第五十二話 ”最弱”
「三人だけ……俺達しか呼んでないのか…………」
屋敷の中には百人以上の執事が配置されていて、目の前にいるリリア・フィリヌスは百二十七つのスキルを持っている。そして俺とトマトだけが招待された。もしもリリアが俺達に敵意を持っていたら…………。
――――ゾッ――――
漠然とした恐怖、死のイメージが脳裏を覆った。
これまでの戦闘経験から否応なく察してしまう。ここでリリアに刃を向けられたら、俺とトマトは……間違いなく死ぬ。この戦力差で勝てる可能性はゼロだ。
リリアの意図を探るように無感情な瞳と視線を交差させる。
リリアはグラスを近づけてきた。
薄いガラスがチンッと音を立て、内側の青い液体が小さく波を立てる。
落ち着け。リリアの目的はわからないが、上手くいけばディークやマックの情報を得られる。動揺でこの機会を無駄にするな。それに、俺はリリアより強いディーク・バシュラウドを止めると宣言した。本来なら今リリアと戦闘になっても突破できるほどの戦闘力が必要になる。
戦闘力の強化、情報収集、戦術、そういったもので戦力差を埋め、近い将来ディークと戦わなければならない。この程度で震えてたら話にならないんだ。
「Cheers」
リリアが口ずさんだ乾杯の合図と同時に、目を瞑り、静かな呼気を吐き出した。
揺れる青い液体を眺めてそっと喉に流し込む。少し落ち着いてきた。
「お料理もありますので、お好きなだけ召し上がってください。お飲み物も赤にご希望を伝えてくだされば、お好きなものをお持ちします」
「それじゃ……遠慮なく…………」
貝らしきものに緑色のソースがかかったクラッカーを口に運ぶ。まるで味はわからないけど、きっと高級な食べ物なんだろう。食感が上品だ。
リリアは俺をじっと見つめたまま、口を小さく開いた。
「英雄はシルフェントを脱退しました」
不意打ち気味に言われ、喉の奥にクラッカーが詰まる。
「ごっ、ちょっ…………な、なんでそんなことになった……」
「“青目”と“英雄”はシルフェントに属する権利をかけて決闘を行っていました。世間にはまだ公表されていませんが、敗北した“英雄”はもう政治に関わることはありません。このまま順調に進めば、“青目”が自由に世界のルールを決めます」
相槌すら出てこなかった。
これまで三人しかいなかったご主人様の中で、実質世界を動かしていた英雄マックが政治から退いた。つまり、残る対抗勢力は目の前にいるリリアのみ。彼女がもしもディークに敗北すれば、世界の頂点にはディークしかいなくなる。
リリアが俺を呼んだ理由がうっすらと見えてきた。
「早ければ明日には英雄の脱退が報じられ、世界は変わり始めるでしょう。“青目”が世界の王になることは避けられないと、すでに貴族の間では考えられています。けれど、“青目”を止められる可能性はゼロではありません」
やはり、頂点から世界を眺めているリリアには、俺に見えないものが見えている。
ディークがどれほど強いと言ってもスキルの数ではリリアが上回っているはずだし、戦闘経験の差を埋めれば勝機があるのかもしれない。
「リリア、あんたはディークと英雄の決闘を見たのか?」
「私は毎回パルミーレの会議に出席しているわけではありません。一昨日は決闘の結果や会議の決定事項だけ調べてくるよう執事に命じました」
それが例の、紫色の執事服を着たキツネ顔か。パルミーレに寄ったついでに俺とディークの会話を盗み聞きしていたんだ。まあそれはいい。
「それで、決闘を見て二人のスキルや戦闘スタイルはわかったのか?」
「“英雄”の決闘は私自身も見たことがありますから、元々知っていました。 “青目”についても大体わかります」
数十のスキルと世界に一つしかないオリジナルスキルのぶつかり合い、それがどのような戦いだったのか想像もつかない。けどおそらくリリアは勝機を見つけている。それがどれほど小さな光なのかはわからないが…………。
「“英雄”は無敵で、それを倒した“青目”は怪物。そんな風に勘違いされていますね? “英雄”にはその肩書に相応しい姿が投影されていますが、彼は世間が思っているほど無敵ではありません」
「無敵じゃなくたって、オリジナルスキルが……」
言いかけた俺を遮り、リリアはつまらなそうに言った。
「英雄のスキル――炎は、スキルの熱を圧縮する効果があります。それによってあらゆるスキルの威力を高めることができますが、威力を高めれば高めるほど効果の持続時間や発動回数が減少します。それが英雄の弱点です」
「それはつまり、長期戦に弱いってことか……?」
リリアは瞬き一つで肯定した。長い睫毛が再びふわりと上を向く。
「オリジナルスキルはごく一部の優秀な従者から得られる唯一無二のスキルであり、一つ手に入れれば階級を二つ飛び越えるほどの力を得られます。しかし、それで無敵になることはできません。所詮は“人”です」
リリアは自分自身も含めそう認めているというように断定した。
しかしその瞳には、俺やトマトのような熱もなければ不安や恐怖もない。どこか俺とは違う未来を見据えているように感じる。
「……………………」
両手でグラスを持っているトマトは終始無言で、生気のないリリアに中てられたかのようにいつもの元気をなくしていた。リリアのか細く通り抜けていくような声に気力を奪われる気持ちはわからなくもない。
そんなことを考えながら俺はリリアの顔をじーっと凝視していた。慌てて視線をグラスに落とし、右手のクラッカーを口に含んでから青色の液体で流し込む。
リリアの顔は表情の変化が乏しく、一定の美しさを保っている為、絵画か人形のように思えてしまう。
桃色の唇が開いた。
「あなたは“青目”を倒すのですか?」
無表情から突然言葉を発するので再び不意をつかれた。が、今度は俺のすぐ手の届くところに答えがあった。
「俺はディークを止める。その為に戦闘が必要なら倒すよ」
「ふふ、そうですか。では例えば、このような状況になったらどうしますか?」
「は…………」
リリアは手に持っていたグラスに桃色の唇を近づけ、蝋燭の火でも消すように息を吹きかけた。グラスはリリアの手を離れ空中をゆったりと舞う。呼気で突風でも起こしているのか知らないが、これは何らかのスキルだ。
脳内で警告が鳴る。いつでも応戦できるよう右手を太ももに添え、戦闘体勢に入る。
このスキルに殺傷力があるようには見えない。宴会芸のつもりか、それとも何か別の意図があるのか。
ガシャッッ…………!
砕け散ったガラスの破片が音を立てた瞬間、主の危機を察したであろう執事達が一斉に部屋へ飛び込んできた。合計十人ほどが部屋の壁にそってぐるりと俺達を取り囲む。その視線は鋭い敵意となり俺へ向けられている。
「どうされましたか、リリア様」
警戒心を剥き出しにしている執事達の中で、藍色の服を着た執事が冷静に呟いた。咄嗟の場面だからこそ、こいつがこの中で一番強いということがわかる。
「藍、これから本当のパーティのお時間です。お料理も、音楽も、お話も、もう十分ですから、楽しいことをしましょう。私が今日ベッドに入ったとき世界に感謝できるような、面白いものを見せてください」
「――っ」
リリアと執事の挙動に集中した。が、その判断は間違っていた。
「ちょっ、どうしたっ! トマトッ!」
一瞬の隙で、トマトの体が糸で引かれたようにリリアの背後へ移動し、静止した。
体は完全に脱力したまま宙に浮いている。眠っているのか、目を閉じたまま微かな息を漏らしながら胸を上下させている。――――念力の類か?
「リリア、俺の前でメイドを危険に晒すような悪ふざけはしない方がいい。この状況で戦闘を始めたとしても、お前が執事にスキルを付与する前に俺が終わらせる」
俺とリリアの距離はわずか二メートル弱。俺達を取り囲んでいる執事達は半径五メートルほどの円の外側にいる。たとえリリアがスキルを大量に持っていようとも、執事に付与できなければ意味がない。
しかし、俺の言葉を聞いたリリアは薄ら笑みを浮かべた。
緊張が高まる執事とリリアのテンションは噛み合っていないようにも見える。
リリアが何をしようとしているのかわからない。が、今俺の脳裏には一つの単語が浮かんでいた。俺達の常識では測れない、世界の頂点に立つリリアの――――“気まぐれ”。
そんなバカげた言葉が唯一、この状況を説明できる。
「ふふ、的外れな脅しですね。私を倒せると思うならやってみてはいかがでしょうか」
ドライフラワーのように思えた声は、美しくも毒々しい花のイメージへと変貌していた。
リリアは恍惚の表情を浮かべる。
「執事達にはすでにスキルを付与し終えました。視線だけでスキルを付与することができるスキル――添付をご存じありませんでしたか? スキル大百科の三百二十二ページに載っています」
「どうでもいい。俺を怒らせる前にトマトを返せ」
「ふふ、そんなに怒らないでください。あなたのメイドに傷をつけるつもりはありませんから」
リリアは一歩下がり、トマトの頬を指先でぷにぷにとつついた。
「けれど」と呟き、微笑を浮かべる。
「あなたは“青目”を倒すと言いましたね。口先だけではないところを見せてください。『最弱』の私に勝てなければ、青目を倒すことも、このメイドを守ることもできませんよ?」
世界の頂点に立つ『最弱』
そんな矛盾を孕んだ花は、棘を携えた花弁で緩やかに俺を包み込んだ。




