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第十五話 人間蒸発

 旧市街地の入口にさしかかった時、前から優しそうな顔の若者が歩いてきた。紫色のパーカーを着て、フードを目深に被っている。涼音さんの蛍光ピンクとまではいかないけれど、派手な色のパーカーは暗くなり始めた常陸太田市の街中でもそれなりに目立つ。


 ふいに涼音さんの足が止まった。紫パーカーの若者をじっと見ている。若者、といっても大学生くらいだと思うけど彼もこちらをじっと見ている。まさか派手な色同士で対抗心を燃やしたってわけじゃないよね。距離は三十メートルくらいだろうか。僕は彼に見覚えはないから、面識があるとしたら涼音さんの方か。


「どうしたんですか? お知り合いですか?」

「……今直ぐ景織子ちゃんに電話して」

「え?! なんでですか?」

「油断してた。もう敵の罠に嵌まってた。ボクとしたことが……。伏せて!!!」


 涼音さんはそう叫ぶと、庇うように僕にタックルしてきた。涼音さんに抱きつかれたまま二人とも地面に倒れる。突然でわからなかったけれど、もしかしてあの紫パーカーは“イデア”の連中なのか!?


「涼音さ……」


 僕の上に乗っている涼音さんを見て血の気が引いた。左肩から下がない! 鋭利な刃物で斬り落とされたように左腕全体が消失している。切断面からドバドバと血が溢れだしている。素人の僕が見てもはっきりわかる。出血多量で命が危うい! 一体どういう攻撃をされたんだ?!


「へへへ、ゴメン。ヘマしちった……ボクのことはいいから早く逃げて!!!」


 きっと涼音さん一人だったら攻撃をかわせたに違いない。僕のせいだ。僕の反応が遅れたせいで、涼音さんが大怪我を負ってしまったんだ。くそっ!


「早く止血しなきゃ!」

「だ、だからボクのことは置いて行っていいって……早く逃げないとヤツが来る、よ」

「置いて逃げられるわけないじゃないですか!!!」


 涼音さんは気を失ってしまった。これだけの出血だ、意識を保っていられなくなったんだろう。涼音さんのぐったりした姿を見て、僕の中で何かが切れる音がした。ブチブチと音を立てて理性の鎖が切れて行く。同時に恐怖が消える。目の前から近づいて来る紫パーカーに憎しみと殺意が芽生える。


――― よくも涼音さんを!!!


 涼音さんに大怪我をさせた。いや、このままだと死に至る負傷だ。このパーカー野郎は僕を狙っている。僕を殺した後、涼音さんにもとどめを刺すかもしれない。どちらにしても僕が死んだら涼音さんも死ぬ。だったら今直ぐパーカー野郎を斃して、涼音さんを急いで病院に連れて行かなければならない!


 僕の小さな火球程度で対抗できるとは思えないけど、とにかくやるしかない。そう覚悟した瞬間、途端に頭の中がクリアーになった。そう、まさに何もかもが綺麗さっぱり消されて真っ白になった感覚。これまでに味わった事がない。これが頭の中が真っ白になるってヤツだ。怒りと憎しみとが僕の理性を完全に切れさせたのかもしれない。タガが無くなった状態で、僕は火球のイメージをしていた。相手は原理原則の使い手だ。哲学者ならば容赦する必要はない。それに今は時間が惜しい。


 あの絵を強くイメージして左手を振りながら指を鳴らす。景織子さんと何度も訓練した通りだ。


――― パチン。 指が乾いた音を立てる。


 火球が出ない! どうして?! 一番出て欲しい時は今なのに!!! ちくしょう、やっぱり僕じゃダメなのか?


 目の前のパーカー野郎が口を開いた。


「い、お、お前それは……」


 ヤツの目線は僕の頭上に向かっている。僕も自分の頭の上を見て驚いた。……巨大な火球が浮いている。景織子さんが出していた火球よりもさらに一回り以上大きい。そして炎の色が青い。訓練で出した火球も景織子さんが出した火球も赤だったはず。


 熱さも凄まじい。今にも自分の髪の毛が焼けそうだ。何でこんな大きな火球が出てしまったんだ? 重力コントロールがまともにできていないし、空間制御もできないので火球の熱がダイレクトに放射されている。このままだと服も皮膚も焼け焦げてしまう。自分で出した火球で燃え死んでしまったらただの馬鹿だ。

 

 重力操作を加えながらなんとか火球を移動させる。ゆらりと火球は僕の頭の上から、パーカー野郎の頭上へと移動していった。


「ヒ、ヒィ」


 するとパーカー野郎は火球に怖気づいたのか、顔色を変えてクルリと(きびす)を返し、ダッシュで逃げ出した。よかった。これでヤツが逃げてくれれば、救急車を呼んで後は涼音さんを病院へ運ぶだけだ。


 火球は放っておけば地面に落ちて消えるはず。道路に大きな穴は開いてしまうかもしれないけれど、今は緊急事態だ。仕方がない。そう思ってイメージを解く―――が、火球が消えない! どうしてだ?! あの小さな火球は直ぐに落下して消えていたのに。いや……この青い火球、よく見れば勝手に動き出している。逃げ出したパーカー野郎を追尾するように凄まじい速度で移動を始めた。オイオイ、自動追尾なんて僕は知らないぞ!!! どうなってるんだ!


 完全に僕の意思に反して巨大火球は火力を保ったまま、ついに逃げ惑うパーカー野郎に着弾した。シュワっという音ともに、紫パーカーを着た彼が蒸発した。そう、燃えたんじゃなくて蒸発した。ハワイの山を流れる溶岩に垂らした水のように、一瞬で気体になって一人の人間が消えた。火球も同時に消失していた。


 ……え、あ、これって? 殺人じゃないのか? もしかして……僕は人を焼き殺してしまったのか?


「う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁっーーーーーー!!!」


 自分の口から出た音は言葉になっていなかった。恐怖とか歓喜とかそんなものがぐちゃぐちゃに入り混じって体を駆け巡っていた。


 いやでも……い、今は涼音さんだ! とにかく涼音さんを救う。それが一番やらなくちゃいけないことだ。僕が殺人犯だろうが極悪人だろうが関係ない。


 倒れている涼音さんを抱きかかえる。体から体温が失われつつあった。心臓に耳を当てる。心音が小さくなっているのがわかる。これじゃ救急車がきたところで間に合わないかもしれない!


 とにかく119番だ。画面をタップする指が震える。涼音さんの血が僕の指にもべっとりとついている。なんとか状況説明をし、大体の住所を告げてみるけど要領を得ない。電話先の担当者が悪いのか僕の説明が悪いのか。その間にも涼音さんの体はどんどん冷たくなっていく。同時に僕も自分の感情がおかしくなっているのを自覚していた。


 電話を切った後、涼音さんの心音は途絶えていた。それを確認した僕の頭は再び真っ白になった。どうしていいかわからない。責任感や罪悪感、やるせない気持ちがないまぜになって爆発してしまったかのようだった。実際は涼音さんを抱えたまま、しばらく放心状態だったんだと思う。いや錯乱状態かもしれない。その間、僕は不思議な夢を見ていた。


◇ ◇ ◇


 気が付いたら草原に立っていた。膝の高さくらいの緑の草が地平線まで茂っている。他に目に入るのは朽ちた古城だけ。古城の城門には白いワンピースを着た女性が立っている。風になびくその黒髪が凄く印象的だった。女性は景織子さんによく似ていた。上品な猫目が特に似ている。そのせいか、こんな非常時にもかかわらず僕の心は落ち着いていた。


「ここは何処ですか? 涼音さんは? そうだ、涼音さんを助けなきゃ……」

「いらっしゃい。ここへ人が来たのは何年ぶりかしら」

「あなたは誰ですか?」

「私は……そうね、わかりやすい表現をするなら門番かしらね」

「門番? この古城のですか?」

「そうよ」

「この城はもう朽ちていますよ。守る必要があるんでしょうか?」

「古城の向こうはイデア界。そしてお客さんは現象界からやってきた。ここは二つの世界の狭間」

「イデア界? 僕はそんなところに行きたいんじゃありません。早く涼音さんのところに戻らなきゃ。お願いです、元の場所に戻してください!」

「戻ってどうするのかしら?」

「戻って……涼音さんを病院へ……」


 そうだ。涼音さんの心音は止まっていた。いや、でも直ぐに蘇生処置をすればまだ助かるかもしれない。そう信じたい。


「あらっ? あなた匂いがするわね」

「えっ? ……匂いますか?」

 

 夢の中なのに匂うなんて。とはいえ言われれば気になる。スンスンと自分を匂ってみたけど特段臭くはないと思う。


「“人間のイデア”の匂いがするわ」

「何ですか、それ?」

「近くに私に似た人間はいないかしら?」

「……いますね。景織子さんのことでしょうか」

「景織子……そう名乗っているのね。ありがとう、あなたが関係者ってことがわかっただけで十分よ」


 人間のイデア。一体何を意味しているのだろうか。いや、そもそもこれは僕の妄想の産物だ。意味なんかないんだと思う。


「ここへ来た人には必ず聞くルールになっているの。あなたは扉を開けたい? それとも開けたくない?」

「開けるとどうなるんですか?」

「さぁ、それは開けてみないとわからないわ。でも何かが変わるのは確かね」


 そんなリスキーな扉、普通は開けないと思う。開けた瞬間、何かが飛び出して来て殺されてしまうかもしれないじゃないか。


「たとえば何が変わるんですか?」

「久々のお客様だもの、ちょっとだけヒントをあげようかしら。……たとえば、目の前で死にそうになっている人を救えるとか……かしら? フフフ」


 そうか。それなら開けるしかないよね。でも扉なんて目の前に一つもないんだけど……。


「開けるのね。わかったわ」


 白ワンピの女性がそういうと、僕の意識は夢から現実世界に引き戻された。


 正気に戻るとそこには涼音さんがいた。目を閉じて僕の膝の上に横たわっている。そうだ、涼音さんを抱えたまま気を失っていたんだな。ということは、彼女を救えなかったのか……。


「和彦ちゃん、ありがとう……」


 えっ?! 涼音さんの声がした。まさか生きている? 僕は恐る恐るもう一度膝の上を見てみた。涼音さんの左腕が戻っている! 何事もなかったかのように腕が生えている。でも確かに涼音さんの左腕はなくなっていたハズ。服にはべっとりと血がついている。左袖だけが少し離れた地面に落ちている。やっぱり夢や幻じゃなかった。そういえばあのパーカー野郎も僕が蒸発させてしまった。もう跡形もない。僕の虚言じゃないのかと言われても、誰も証明のしようがない。


「護衛役のボクの方が守られちゃったね、エヘヘ」

「そ、そんなことより体の方は大丈夫ですか?」

「うん、おかげさまで全然平気。無理させちゃったね……ゴメン。早く景織子ちゃんを呼ぼう」


 地面に落ちている血塗れのスマホを拾い上げ、景織子さんに電話をかけた。数分もすると涼華さんがメイド服のままGT-Rで飛ばしてやってきた。あの冷静な涼華さんが珍しく焦っている様子だった。僕らを回収すると学術棟に直行した。前回以上の加速にやっぱり首がもげそうになる。でもそのおかげで大学に着くまで余計なことを考えずに済んだ。


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