか、扉って」

「禁忌の扉だ。人が開いてはいけない原理原則の事をいう。たとえば“時間の扉”がある。これを開いた者は自在に時間を操ることができる。つまり因果律の操作だな。あったことがないことになってしまう。こんなものを使われてみろ、人間社会は確実に崩壊だ」

「扉はいくつあるんですか?」

「わかっているだけで二つある。今話した“時間の扉”と“生命の扉”だ。生命の扉は文字通り、命を自在に操ることができる。命を操るなど天に唾する神への反逆だ。神の御業を人が使ったら、人類は混乱の極みだよ。破滅まっしぐらだ」

「扉は誰でも開けられるんですか?」

「条件はわかっていない。だが原理原則にのめり込んだ者ほど開きやすいとは言われている。一度扉を開いた者だけがその原理原則を使うことができる。他の原理原則と違って、他人には真似できない力になる」

「もしかして、僕はその扉を開いてしまったんでしょうか?」

「そうだな……状況から察するにキミは生命の扉を開いたようだ。斬り落とされた涼音の腕が完治していたのだからな」

「僕はどうなるんでしょうか?」

「扉を開いたところで、意図して発現させられるものではない。当面は気にする必要はない、安心したまえ」

「他に扉を開いた哲学者はいないんですか?」

「私が知っているだけで三人いる。キミは四人目だ」


 少しほっとした。初めてのケースなんて言われたら不安で仕方がない。そんな大層な扉を開いたなんて感覚はまったくないけれど。


「ちなみにどなたですか?」

「一人目はアイツだ」

「り、理事長先生が!?」

「アイツの場合はキミとは違う。故意に扉を開いたんだ」

「何か目的があったんですね?」

「その話は別の機会にしよう」


 理事長先生の話しが出ると景織子さんはいつだって後回しにする。というかはぐらかされているんだと思うけど、やっぱり根深い何かがあるんだろうか。


「二人目はイデアのトップだ」

「まさか……そんな!」

「マリヤ=アントワーヌ=エリザベート。彼女は時間の扉を開いた唯一の人間だ。だが、意図的な発現の仕方がわかっていない。そのヒントを他の原理原則の書に求めている」

「……だからここを狙ってくるんですね」

「その通りだ。明日にでも話そうと思っていたんだ。順番が逆になってしまってすまなかった。まさか奴らがこんなに早く動くとは思ってもいなかったんだ。私の認識が甘いせいで、またしてもキミを危険に晒してしまった」

「謝らないでください。これも僕が自ら選んだ道ですから」

「キミは強いな」

「そんなことはありませんよ。景織子さんに抱きしめられなきゃ、ブルブル震えちゃうくらいの臆病者です。アハハ、情けない」

「……フフフ。私に抱きしめられるくらいで不安が和らぐならいつでも言ってくれ。お安い御用だ」


 い、いや、そこを真面目にとられても困るんだけど。正直、普通の状態で景織子さんに抱きしめられたら、男女の関係を意識してしまう。景織子さんが許してくれるとは思わないけれど、きっと僕は自分を抑えられなくなるだろう。なんて妄想に耽っていたら、急に話が戻っていた。


「そして三人目だが、キミも知っている人物だ」

「誰ですか? もしかして景織子さん……とか?」

「私ではない。涼華だよ」

「涼華さんが!?」

「訓練中に一度だけ偶然にも扉を開いてしまったんだ。もちろんそれ以来、変な事は起きてはいないがね。涼華は見ての通りだ。普通に生活ができている。キミも心配はないと思う」


 そうか、涼華さんが……。僕の直接的な先輩ってことになるのか。今度話す機会があったらいろいろ聞いてみよう。


「そういえば僕の夢に出てきた白ワンピの女性ですけど、何だか景織子さんのことを知っていたみたいですよ。景織子さんによく似てたのと何か関係があるんですか?」

「すまない。今は話したくない。私の弱さを許してくれ」

「い、いえ、そんなつもりで質問したんじゃありません。ごめんなさい」

「謝るのは私の方だ。私にできることがあれば何でも遠慮なく言ってくれ」

「もう十分いろいろしてもらってます、大丈夫ですよ。でもあと二つだけ質問いいですか?」

「もちろんだ」

「僕が今回出した火球、あれは一体何だったんでしょうか?」

「原理原則の完全融合だ」

「完全融合?」


 話しがだいぶ複雑で長くなっていったので理解するまでに時間がかかったけれど、要するに複数の法則を別々に使うんじゃなくて一つの法則として使うと、あの自動追尾の火球のような現象が起きるらしい。僕はそれを無意識にやってしまったということだ。


「エネルギー系の法則と重力系の法則を複数展開して使うのはポピュラーだが、完全に融合させるのは高度な技だし、何よりも時間がかかる」

「……そうなんですか。わ、割とパパッとできちゃいましたけど……」

「この際だからハッキリ言っておこう。キミは原理原則に適正があり過ぎる。歴史上を見ても数百年に一人の逸材だよ」

「そ、それっていいこと、なんですよね?」

「それはわからない。良いともいえるし悪いともいえる」

「たとえば悪い面は?」

「キミの才能を狙って利権に塗れた連中が寄って来るだろうな。場合によっては家族や親戚、友人まで狙われかねない」


 ……なるほど。日本で平和ボケしてる僕にはピンとこなかったけど、人知を越えたパワーは金になる。ましてや原理原則を悪用すれば完全犯罪も簡単だ。暗殺、テロ、強盗……いくらでも使い道がある。


「だから原理原則のことは極力明かさない方がいい。たとえ肉親であってもな」

「わかりました」

「それと人前では極力使わない方がいい。緊急時は別だがね」

「もちろんです」


 景織子さんに釘を刺されてしまったが、僕は当然この原理原則を人前で使おうとか自慢しようなんてまったく思っていない。そんなお遊びやおチャラけで使うものじゃない。銃の引き金を引く以上の覚悟でいないと不幸な事故が起きる。


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