第五十九話 永(ミール)
戦況はおおよそ終息していた。
敵は中心となるミラナードを失ったことで戦力が激減し、こちらはリリアの強力な範囲スキルを惜しみなく執事に付与したことで優勢を維持している。このまま順調にいけば数分後には敵を完全に抑えられるだろう。
よく考えれば当然の結果かもしれない。
向こうは本命のディークが姿を現さず、スキルを付与した従者たちを送ってきただけだ。
それに対しこちらは、切り札のリリアが最前線で常にスキルを補充していた。百二十七つのストックは敵にしてみればチート以外の何物でもなかっただろう。さすがに世界の頂点は伊達じゃない。
それにスキルはまだ残っている。これで道は開けた。
「いよいよだな……」
トマトが目的地へと先導した。俺とリリア、白、バテラロの四人が後ろに続く。
ふと横を見ると、リリアの口角が微かに上がっている。お嬢様にとっては命がけの戦闘も“退屈しのぎ”なのだろう。
その分、側近の白が周囲に鋭い視線を送っている。端正な顔立ちで真面目そうな表情。先ほど狡猾な戦いで戦場を翻弄していた黒と対照的な印象がある。その黒は残党狩り中だ。
バテラロはミラナードに相当なダメージを受けていたが、闘志は衰えていないらしい。痛めた体を庇うような歩き方だが堂々とした表情だ。
そうしている内に目的の建物に辿り着いた。
闇で黒ずんだ建物の玄関だけがぼんやりと照らされている。訓練所と聞いて抱いていたイメージとは異なり、普通の屋敷のようだ。
「再確認いたします。ここから先、リリア様は一切戦闘に関与しません。私は道中のサポートはいたしますが、ディーク・バシュラウドとの戦闘に手を貸すことはありません。よろしいですね?」
「わかってる、もう十分助けられたよ。ここからは俺の戦いだ」
バテラロが物言いたげな眼差しをこちらへ寄越したが、フンと鼻を鳴らすにとどまった。こいつも喫茶ジルヴェスのオーナーからディークの討伐を託されてるんだったな。けど、相手は格上だ。戦えるというのならこの先の戦闘で示すしかない。それは俺も同じだが。
「では参りましょう」
白がどこぞの王子を彷彿とさせる白服から手を伸ばし、特殊スキル――氷結で発生させた薄い氷のような固形物をドアの隙間に押し込んだ。
水色のそれが肥大化し、ドアを押えていた鍵がミシミシと悲鳴をあげる。そしてドアの半分が水色に覆われたところで、ようやく留め具が壊れた。
普通の屋敷に比べると遥かに頑丈な木材だ。やはりここはディークの企みを実行する施設で間違いない。
中に入ると一直線の廊下には赤黒いアンディーク調の装飾が施されていた。
周囲を見渡しながら慎重に進む。部屋はない。そのまま突き当りの階段を上る。
階段の角でトマトを一歩下がらせ、先頭に立った。ディークに不意打ちをされる可能性はないと思うが、いつ戦闘になってもいいようにトマトの安全は常に意識しておく必要がある。ましてや今、俺は防御壁を消費済だ。ルッフィランテにみんながいないとわかったとき、不安になり、無意味にトマトへ付与してしまったのだ。
それでも、プラン上問題はない。
俺は加速を主軸とした短期決戦を企んでいる。スキルの数ではディークに劣っているので、性能での勝負だ。戦闘開始と同時に加速で接近し、防ぐのが難しい操作を付与。そして動きを制限したところに打突を叩き込む。
脳内で幾度となく繰り返してきたイメージを再び思い描きながら階段を上り切った。
左右に赤い扉がズラリと並んでいる。
「ここか……?」
「どうでしょう……。敵が潜んでいる可能性もありますね」
トマトが小声で答えた。
バテラロも渋い顔で廊下の先を顎で示す。
「ディークの討伐を優先するべきだ。メイドが閉じ込められているとしても、全ての部屋を開けている時間はない」
「それなら、一部屋だけ確かめる」
みんなが閉じ込められているなら一刻も早く助けたい。一秒でも、一瞬でも、彼女達が不安でいる時間を減らしたい。
バテラロはそれ以上何も言わなかった。
ひんやりとした六角形のドアノブに手をかけ、捩じるように力を入れる。
すると、意外にもそれはカタッと軽い音を鳴らし半回転した。
開いているということは…………
自由になっている左手を太ももに触れ、いつでも戦闘を始められるよう構える。そして大きく息を吸い、ゆっくりと開いた。
中にいた人物と目が合う。
こげ茶色の髪、寝間着のようなメイド服姿。ベッドから体を起こし、瞬時に立ち上がれるよう左足を床に付けているのは……
「クシィっ……!」
声を抑えることも忘れ、小さく叫んでいた。トマトも後ろから部屋を覗き込み、口を手で押さえる。
「鳥太様、トマト…………やっぱり、来てしまったのですね…………」
「クシィ、無事なのか⁉ みんなは……」
妙に静かだった。
クシィは長い瞬きを一つし、立ち上がった。
「全員無事この階にいます。ある程度の自由は保障されていますから、心配ありません。そして明日から私達は執事補助としての訓練を受けることになります」
「その前にあいつを止める」
「いいえ……」
クシィは言葉を選ぶように、視線を部屋の右隅に流した。
「私は誰よりも鳥太様の力を知っているつもりです。そして、鳥太様が諦めないこともわかっています。けれど……」
次の言葉は予想できた。
「ディークは強い。そんなことはわかってる。でも信じてくれ。俺は必ずみんなを助けるよ」
「鳥太様…………」
クシィの視線は背後の白にもバテラロにも向かわず、まっすぐこちらへ向けられている。
「私達はここに来てから、ディークのオリジナルスキルについて聞き出したのです。永、体の自由を失う代わりに、発動中のスキルが永続するというものです」
「永続ってまさか、持続時間が切れないってことか……?」
「はい。英雄が負けた理由はこれだと思います」
クシィはルッフィランテ最強の戦闘メイド。それも単純な戦闘力を売りにしているのではなく、観察眼、戦術、情報収集などに長けている。技術だけならおそらくリリアの側近にも劣らない。
「スキルは相乗効果を生み出す“組み合わせ”があります。例えば鳥太様の防御壁と加速を併用すれば肉体への負荷なく高速で動くことが可能ですよね」
「ああ、つまりディークは……」
「彼の持つ五十以上のスキルの中で、最も強力なスキルを軸に、攻防隙のない組み合わせを生み出しているはずです。それがどれほど強いかはおわかりだと思います……」
「……そりゃ英雄も勝てるはずがないな」
通常、俺達は戦況に応じて発動するスキルを選んでいく。当然、相応の判断力が必要になるし、スキルを付与するときに多少の隙も生じる。
永を使用した場合、開幕から切り札を発動することができる上、スキルを切り替える隙も生まれない。戦術の組み立ては容易になり、敵の戦術展開に全神経を注ぐことができる。
マックが圧倒的に不利だっただろう。ただでさえスキル消耗が激しい為、限られた手札をどう切るか、常に考えなければいけなかったはずだ。
確かに俺の勝ち目はないように思える。けれど、俺には守るべきものがある。戦わなければいけない理由がある。
「クシィ、それでも大丈夫だ。俺は必ず勝つよ」
口をついて出た言葉はこれだった。
勝てる保証はないけれど、勝ち目の薄い戦いは何度も経験している。死を覚悟したこともあった。
ここで負けたら俺は殺されるか、一生どこかに幽閉されるかわからない。
けれど、たとえ自分が死ぬ未来を見せられたとしても、俺は今からディークを倒しに行く。
俺は一瞬で殺されるかもしれないし、奇跡を起こせるかもしれない。
俺の真ん中にあるのはいつだって、メイドさんを好きな気持ちだけだ。
だから俺がクシィに言える言葉は、
「俺がメイドの価値を証明して、ルッフィランテを取り戻すよ」




