第六十三話 ミスリード
ディークは防御姿勢を取らず、代わりに拳を握った。
透剣、指鳴、変重、体の動きをトリガーとして発動するスキルなら以前にも見たことがある。
ディークは俺の打突を読み、防御系のスキルを発動しようとしている。
そう悟っても、攻撃のキャンセルは間に合わない。
手のひらがディークの腹部に伸び、艶やかな黒服の布地と手のひらが接触する。
ディークは拳を握りしめながら、冷気のような声を漏らした。
「反射壁」
全身に衝撃が走り、突き出していたはずの左手が後方へ捻じれ、バチッッッ! と音が耳に届いた。
背中が壁に叩きつけられ、崩れ落ちる。
トマトが駆け寄ってきながら、何か叫んでいる。けれど、その声は聞き取れない。
視界は雨に濡れたレンズを通しているかのようにぼやけ、いま起きた出来事を他人事のように思い返した。
必殺の威力を誇る打突。最後の切り札はディークの未知なるスキルに防がれ、衝撃を全て跳ね返された。左手・前腕・上腕・肩と貫いた振動は、おそらく打突の六割ほどの威力だろう。
さきほどいた場所から十メートルは吹き飛ばされている。
左手は…………。
肩から先の痺れた感覚を無視して、力を込めると、指先はピクリと動いた。感触は鈍いけれど、まだ拳は握れる。
ディークはもう勝負はついたとでも言うように、追撃しようとせず、冷たい目を携えたまま微かに眉を持ち上げた。
「私達と同じ器でメイドのスキルを使う君なら、私の常識を超えるかもしれない、そう思っていた。だが、結果はやはり真実しか示さない。メイドは執事に劣っている。君が今使用したスキルはどれも、執事のスキルで代用が可能だ」
「ふざけるな……まだ終わってない」
「ああ、君は伯爵だったな。スキルはあと一つか」
ここに来る前に防御壁を消費した。もう残っているスキルはない。
操作も、さっき意識を失いかけたせいで消えた。
けど、体が動く限りは戦える。
立ち上がり、ディークへ一歩踏み出す。
トマトは俺に手を伸ばし、引き留めたそうな表情で見上げた。けれど、俺がいつもの笑みを浮かべると、手を引き、力強い眼差しで頷く。
俺は、初めてトマトに嘘をついたのかもしれない。勝てると無言で宣言した。
本当は奇跡でも起こらない限り、勝てないことを悟っている。
ただ、諦めたくないという気持ちだけで、俺はディークへと向かう。
その歩みを、桜色の声が引き留めた。
「帰りましょう。わざわざ命を落とすことはありませんよ」
確かに、これ以上スキルもなく戦えば、死ぬ可能性はあるな。ディークが攻撃スキルを隠し持っているなら、俺は軌道を逸らすことも、威力を緩和することもできない。
「けど、まだ戦えるんだ。一%でも可能性が残ってるなら戦うしかない」
「言っている意味がわかりません……。それは勝てないという意味ではないのですか?」
相変わらずマイペースだ。言っていることは正しいけど…………
「リリア、勝てない相手から逃げるのは、守るべきものがないときだけだ。俺は逃げないよ」
いつ見ても変わらない、綺麗だけれど感情のない表情。パチリと瞬きをしても、どこか夢の中にいるような表情は変わらなかった。
それでも、ここから立ち去らないのは不思議だ。
桃色の瞳に背を向け、ディークへ向かう。
間合いに入らないように、ある程度の距離を保ちながら、慎重に歩みを進める。操作が切れた今、先ほどと同じ間合いでは戦えない。おそらくディークの半径六メートル以内までが危険区域…………
「無駄だ、葉風鳥太」
ディークの青い瞳が大きく見開かれた。
遠くを見るような目が、一直線に俺を捉える。
この距離で視操が届くのか……?
十メートル近く離れている。先ほどまでの戦闘から考えて、まだ射程距離には遠いはずだ。
しかし、体は硬直した。
「残念だったな。私は、五つのスキルで戦術を変化させながら戦う。今、二つの視点を重ね合わせ、射程距離を広げた。接近戦を放棄した時点で君の勝ち目はない。英雄と同じ道を辿れ」
その言葉で全てを察した。
ディークは防御を捨て、全視を攻撃に使用している。
望遠鏡と似たような原理。全視による視点とディーク本人の視点、レンズを重ねるように、二つを合わせ、視操の威力を強めたんだ。
ディークはスローモーションのように、ゆったりと右手を持ち上げる。
攻撃スキルが来る。わかっていても、体が万力で固定されたように重く、逃げることができない。
ディークの右手は幽霊を思わせるポーズを取り、その手首が上に逸らされる。
ピアノの鍵盤を弾くような形の指先が、手首のスナップと共に振り下ろされた。
ダンッッッッッッッッッッッ!
落雷を受けたような衝撃が、脳天からつま先まで走り、体は床に崩れ落ちた。
「同じ次元にいる者同士が戦えば、最後に立っているのは力の強い者だ。私の正義を超える答えを出せなかった君に、勝利の神は微笑まない」
「…………ふざ……けんな……」
うつ伏せの状態から床に手を突き、上体を起こす。体は震えるが、意識は飛んでない。まだやれる。
歯を食いしばり、むりやり足に力を籠める。
「もう終わりだ。それ以上歯向かうのであれば、君は今後、私を狙い続ける脅威となり得る。私はここで、君の命を取ることも厭わない」
ディークは再び手を翳した。
もう一発あれを食らえば、生きていられるかわからない。脳への衝撃が大きすぎる。
けど、片膝を立て、もう片方の足に力を込めている自分がいる。
俺はここで負けることを、受け入れられていない。
メイドさんを失うことを、受け入れられてはいない…………
「鳥太様っっっっ!」
バダンッッ! と激しくドアが開かれた音と共に、鋭い声が響いた。同時に、「チズッ!」と咎める声が数人分響く。
メイドさん達は、いつのまにか部屋の外まで来ていたようだ。俺の戦いを聞き届けようとしていたのか。
メイドさん達のざわめきが広がる。心配そうに俺の名を呼ぶ声と、先陣を切って部屋に乗り込んできたチズを咎める声だ。けれど、金色の髪は疾風のように、俺の目の前に飛び込んできた。
「ディーク・バシュラウド。鳥太様に変わって、私がお相手いたします」
チズは無謀にもそう言い放った。
その横には、無言で拳を握ったこげ茶色の髪のメイドさんもいる。いつも冷静な彼女まで……
「チズ、クシィ、下がってくれ………………」
ルッフィランテが誇る戦闘メイド二人は本気でディークと戦おうとしている。
もしも二人が倒され、負傷したら、俺が戦ってきた意味はすべて消える。俺はメイドさんを傷つけない為に戦ってきたんだ。
しかし俺の意思に反して、チズとクシィの横には、さらに数人のメイドさん達が並んだ。
戦闘用のメイド服。見たことのない顔。おそらく、ルッフィランテの外で働いていた戦闘メイド達だ。
ディークは目を細めただけで何も言わない。
メイドさん達は俺とディークの間に立ち、荒く呼吸を繰り返している。
その沈黙を、色づいた花のような声が破った。
「不思議な光景ですね……。ごめんなさい、少し気が変わりました」
一瞬、誰だかわからず、首をそちらへ向け、驚いた。
そこにはリリア・フィリヌスが、薄っすらと、不敵に微笑んでいた。
「どちらにも手を貸さないつもりでしたが、心が、そちらの方…………いえ、”葉風さん”の方へ傾いてしまいました。メイドは執事とは違う存在のようです。ですから、ごめんなさい、青目。私は、あなたと敵対しようと思います」
「最弱が…………自分の立場を忘れたのか。貴様はスキルを所持しているだけで、戦闘力は庶民と変わらない。唯一戦えるのは貴様の所持している執事一人。執事ごときで私に勝てるとでも思っているのか」
「いいえ、思っていませんよ」
ディークの目を真正面から見返し、リリアは飄々と言ってのけた。
ふわりとドレスチックなワンピースの裾を揺らし、俺に向き直る。
その唇が開き、白い歯が覗くと、予想外の言葉が紡がれた。
「チャンスをあげましょう。葉風さんが望むなら、もう一度初めの状態から、やり直すことができます」




