第五十一話 リリア・フィリヌス
パーティ用の服に着替えた自分が鏡に映る。普段の戦闘用の服に比べると袖や襟に白いラインが目立つが、思ったほど違和感はない。どこかの国王みたいなヒラヒラした服は勘弁してくれとフィルシーさんに頼んでおいてよかった。
「鳥太様、終わりましたか……?」
「ああ、行こうか」
トマトが着ているのは最近の戦闘服ではなく、以前に来ていたメイド服。エプロンのフリル増量中だ。
三人目のご主人様――リリア・フィリヌスのパーティはリリアの屋敷で行われる。場所は俺達の街から三つ隣、パルミーレのすぐ近くらしい。
「ところでトマト、リリアについて何か知ってるか?」
シェプカに揺られながら尋ねる。
この世界の車は大きな車輪が二つだけついていて、カタカタと心地よい音が鳴る。
「リリア・フィリヌスについてですね。実は昨日少し調べてきました」
「さすがトマト、どんな感じなんだ?」
トマトはいつも通りメモも見ず、スラスラと話し始める。
「リリア・フィリヌス様は、スキルをたくさん得ていることで有名です。どうやら趣味で世界中のスキルを集めようとしているらしいですね。調べたところ、現在の所持スキルは百二十七つでした。以前は八十いくつと聞いたことがありますが、一年に二十くらいのペースで増えています。ひょっとしたら今日すでに一つか二つ増えているかもしれませんね」
「ちょ、ちょっと待った! 百二十七!? スキルってそんな大量に持てるものなのか⁉」
「ええ、ご主人様は“八つ以上”ですから、上限はありませんよ。英雄マックは比較的少ないですが、それでも三十は持っています。ですから彼らは特別な存在なのです。厳密には貴族という括りにも含まれていません。世界の頂点の階級、それがご主人様です」
それで、貴族階級とはまったく別の名がつけられているのか。
それにしても、スキル百以上なんて想像がつかない。そんなのほぼ無敵じゃないか……。
「そんな大量にスキル持ってて、リリアはマックより弱いのか……?」
「ええ、ご主人様達の中ではリリアが最弱です。彼女は唯一、自らにスキルを付与して戦うことをしません。ですから、一対一の決闘は受けることすらないのです。もちろん執事にスキルを付与して戦うことはできますが、それもマックには遥かに及びません。彼女は戦闘に興味がないようです」
「でもスキルをそんなに集めてるんだろ……? 何がしたいんだ……?」
「本当にただの趣味だそうですよ。リリアのスキルに関しては、よく『力を蓄えて何か企んでいる』など疑いの声が上がりますが、毎回、ただの趣味だったという結論で収束します。ご主人様の考えていることは普通の人にはわかりませんね」
トマトが説明を終えたところで、タイミングよくシェプカが停車した。
先に降りてから手を添えると、トマトは恐縮しながらも俺の手を取って段差を降りた。
メイドさんは身長や体格によってできない業務があると言われているけど、俺にとっては些細な問題だ。いや、問題に思ったことすらない。
そんな地球生まれの考えをこの世界に持ち込むことが、正しいのかどうかはわからない。けど、俺はそんな世界がメイドさんにとって幸せだと信じている。
これから会うリリアがそんな俺の味方になってくれることを祈りながら、パーティ会場の屋敷に足を踏みいれた。
パーティの招待状を見せると、門番の執事は深々と頭を下げ、案内してくれた。執事服は濃い緑色。昨日見たキツネ顔の紫執事ほどは目立たないが、この色も十分変わってる。
「ようこそ、葉風鳥太様、トマト・ケチャプ様。お待ちしておりました」
門番から、玄関の入り口の執事へとバトンタッチされる。こちらの執事は青色だ。
「招待客の顔と名前を憶えてるのか?」
招待状を見せたわけでもないのに、名前を呼ばれたのが気になった。しかもメイドもちゃんと招待客として扱い、『様』と呼んでいる。この世界で初めてだ。
「ご来場のお客様の顔と名前は覚えております。葉風様はティティアの街の有名人ですので、従者の方も含め、情報屋が情報を売っているのです」
「初耳だ……それで顔までわかるのか」
「ええ、このような形で情報が売られてますので」
青い服の執事は人当たりの良さそうな顔で、上品に微笑んで見せた。
やましいことはないとでも言うように、俺とトマトの情報が書かれた紙を見せてくる。
所属、名前、身長、体重、身体能力、スキル、これまでに起こした大きな出来事、倒した相手などが書かれている。複数の証言を纏めたのか文章はちぐはぐだが、書かれている内容はおおよそ正しい。路上戦闘だった女主人との対決についてやたら詳しいのは、目撃者が多かったからだろう。紙の左上には俺の似顔絵も描かれている。それほど丁寧ではないが、やたらと特徴を掴んだ上手い絵だ。こんなものが売られているのか。
そしてトマトの方はメイドランクC、身長、体じゅ……、ここは飛ばすとして、これまで勤めていた喫茶店、勤続年数、オーナーのジョゼロットさんの名前も一応書かれている。そして左上には…………。
「あのさ、執事。この紙貰ってもいい? いや、俺のはいらない、トマトのだけでいいから」
「鳥太様っ⁉」
全力で抵抗されて、結局紙は貰えなかった。
トマトの似顔絵はかなりそっくりで、適度なデフォルメが俺のオタク心をくすぐったんだけど……仕方ない。
そのまま執事に案内されて三階へ上がる。
さすがはご主人様。屋敷は国の中枢機関のパルミーレに匹敵するほど広いし、執事が屋敷中に等間隔で立っている。一部屋に一人、それに加えて動き回っている者もいる。いったい彼らの維持費にいくら使ってるんだ……。
そして、もう一つ気になったのは、執事の来ている服の色だった。
「執事服の色が全員違うのは、何かこだわりがあるのか……?」
青色の背中に声をかけると、執事はドアを開きながら答えた。
「ええ、リリア様のこだわりでございます。お二人とも、こちらへどうぞ」
リリアは執事のカラーバリエーションを楽しんでいるのか? ひょっとしたら執事好きなのかもしれない。そんな予想をしながら部屋に入った瞬間、俺の考えは否定された。
「ご苦労様、藍」
だだっぴろい部屋の奥から聞こえた声。
揺れる花弁のような繊細さと可憐さを備えているが、どこか生気のなさを感じた。ドライフラワーが脳裏を過る。
同時に、俺は言葉の意味を理解し、執事に目を向けた。
青色の執事服。
いや、やや水色にも似たこの地味な青色は、『藍色』と言うんじゃなかったか?
つまり、執事に異なる色の服を着せ、色の名前で呼んでいる…………。
執事は俺の視線の意味に気付いたのか、軽いアイコンタクトを取って一歩下がった。この予想は正解らしい。
「ようこそ。リリア・フィリヌスです。あなたが“青目”に宣戦布告した人ですね?」
広い部屋の奥で一人佇んでいた女性が、白いワンピースを揺らしゆっくりと近づいてくる。メイドとは異なる、自らの美しさを際立たせるような歩き方だ。
「青目ってのは、ディークのことか?」
「そんな名前だったかしら。興味がないので覚えていません」
言葉を失う。
世界で三人しかいない頂点に立つ人物、その内の一人を覚えていないのか……。
「藍、もう下がっていいわ。赤、飲み物を。真紅、音楽の音を少し下げて。緋、料理は五分後でいいわ」
「え、まさかこの色全部覚えてるのか……?」
「ええ、もちろんです。何かおかしいでしょうか」
無感情な呟き。それが当然だとでも言うような顔だ。
「だって色の名前を全部覚えるくらいなら、執事の名前を覚えればいいだろ。わざわざ微妙に色の違う服着せて、色で呼ぶことに意味があるのか?」
疑問符を浮かべる俺を、リリアは透明感のある桃色の瞳で見つめた。
「この方が便利だと思いませんか? 執事は入れ替わることもありますが、執事服の色で役割は固定されているのです。赤は飲み物、真紅は音楽、緋は料理。それぞれの得意分野で色分けされています」
「いや、赤はワインの色だから飲み物だとわかるけど、他は全然イメージがわかないぞ……。しかもその赤三色を見分けるのは難易度が高くないか……?」
つっこむところはそこじゃないと思いつつも、尋ねずにはいられない。
「そうなんですか。私は真紅を見れば音楽を思い浮かべますし、緋色を見ればお腹が空きます……。それに、色を覚えるのは簡単ですが、人の顔は特徴がバラバラで覚えにくいと思います」
パーティ開始の準備を始めた執事達を見る。たしかにそれぞれチャームポイントとなる顔のパーツは異なるけど、この整った顔をバラバラと表現するのもどうかと思う…………。
リリアは記憶力が悪いというわけではなさそうだが、変人だ。生気に乏しい彼女の話し方は凡人に理解できない別の世界で生きているからなのかもしれない。リリアだけに見えている、リリアだけの世界。
「準備が整いましたね。そろそろパーティを始めましょうか」
緋と呼ばれた執事が似たような色の執事をぞろぞろと引き連れ、料理の乗った台車を運んできた。赤は俺とトマト、そしてリリアに飲み物を渡す。俺は青色でトマトは赤、リリアはピンク、それぞれに合った飲み物を選んでいるらしい。
「ではお楽しみください」
「ちょ、ちょっと待った。他の招待客はどうした?」
グラスを掲げたリリアを慌てて止める。
ホールと呼べるほどの広さの部屋にはまだ俺達しかいない。
リリアは形のいい桃色の唇を、小さく持ち上げた。
「招待客はこれで全員です。今夜はあなたとメイド、そして私、三人だけのパーティです。楽しみましょう」




