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第八話 対メイド戦闘ーークシィ戦

 ルッフィランテから庭に出ると、広間に案内された。

 ティータイムを優雅に過ごすような雰囲気だけど、ここが戦闘訓練の場らしい。言われてみると、芝生の耐久性が高そうだ。


 俺に相対しているのは門番をしている長身のメイドさん――クシィ・ポーズ。

 見守っているのはトマトとフィルシーさんだ。


「というわけで、鳥太様には普段このお仕事をこなしているクシィと戦っていただきます。クシィの戦闘力はCクラスの執事に匹敵しますので、敵わないと思ったらすぐにおっしゃってください。いつでも中断いたしますので」

「…………」


 覚悟が決まらないまま戦うことになってしまった。

 クシィは細やかな気配りや声のトーン、その一つ一つが優雅で繊細だ。

 せめてもっと格闘家っぽいメイドさんなら戦えたかもしれないけど、こんな上品なメイドさんが相手とは……。


「鳥太様、あのお仕事をご希望なさるとは勇気のあるお方ですね。お手合わせいただけで光栄に存じます。こうみえても私は戦闘訓練を受けていますので、遠慮なくお願いします」

「………………」


 たしかにこの世界は見た目と強さがイコールじゃないけど、メイドさん相手に遠慮なく戦うなんてのは無理な話だ。たとえメイド服を着たドラゴンが相手だとしても俺は躊躇する自信がある。

 そんな風に思っていると、フィルシーさんから真剣な眼差しを向けられた。


「鳥太様、クシィはAクラスですが、戦闘力に特化しています。ルッフィランテにおいては他のSクラスのメイドよりも強く、並の執事と互角以上に戦うことができます」


 クリーム色の瞳が、俺の内心を見抜いてるような鋭さを見せる。


「遠慮はいりません。というより、本気を出さなければ危険ですので、全力で戦ってください。そうでなければそもそも、このお仕事を鳥太様にお任せすることはできません」

「……はい」


 ここまで念を押すならクシィは相当強いんだろう。

 全力を出しても勝てるかどうかはわからないけど、どうにか戦いの形を作ってテストをクリアするしかなさそうだ。


 怪我をさせないようにする為には関節技が唯一使える技か……。いや、技術が必要とされる技は逆に危険だ。どうにかクシィを無力化させる為には…………背後から腕を取るとか?


「鳥太様!」


 考えをまとめようとしていると、明るい声が俺を呼んだ。トマトのへたみたいにはねた髪の毛がぴょこぴょこと揺れる。


「応援しています! クシィはとても強いですが、鳥太様ならきっと勝てます! 鳥太様はお優しいですけど遠慮はいりません。全力で戦って下さい!」

「わかった、ありがとな」


 ここまで言われたらやるしかない。

 この仕事を貰えばメイドさんを救うことができる。

 最善を尽くそう。


「いい目つきですね、鳥太様。少しは本気になっていただけたようでうれしく存じます」


 そう呟いたクシィの瞳はさきほどまでと変わり、殺気が漲っていた。

 こげ茶色の髪が風を受けて耳元で揺れる。


「ちなみに私は手を抜くことができません。メイドである私が強くなるためにしてきたことは、常に全力で戦うことでした。もしも少しでも不安がありましたら、いまからでもテストを中止にいたします」

「その必要はないよ、クシィ」

「そうですか。では、万が一怪我をしてしまった場合はうちにいる治療専門のメイドが全力でサポートいたしますので、ご安心ください」


 クシィはメイド服のエプロンを外し、丁寧に折りたたんでトマトに渡した。

 その流れるような動作は見る者を惹きつけるほどだ。

 無駄な肉のない手足の動き一つ一つが、クシィの戦闘力を暗示しているように見える。


「ふぅ」


 大きく吐いた吸が空気と混じり合う。

 フィルシーさんの瞳が俺とクシィに交わされる。


「準備はよろしいですね」

「「はい」」

「では…………始め」


 フィルシーさんが小さく手を合わせパチンと音が鳴り響くと、クシィはゆったりと動き始めた。

 一挙手一投足が円舞の始まりを彷彿とさせる。


 この洗練された動きを見る限り、クシィの戦闘力は明らかに俺が倒したチンピラ貴族などとは比べものにならない。


 茶色の瞳の奥に底知れない何かを感じる。


 俺の戦い方は脳内で体に指令を送るだけだ。

 殴ろうと思えば体が勝手に殴るし、攻撃を受けようと思えば受ける。

 いま俺がすべきことはクシィの実力を見誤らないこと――つまり『見』


 クシィは俺の思考とシンクロしているのか、慎重に間合いを詰めてきた。その歩幅や重心の動かし方が独特で、一歩一歩にある種の意図を感じる。


 端的に言えば、ただ歩いているだけなのに、素人目にも強さがわかる。


 これは……


 たとえ全力でやったとして、クシィに勝てるのか……


 不安が脳裏をかすめた瞬間、長身のメイドさんは音もなく動いた。


 先ほどまでの殺気がなく、まるで俺の肩についた埃でも取るような自然な動作。

 だからこそ直感した。


 ――――やられる


「…………っ!」


 気付くと俺は三メートルほど後退していた。


 一瞬見えたクシィの動作は打撃系の技じゃなかった。柔道や合気道の類、おそらく投げ技だ。


 攻撃が終わっても、クシィの視線は常に俺の首元に張り付いたまま、感情の揺らぎを見せていない。


 初撃によっておそらく俺の実力を測り始めている。

 弱ければ油断、強ければ恐怖、たとえ同格でもそれに応じた気の緩み、あるいは張りが本来なら現れるものだ。

 クシィはそれを表情の奥に隠している。


 精神的にも、強い。


 無数の戦闘経験がこのわずか数秒のやり取りからにじみ出ている。

 おそらく俺の力を正確に把握するまで自分の力量を悟らせず、じわじわと精神的な優位を作るつもりだ。


「…………っ」


 小さく吐いた俺の呼吸がクシィの拳を引き寄せた。


 油断とも呼べないほどの一瞬の間に、鋭い拳が音を立てる。


 パンッ……という破裂音は、拳が俺に触れたわけじゃない。揺れたメイド服の袖がクシィの腕を叩いた音だ。


 さきほどとは明らかに別種の技。投げ技のイメージを与えてからの打撃。

 かろうじて避けられたのは、クシィの動きを見極めようとせず、何が来てもいいように構えていたからだ。


 投げ技を警戒したらやられていた。

 逆に言えば、何が来てもいいという曖昧な構えで俺はクシィの攻撃を避けることができた。


 いまので把握した。勝とうと思えば勝てる。


 問題は…………。


 やはり、どう攻めるかということだ。

 負けることはない。けれど、勝ち方がわからない。


 クシィの綺麗な瞳がほんのわずかに色を変える。

 投げ技からの打撃がクシィの必勝パターンだったのだろう。


 両方初見で対応されたことで、クシィは新たな筋道を模索しているはずだ。


 そんな俺の油断した思考は再び、クシィの新たな攻撃を許した。

 ダンスを舞うような美しい蹴り。

 弧を描いていく足に付随し、はためくメイド服。


 スカートのような構造からして蹴り技は予想していなかったが、クシィのメイド服は足と適度な間隔を保ち、素早い動きに追いついていた。


 スカートが激しく揺らされてもふくらはぎ辺りまでしか見えない作り。これはメイド服であり、戦闘服だ。


 新種のメイド服への好奇心が、俺の集中を徐々に鈍らせていく。

 メイド服のバリエーションは熟知しているつもりだった。

 まだ知らないことがあったとは……。


 俺の集中力が削がれ、クシィの攻撃が徐々にリズムを掴んでいく。


 強い……。


 この戦闘中、何度目かわからない率直な感想が胸中に湧き上がる。

 おそらく肉体性能は完全に俺が上。にも関わらず、クシィは俺の心理的な隙まで読み取り、戦闘そのものを一つの台本として物語を構築している。


 クシィの勝利に向かう物語。

 それを掴む為のリズムが一つの打撃、一つの蹴り、一つのフェイントから生まれ、徐々に加速していくテンポに俺は巻き込まれていく。


 余裕で避けていたはずだったが、少しずつ足が後退し、クシィの手足が予想外の場所に出現してから辛うじて避けるようになっている。


『反撃』の二文字が脳内から消え去り、ひたすら反応だけで多彩な攻撃を躱し続ける。

 頭の隅に思考する余裕がない。


 避け続けることは可能だが、『ここからどうすれば勝てるのか』というヴィジョンが浮かばない。


 形振り構わず攻撃すれば、勝てるかもしれない。一発も当たっていないクシィの攻撃は殺傷力がない可能性もある。が、これだけ動き続けていても乱れないクシィのこげ茶色の髪、汗一つかいていない透き通るような肌、そして才能と美しさを兼ね備えた体術。


 これらを見せられて、反撃しようという気持ちは消え失せていた。

 この圧倒的な才能を、俺なんかが倒すことに、ためらいが生まれてしまった。


 女神から貰った力で、この純粋な力を越えてしまうことが、許されない行為に思える。


「…………っ」


 クシィが微かに疲労の色を見せた。その瞬間、


「もう、けっこうです」


 フィルシーさんの冷たい声が聞こえた。


 動きを止めたクシィは三歩下がって丁寧なお辞儀をし、トマトは悲しそうな目で俺を見つめている。



 失格……。



「鳥太様、残念ですが、結果は言うまでもないでしょう。これ以上続けてお怪我をさせてしまっても申し訳ありませんので、ここでテストは終了させていただきます」


 フィルシーさんは残念そうに呟いた。


「確かにクシィの攻撃を躱し続けるセンスは尊敬に値します。それほどの体術を使える方はそうそういません。三人を相手に戦い、トマトを助けて下さったというのは間違いなく真実なのでしょう。ですが」


 ああ、わかってる。


「避けるだけで精一杯では、このお仕事をお任せすることはできません。クシィですら手を焼いている仕事ですから、少なくともクシィと同等でなければ務まらないのです」


 フィルシーさんが呟いた言葉に、トマトは下唇を噛み、俯いた。


 その健気な姿にかける言葉はない。

 トマトにとって俺はヒーローみたいなものだったんだろう。

 悪人三人をやっつけた俺が、誰よりも強いと信じていたんだろう。

 けど、俺はその期待に応えることはできなかった。


 仕方ない。


 実際に俺はクシィの攻撃を避けることしかできず、クシィに攻撃する気持ちすらなかったんだから。


「わかりました、フィルシーさん、クシィ」



 ――ありがとうございました。



 そう続けようとしていた。が、



「待ってください」



 芯のある声が続きの言葉を遮った。


 エプロンを外し、黒いメイド服に身を包んだクシィは、俯いていたトマトよりも悔しそうな顔で、唇を震わせた。


「待ってください、フィルシーさん」


 途切れながら、溢れる何かを抑えるように、少しずつ言葉を絞り出している。


「鳥太様は、私より…………」


 その頬に一粒の滴が垂れた。


 ぽつり、ぽつり、とクシィの足元に、小さな水滴が零れ落ちていく。


 顔を上げたトマトは混乱した様子でクシィを見つめ、立ち上がったフィルシーさんは全てを察したように、静かなため息を空気に溶け込ませた。


「クシィ、わかりました。そういうことだったのですね」


 フィルシーさんは自分より少し背の高いメイドさんを包み込むように抱きしめながら、優しくその頭を撫でた。

 クシィは零れ落ちた涙を忘れるかのように、ゆっくり、ゆっくり深呼吸を重ねていた。


 噴水の音が庭に響き渡る。


 振り返ったフィルシーさんは眉毛を八の字に下げ、照れくさそうな顔をしていた。


「鳥太様、私の誤った判断で失礼なことを申し上げてしまいました。申し訳ありません」

「全然失礼なことなんて……。実際、俺は攻撃できなかったから」

「いえ、ですが、私の判断で、危うく鳥太様の実力を不当に評価してしまうところでした。ご無礼をお詫び申し上げます」


 フィルシーさんに深々と頭を下げられてしまった。

 クシィは涙を拭き取り、元の表情に戻った。


「鳥太様、取り乱したところをお見せしてしまい、申し訳ありませんでした。これまで誰より負けを重ねて強くなってきたつもりでしたが、まるで相手をしてもらえなかったのは初めてでした」

「いや、そんなことはない。俺は全力でやった。クシィの戦闘センスは、俺よりも上だった」


 思ったことをそのまま、口をつくように伝えていく。


「一つ一つの動きが洗練されてた。これまで強さを積み重ねてきたのがわかった。精神的な戦術に関しては、俺なんて相手にならなかった……だから」


 …………だから?


「え、えーと。その、よかったら戦闘の練習相手をしてくれないかな? クシィの強さも知って、俺は世界中のメイドを守れるくらい、強くなりたいんだ」


「……………」


 うっかり俺が漏らした図々しい言葉に、クシィもフィルシーさんも固まった。

 トマトは口にコッペパンでもつっこんでるような呆れ顔。


「…………あ、ごめん」


「ぷっ」


「……」

「ぷっ、ふふふ」


 長身のメイドさんは突然、口を抑えて笑い出した。


「えと、クシィ……?」

「鳥太様が、ぷっ、そんな無邪気なことをおっしゃるからです」

「無邪気……」

「メイドに相手をしてほしいだなんて、本当に面白いお方ですね。ですけれど」


 クシィはさっきまでの涙を吹き飛ばし、微笑んだ。


「私でよろしければ、喜んでお相手をさせていただきます」

「ありがとう。よろしくな、クシィ」


 庭に飛び回る蝶が黒いメイド服に不思議な色を添え、背の高いメイドさんは、いつものように洗練された動作で俺の手を握った。



「よろしくお願いします。鳥太様」




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